空っぽの瞳に冷たき絆
カガラさんが感じた圧力を、俺も感じなかった訳じゃない。こういう形で対峙して、初めてその正体を認識した。何故俺がここまで鈍かったのかを。
マキナと同じなのだ。
キカイという存在が放つ異な存在感。彼女はそれを気配だと誤認した。俺は普段から感じていたので気づかなかった訳だ。
「…………はぁ」
白い灯がジリジリと静かな唸りを上げている。とっくに気づかれているならこそこそする意味はない。扉を開放して、カガラさんは俺の盾になるように前へ進んだ。
「……クデキさん。これは、貴方が?」
足元に転がっているのは両親だ。共にうつ伏せではあるが、腹部を中心に血が広がっているので死因は明らかだ。死に際の表情が見えないのは不幸中の幸いか。いかに情の薄い親でも、流石に苦悶の表情を見るのは嫌だ。
「…………俺は、気分が悪い。何も聞かずに帰るなら見逃してやってもいい。良かったな、シキミヤウズキ。本来であればすぐにでもお前を殺したい所だが、良かったな。守られていて。さあ、早く帰れ。俺にはやらなきゃいけない事がある」
「…………俺を殺せない理由があるのか?」
「ちょっと、ねえ君。見逃してくれるって言うならここは退いた方が」
「すみませんカガラさん。俺にはこいつに聞かないといけない事があるんです」
ならせめて背中からは離れないでと言ってカガラさんは発言権を俺に渡した。ここで出会ったのは最悪だが、こいつが本当に逃がしてくれるのかという点で、いまいち信用出来ない。相手の発言をそのままうのみにするのはどうなのか。ましてマキナの部品を掌握している奴に。
「俺は色々知ったよ。なあ……クデキ。お前が幻影事件の犯人なのか? お前が……兎葵から家族を奪って、先輩を一人ぼっちにして…………世界を大混乱に導いたのか?」
「…………何も聞くなと言った筈なんだがな。どうやらお前は死にたいらしい。そうさな、ではそれらしく答えてやろう」
クデキが両親の頭を踏み潰して、俺達の方に向き直った。
「ああ、その通りだ……これで満足か?」
世界的な大事件。追求する事も許されず、その名前を騙る事も自ずと禁忌にされてきた事件の犯人は、思いのほかあっさりと自白をした。
「なんでそんな事をした!? キカイは世界のバランスを保つ役割があるんじゃないのか?」
「―――誰に聞いたか知らないが、俺達の事を何も知らないようだ。知らない癖に、そうあるべきなどと役割を与えるのは愚かだな。やはりお前は駄目だな。全然駄目だ話にならない。あれに崇高な大義などないさ。身勝手な理由だよ。それ以上でもそれ以下でもない。せっかくだ、俺の方からも一つ聞こうか」
クデキの足元に広がる血液が凍っていく。もう一度足を踏みしめると、凍った血液に亀裂が入って破壊。放射状に割れた氷が宙を舞って、その切っ先を俺達に向けた。
「危ない!」
カガラさんが即座に扉を閉めて防御。俺は彼女に突き飛ばされて尻餅をついていた。扉越しに氷の割れる音が聞こえる。扉を閉めて一安心とはいかない。あんな事が出来る奴を相手に、木製の扉がどう防御出来るのか。
「何故首を突っ込む。妹と暮らしていればこんな事にはならなかっただろう。俺がお前やお前の妹を狙う可能性もなかった。それなのにお前はどうして首を突っ込む。命が惜しくないのか」
「…………平和に暮らす事の辛さが、お前に分かるのかよ」
どうせこいつは見逃してくれなかっただろう。ならばとことん歯向かうしかない。カガラさんも先の攻撃で薄々感づいているようだ。覚悟を決めたように歯を食いしばっている。そうだ。勝ち目がなくても逃げるという選択肢はない。無事に逃げられる可能性だって勝ち目の一つだ。それすら無いと俺は断言しよう。
「お前に俺の何が分かるんだよ! 俺は……首を突っ込まなきゃ頭がどうかしてたさ。お前なんかにこの苦しみが分かるのか? こんな……糸だらけの視界! 要らなかったよ!」
「……俺だってお前に部品など渡したくなかったよ。全て仕方のない事だった。それでお前が迷惑したと言うなら―――謝ろう」
「どういう事?」
「俺の特殊な視界は『意思』の規定って呼ばれる部品なんです」
それはむくろから知らされた情報から推定出来ていたが、本人からも証明を貰えたのは大きい。これで俺は万が一にもマキナに殺される事はないし……なんか少し、嬉しかったりする。心臓の、それも借り物だとしても、アイツと同じ部分があるなら。
「…………しかしお前。今、要らないと言ったな?」
「……あ?」
「俺は仕方なくお前にそれをくれてやったが、要らないというならそれもまた仕方がない。返してもらおうか」
扉越しに感じる圧力が、段々と大きなものになっていく。窓から逃げようにも、この圧力は既に家全体を包んでいて逃げられそうにない。余計な呼吸を挟むだけで肺が潰れそうな緊迫感が俺達の足を止める。ほらこれだ。俺達には逃げ場なんてない。
「俺がそんなに嫌いなら、何でお前は兎葵を助け―――!」
「それ以上答える意味はない。ここで死ぬ奴らには何を言っても無駄だ」
扉が物理を無視して急速に凍り付いていく。カガラさんはそれを察知してすぐに離れたが、間もなく扉の中心をクデキの手が貫通し、割れた氷の破片がカガラさんに向かって吹き荒ぶ。この瞬間に動けるのは俺だけだ。慌てて彼女と位置を入れ替えてとっさに背中を向けると、破片が俺をめった刺しにする。
「ぐうううぉぉおおお……!」
「シキミヤ君!」
「は、早く! 反撃!」
カガラさんがスカートの中に隠していた拳銃を構えて発砲。必死の形相で撃ち尽くすが、背後の気配は微塵も衰えない。分かってはいたが、キカイを相手に拳銃は頼りなさすぎる。それもそうだ。俺だってこんな風になるとは思っていなかった。まさか目標が向こうからやってくるなんて。
埒が明かないと踏んでかカガラさんが拳銃を前方に投げて再度位置を入れ替える。痛みに耐えながら振り返った時には、隠し持っていたサバイバルナイフを振り回して必死に抗っていた。クデキには一太刀も当たっていない。全て直前で止められている。
「…………俺が殺したいのはそいつだけなんだがな。邪魔をするのか?」
「当たり前だよ! だって私は……彼の護衛なんだから!」
「そうか」
袈裟斬りのフェイントを交えた刺突は確かに止められなかった。しかしその切っ先が奴の身体に触れた途端、熱を帯びる過程をスキップして融解する。勢いあまってカガラさんの手も身体に触れたが、そこにも例外はない。
彼女の手首から上が、どろりと融け落ちた。
「…………ぁつぃあ!」
「カガラさん!」
「駄目だ! 逃げ……」
「逃がす訳ないだろ」
目にもとまらぬ拳が抵抗なく彼女の心臓を貫いた。貫かれた身体からは一滴の血液も漏れず、代わりに赤色の煙を噴き出しながら、傷口はジュクジュクと熱されている。
「………………か、カガラ……さん」
遺言を残す暇もない。医療知識などなくとも、即死は明らかだった。ゴスロリ服を着た痩身が、力なく倒れていく。その間もクデキが手を動かす事はない。崩れ落ちる身体はバターのように切り裂かれ、その傷口はカガラさんの鳩尾から鎖骨にかけてを焼き切ってしまった。
『温度』の規定。
それが分かった所で、何なのだ。俺には対策の取りようがない。加熱も冷却も自由自在。まともに攻撃を加えられるかも怪しい。強引な物理法則の改竄はその癖精密で、隣接した物理法則に影響を与えていない。例えばここに一兆℃の熱が発生しても、クデキが望まなければ周囲には何の変化もない。
「丁度、それを欲しがっている奴が居るんだ。お前が要らないならそいつに渡す。言い残す事があるなら聞いてやってもいい。ニンゲンはどうも、無駄な一言を残すのが好きらしいからな」
「…………………ろ」
「……?」
「…………ころ…………して………………………殺してやる!」
相手がキカイなら、俺も人の法を守る必要はない。手近にあった椅子を掲げて、力任せに叩き付けた。相手に通用したかを確認する必要はない。布団やら折り畳みの机やら学生カバンやら。その場で使えそうな物を何でもかんでも叩き付けて、力の限り叫んだ。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
鉛筆を、消しゴムを、本立てを、ハサミを、物差しを、剃刀を、石ころを。とにかく一ミリでも有効であればそれで良いのだと気にせず投げつける。ナイフは解けるから駄目だ。身体に巻き付いた糸には実質的に触れない。
「うあああああああああああああああああああああおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああ!」
「………………本当にお前達は、弱いんだな」
あらゆる物に効果が見出せず、最後に手にした物体を肩へ叩き付ける。
しかしそれが届く前に、俺の首が捕まえられてしまった。
「ごっ……!」
「弱いな。そんなだから妹を守れない。兎葵を泣かせる。どうしようもない男だよお前は。やはり生きている価値はないか。お前もそれを望んでいるんだろう」
ごぎゅぎゅぎゅりぎりぎりぎり。
縄にかかったような音、骨が悲鳴を上げている。こいつは規定を使っていない。俺を苦しめる為に敢えて自力のみで締めている。今にも意識が遠のきそうだ。そんな俺を支えてくれるのは赤い糸の存在。それに対する負荷が辛うじて意識を繋いでくれている。
「お前など、誰も必要としない。とうの昔に用済みだ。だからそんな顔をするなシキミヤウズキ。安心して死ね。結局お前では有珠の代わりになれない。要らないんだよ、もう」
「要らないなら、私が貰ってもいいかしら」
脳を巡る声は、血液よりも確かに、俺の『生命』を引き留めた。
「有朱希に触らなイで」
至宝の月が纏う大気が、クデキの体を吹き飛ばした。




