終焉を隣に
「ふっかーーーーーーーーーーーーーつ!」
両腕を大きく上にあげて、マキナがそう叫んだのは朝八時の事。声につられてやってきた兎葵と諒子は昨夜とは打って変わって元気いっぱいになってしまった彼女を訝しんでいる。
「……自然回復が今更働いた、というのは考えにくそうですね」
「式君が何かしたの……式君!?」
一方の俺は彼女が眠っていたベッドの上でぐったりして動かなくなっていた。死んでいる訳ではないものの、今は少しも身体を動かそうという気分になれない。諒子だけが涙目になって俺の顔を覗き込んでいる。胸の中で手を握って祈るように目を瞑るのは少々大袈裟である。
「な、何があったんだ式君!? マキナさんに何かされたのかッ?」
「何かは……いつもされてるだろ。俺は……大丈夫だ。それよりも諒子、手が……」
「え?」
俺と彼女とで違うのは性別だ。胸の中で手を握るとどうしても指先が胸に当たってしまう。諒子が兎葵と同じくらい小さかったらまだ大丈夫だったかもしれないが。段々発言を続けるのも面倒になってきたのでそれ以上は何も言わなかったが、諒子は俺の言わんとする事に気が付いたようだ。ポッと頬を染めて慌ててベッドに手を戻した。
昨夜、俺はマキナに食べられた。
頭からつま先に至るまで、文字通り貪り食われた。比喩でも何でもない。身体のパーツを大がかりに入れ替えるにはそれが一番手っ取り早かったのだろう。具体的にどう食べられたかは暗闇の中に居たので俺も良く分かっていないが、痛みはほんの一瞬だった。ただしその一瞬はどんな比喩でも足りないようなとてつもない激痛であったが、それを代償にアイツは元気になってくれた。
―――良かった。
心の底から安堵する反面、今だけは後悔させてもらえないだろうか。せめてこの疲れが取れるまでは被害者面をさせてもらいたい。身体は羽のように軽いが、それは中身を抜かれたから当然だ。生命活動に問題がない事までは計算通りだが、反動でここまで疲労が募るとは思わなかった。
天を仰いだままじっとしていると、視界の端からぴょこんとマキナが生えてきた。瞳をダイヤマークに変えて、宝石のようにキラキラと輝かせている。彼女が何をしようと俺には回避しようがない。案の定、マキナは俺の状態などお構いなしに飛び込んできた。
「ね、見て! 私、元気になった! 貴方のお陰よ! これが看病ね!」
「うぐぅ……全然違う。離れろぉ……」
「有珠希~!」
「ぐわああああああああああああ…………」
抵抗されないのを良い事に頬ずりを繰り返すマキナ。疲労のせいで抵抗する気も起きない。諒子も兎葵も元気になったマキナを止めようという気は起きないのか、気まずそうに俺達のやり取りを眺めている。
「…………貴方の心臓の音、癖になりそう♪」
「……満足したなら、離れてくれると嬉しいな」
「ダーメッ。発散しないと体が爆発しそう! 他にするべき事があるのは分かってるけど、今は有珠希に触れたいわッ」
「あーもう待て。待て待て待て。待て待て待て待て」
精一杯の力でくびれた腰を抱え込んで動きを止める。マキナにしか聞こえないくらいの声で、俺はそっと呟いた。
「…………二人きりになったら、全部受け止めてやるから。今は勘弁してくれ」
「………………それっていつ?」
「クデキを倒した後とかじゃないか」
「―――けち」
何故俺は味方にも一々交渉しなければならないのかこれが分からない。マキナは不満そうに頬を膨らませてから、ぴょんっとベッドから離れた。ダイヤの様に輝いていた瞳が元に戻り、心なしか全体の輝きも控えめになる。
「じゃあ、諒子。お願いね」
「えッ」
「観察させてたでしょ? クデキを。それについて報告。本当は昨日するべきだったんだけど、そこはごめんなさい」
「……あ、ああ。見てたよ。見てたけど……式君。私の視界について判明した事があるんだ」
「…………なんだ?」
「私が部品を何となく認識出来るのは、式君も知ってると思う。でもなんか、私。キカイが所有してる数なんかも分かるみたいなんだ。あ、中身は分からない、ぞ」
「―――大体話は読めた。で、クデキの所有する部品の数は?」
「六だ」
「なんかややこしくなりそうなので、ホワイトボード持ってきますね。念の為買っておいて良かったかもしれません」
兎葵が手持ちサイズのホワイトボードを諒子に渡した。それだけだとサイズも心もとなければ何処に設置すれば全員が見えるのかという問題も考えないといけなかったが、何となくマキナに頼んでみると彼女は快くそれを空間に固定してくれた。何もない空間にホワイトボードが張り付く様子は、傍から見なくてもCG合成としか思われまい。
「六つって事は……使ったのは幾つだ?」
「『毒』と『温度』の二つね。あの時の爆発は体液を利用したんだと思うわ。だからってニンゲンに対策出来るとは思えないけど」
「―――方法はあれですけど、水蒸気を取っ払えば環境が凍結するのは避けられるんじゃないんですか?」
「あいつが操っているのはあくまで『温度』よ。凍結や融解を余計に起こさない事くらい簡単に出来るわ。それこそ普段私がやってるみたいに、触れた個所だけにするとか、改定した地面に触れた物体に伝播させるとか」
「あー私が間違ってました。小細工でどうにかなる相手じゃないですね。じゃあ食らっても死なない様にするのが……それもどうやってやるんですかね」
「次に会う時はもっと出力が落ちてるからそこまで気にする必要はないと思うわ。そもそも有珠希の力があれば改定その物を止められる筈よ」
『意思』の規定は外ならぬクデキの力だった。果たしてそれが対策となりうるなんて皮肉な話だが、戦う事になったなら遠慮なく使わせてもらう。今度は……油断しない。勝ち目があってもなくてもアイツを倒さなくては部品も戻らないのだ。幻影事件の犯人を討伐、なんて大義は掲げない。記憶にないなら恨みだって空っぽだ。そこは持ち込まない。ただしカガラさんを一度殺害した恨みはちゃんと込める。
クデキの話題になってから兎葵は後ろめたそうな表情で俯いている。共有した視線から見られている事に気づいたのだろう、ずっと考えていた様な風を装って兎葵が言った。
「少し気になったんですけど、毒は何であんなに緩やかだったんでしょうか。正攻法で分が悪いなら即効性の毒で殺してしまえばいいのに」
「毒されたのはニンゲンの部分だから、『傷病』である程度は抗えたのよ。本来なら身体が内側から腐って翌日には変死体って所かしら。でも、そんなのはいいの。リョーコ、あれを伝えて」
「…………えっと、だな。マキナさんの部品って……後三四個あるらしいんだ」
「―――全然足んねーじゃん!」
『強度』『清浄と汚染』『愛』『速度』『傷病』『刻』。かつてマキナが例に挙げた『星』『空気』『空間』『蒸気』も含んだとして、全然足りない。後は諒子が渡したと思われる正体不明の『何か』。これが足された所で、まだ足りない。
「ちょ、ちょっと待て……! 嘘だろ、多くないか? あ、ちょっと待て。マキナ、お前空間弄ってるよな。あれは規定じゃないのか? 『空間』とか」
「キカイにとって時間は不可逆じゃないし、空間だって干渉出来る概念に過ぎないわ。ニンゲンで例えるなら、水の中に指を突っ込んで掻き回す感じね」
「――――――」
多すぎる。
マキナとの取引ももうじき終わりだと考えていた俺のセンチメンタルを返してくれないか。いや、それは今まで間違っていなかった筈だ。残りの部品を持っている奴が誰だったかという流れだし。いや、大事なのはそこではなくて……
「クデキの奴、少なすぎないか?」
「そう! 目の付け所が良いわね。アイツが少なすぎるの。私の部品も持ってないどころか、自分のも殆ど持ってない。これはおかしいわ。私が思うに、メサイア・システムの何処かに隠したんじゃないかって思うの。あの組織は部品の隠れ蓑って訳。例えば自分の眷属に配ってるとか」
「……部下って言おうな」
―――嫌な予感がしてきた。
カガラさんは居ないが、やはり当初の計画通り、メサイア・システムに就職しなければいけないようだ。ハイドさんに頼めば何とかしてくれるか。何とかしてくれたとして俺は何をすればいいのか―――決まっている。
百聞は一見に如かず。もう自分で確かめた方が早い。ずっと前に連れていかれてしまったクラスメイトの安否を確認しよう。今となってはもうどうでもいい事の様だが―――それさえ分かれば、カガラさんをどうするつもりなのかもハッキリする筈だ。




