空の黒魔女
一足先に喫茶店に入ってカガラさんを待つ側に回れたのは幸運だった。あの人は時間ピッタリに来るか遅刻するタイプのようだ。先輩とのデンジャラスデート明けなので正直結構疲れている。話の通じない奴を相手に何とか話し合いをしようとしたのも原因だ。
―――なんか、おかしいよな。
SNSで『認識』に変化があって以降を確認すると、粉飾をしていた企業が明るみに出たり、銀行から預金が八割なくなったり、輸出入がストップしていたり。適当に調べるだけでも大変な事が起きている。国によっては政治家が全員居なくなって国家としての運営もままならないというような状態にもなっており、今の今まで目を背けてきたツケが返ってきたと言わんばかりだ。厳密には、背けさせられた、だが。
ならば俺がこんな風に、日常を送れているのはおかしいのではないか。表面上平和とかそういう次元ではない。『認識』が正常に働いていた時は値段の概念もなければ閉店しているのに開店する始末。その反動で値段が高くなっていてもおかしくないのに、値段は至って普通だ。あんまり高かったらカガラさんにでも押し付けようかと思ったが、これは払う。流石に手持ちの範囲内である。
「やあ、お待たせ」
真昼間の喫茶店には中々の人が集っているが、その中でも来訪者は特に目立っていた。ただでさえゴスロリ服は普段着と言い難いのに、それを普段着にして、しかも似合ってるのだから驚きだ。そういうモデルだと言われても納得するだろう。
今日のカガラさんはそこはかとなく上機嫌だ。俺の机までステップでやってくると、これ見よがしに背中を見せてくる。
「……え?」
「何か変わった所に気づかない? こういうの子供の頃好きだっただろ?」
「決めつけないで下さいよ。まあ好きでしたけどね。えーと、髪型変えました?」
今日のカガラさんはアップスタイルに髪をまとめており、普段より軽快な印象を受けたのはそれのせいでもありそうだ。元々お淑やかとは言い難い性格だが髪型が変わったから余計にお転婆なイメージが出てきた。
「似合う?」
「似合いますよ。それは本心なんですけど、似合わないっていう選択肢ありますか? 流石に空気読めないんじゃないんですか?」
「それはそうだね。しかし私も似合うって言ってくれそうな人にしかやらないから、安心だ。うちの上司は基本的にノーコメントだからねえ」
言いつつカガラさんが向かいの席に座る。座った後も奇異の目が注いでいたが自分の服装についてはもう気にならないらしい。未紗那先輩から聞いた事が本当なら、彼女には服を選ぶ選択肢がない。嫌が応でもこの手の視線は受け流せるようにならないと、さもなければ人格を捨てる事にも繋がる。
「さて、本題に入ろうかな。ウチに入りたいって話だっけ?」
「だから違いますって。ちょっと付き合ってほしい場所があるんです。護衛みたいな……俺一人だけだと不安なので」
「うんうん。勿論分かっているさ。じゃあ早速行こうか」
「え? あの、中身とか聞かないんですか?」
「上司に似たのかな、私って臆病だからさ。先に聞いたら尻込みするかもしれない。どうせなら取り返しのつかない所まで聞かせてもらえると助かるんだけどね」
話が早いのは構わないが、それは臆病ではなくて……いや、臆病なのだろうか。俺としてはそこまで危険な所へ連れていくつもりはない。場合によっては危険だが、未紗那先輩とマキナが戦っていた時に比べたら全然マシだ。お店に居て何も頼まないのも申し訳なく思ったので、コーヒーを一杯だけ頼んで店を出た。
「行きたい場所ってのは俺の家なんです」
「へ? 君の? …………なーんだ。危険でもなんでもなさそうだ。護衛なんて思わせぶりだねえ」
「いや、危ないかもしれないのは確かですよ。実はウチには二人妹が居て―――」
家族構成から話を繋げるのは大変だったが、一番下の妹が家で虐待にあった事が伝われば無問題だ。髪を引き千切ったという部分は案の定というべきか、カガラさんでさえ引いていた。
「……つまり私を呼んだのは、通報代わりだと」
「違いますよ。虐待に前からあってたなら話は分かるんです。でも俺と上の妹が引っ越すまではむしろ仲良くて、自分で言いたかないですけど、俺を虐めるのにむしろ加担してた方っていうか。上の妹だけが親切にしてくれたので、そこまで気にはなってないんですけど」
「それは…確かに妙だな。君の前に妹が虐められていたなら分かる。君を虐めないとまた虐められる、まあ良くある心理だ。そうじゃないなら……何故だろうね」
「だから確認しておこうと思って。俺一人だといい感じに捕まって今何処に住んでるのか聞かれそうじゃないですか。それが嫌なんで」
新しい住居は前の家から偶然発見される可能性を少しでも低くする為にかなり遠い。タクシーを使えばもっと早く済んだのかもしれないが、カガラさんが他愛もない話題で空気を繋いでくれたお陰で体感はそれほど長く思えなかった。
「カガラさんって結構話すの上手ですよね。色んな話題持ってて」
「……時間は有限なんだ。君とは色んな事話したいじゃない。そら、君の家に到着したよ」
他にも何か言いたそうだったカガラさんだが、目的地への到着を以て堂々と誤魔化した。ここまで下手だといっそ清々しく、むしろ追求し辛い。これ以上は聞かないでという思いがひしひしと伝わってくる。
ピンポーン。
インターホンを押して、待ってみる。
出来た妹を奪われて、両親はカンカンに怒っている筈だ。那由香は理不尽なりの道理もなく不当に虐められたとしも、それで俺への怒りが収まっている訳ではあるまい。顔を見るなり殴られる事も考えられる。今の俺なら糸を切って防御くらいはすると思うが、それでも来るか来ないかも分からない攻撃は怖い。
大体、牧寧が居なくなった事に怒るのは勝手だが、子供の感情に対してのアンテナが甘いのではないだろうか。アイツに居なくなって欲しくなかったなら俺にだってもう少し優しくするべきだった……と言うと何やら傲慢な雰囲気が出てくるが、昔、仲が良かっただけに牧寧はかなり俺に入れ込んでいる。ほんの少しだけでも俺に『この家に留まりたい』と思わせる事が出来たならこうはならなかった筈だ。
兎葵の話はややこしくなるので今は考慮しない。一応分類としては家族問題なので、アイツの話が本当でも今回のとは無関係だ。
「……誰も出ませんね。ここ俺の家ですか?」
「君が言うなよ。間違いなく君の家だ」
「鍵は……閉まってますね」
ならばどうやって那由香は家から出たのだろう。そう思ったが、窓という選択肢をうっかり忘れていた。裏に回って彼女の部屋の窓を見ると、鍵が開いているどころか窓そのものが開いていた。ここから逃げだしたのか。
「……カガラさん。なんか変な臭いしませんか?」
「…………変なニオイ、ね。分からないフリはやめてもいいんじゃない? 君だってもう人を殺したんだから、分かるよね?」
血。
こゆるさんを殺害した時、至近距離から感じたその臭いを、俺は生涯忘れない。嗅覚を殺し、脳をマヒさせる赤い麻酔のような液体を。忘れない、忘れられない。穢れた道を歩むと決めた日から、俺がそれを忘れる事はない。
「入りましょう」
「ああ。それがいい。何が起きているのかを把握する為にもね」
この際、土足で侵入する。那由香の部屋に荒らされた形跡はないが、気になる物を見つけた。式宮家の家族写真とアルバムだ。そのどれにも糸は映らない。カガラさんを起点にこの部屋も既に赤い糸が広がっているのに、写真だけには広がらない。
「…………」
写真に写っているのは式宮夫妻と那由香、それに牧寧。俺の姿は何処にもないし、ここはそもそも何処だろうか。それに……牧寧が無愛想だ。心底つまらなそうな表情をしている。俺の部屋に飾ってあった写真とは似ても似つかない。
アルバムの方を確認してみると、これも例外なく俺は写っていないし、可愛い方の妹はつまらなさそうだ。俺が居ないのはややこしい事情を含めても含めなくても分かる。記憶にないし。だが牧寧は事情がどうあれこの家の人間だ。家族仲は悪くなかった。何故こんなにも……笑わないのか。
「おいおい。両親を確認するんじゃないの?」
「ちょっと待ってください。確認したい事が…………」
次の一冊は毛色が違った。外側の装丁が揃えてあるだけで、中身は牧寧の部屋にあったアルバムだ。そう思わせる理由はただ一つ。俺が映っている。俺と牧寧が二人きりで写っている写真ばかり。そしてこれも不思議な話だが、写真の全てに心当たりがある。不仲になるまでの間は本当に仲良し兄妹で色々な所に行った。まだ幼い妹は無邪気で活発で、それで何かにつけて記録を残したがったのだ。
そしてこちらは他の家族が一切写っていない。あまりにも極端が過ぎる。
「…………行きましょう」
「終わったの?」
「今考えても……仕方ないだけです」
血の臭いはすぐそこから感じている。はやる気持ちを抑えて扉を開けようとすると、カガラさんが俺の肩を掴んでそれを止めた。
「私は護衛らしいから先に入るよ…………人の気配もするしね」
「…………気配とか分かるんですか?」
「さあ、私も初めて感じたよ」
「何言ってるんですか?」
「妙なんだ。底知れない圧力を感じるから……先に行かせて欲しい。君を守れなきゃ上司に何言われるやら」
音を立てないように扉を開く。扉に邪魔されて平たくなっていた視界が徐々に広がって、外の景色を映し出す。
二つの死体と、そこから掻き出したような血の海と。
その中に佇む男は、ぎこちなく首を動かして、こちらを見つめる。
「…………お前か」
もう一人のキカイ、クデキの瞳に白い灯が点った。
 




