争いの火種はいつも些細なきっかけで
先輩の要望で帰路についたはいいが、懸賞金が発表された事で彼女を捕縛ないしは殺害せんとする人が増えた様に思う。これで現在先輩を狙う勢力は警察や公安等の機関を除けば怨恨のこゆらーと金目当てのバウンティハンター、そしてメサイア・システム。信用出来る人間はハイドさんとカガラさんの二人だけ。他の誰が助け舟を出そうと信用してはいけない。まあ……最悪、糸を読めばいい話だ。世界中に張り巡らされたこの糸は、俺に思惑を伝えてくれる。究極の俯瞰とこの力は言われたが、現状有効な使い道の殆どは可視化された心の読み取りだ。意図的に読もうとすると負担は辛いが、もう負担を軽減する事は出来ない。諒子には最近薬を貰っていないがそれも誤魔化しになるだろう。マキナが傍にいてくれないと、俺はどうやっても『普通』には戻れない。
―――アイツに、会いたいな。
目の保養として、或いは心の休息として。理由は何でもいい。会う口実が欲しいだけだ。こうして目に見えて孤立していく感覚を味わうと、人はどうしても誰かに頼りたくなる。先輩だって例外ではなかった。俺も強がっているだけで例外じゃない。そんな不安よりも先輩を排斥しようとする正義に腹が立ったから守っているだけの話だ。
大体、先輩が死んでも全てどころか何一つ解決しない。こゆるさんが死んだ原因は生きているし、この世界が正常化を辿る事もない。ただ自分達が気持ちよくなりたいからと、小学生の偽装工作なんかに引っかかって彼女を追い回す奴らは滑稽だ。
それに十億円という奴も用意されたとしてどうする。キカイの事だ、現金で渡してくる可能性は大いにあるし、そうならどうやって運ぶ。銀行を通して入金なんてアイツらはしない。そもそも口座なんて開設しているかも怪しい。ちょっと前まで法人口座なんて必要なかったのだからそう考えた方が自然だろう。大体金銭の概念すら揺らいで対価は善意や恩や自己満足と言った感情に終始していたのだから、そうでないのはおかしい。
……何か、気づいていない様な気もするが、今はいいか。
「お、お願い…………許して……!」
包丁で武装した刺客が大声をあげながら突っ込んできたので壁に蹴り倒した。俺に対する警戒心が皆無なのは大きいが、それ以上に酷いのは彼らの心構えだ。
「ふざけんな。殺そうとして自分が死ぬのは嫌だって舐めてんのか」
反撃を全く想定していない。奇跡的に未紗那先輩がトラウマに罹っているからいいようなものを、本来であればこの比ではないお返しを食らっていただろう……いや。それともあれか。本人からの反撃は想定しているがそれ以外から反撃はされないものと思っている?
「だ、だってそいつがこゆるちゃんを…………! 復讐するんだ!逆にお前は何で邪魔なんかするんだよ!」
「こゆるさんを殺したのは俺だ」
「嘘だ! 出鱈目だ! 映像があった! その女、その女が殺したんだ!」
「…………映像に残ってるなら全部真実ってか。いつの時代だよそれ。合成捏造加工なんても出来るのに。本当に馬鹿だ。そんなんだからこゆるさんの悩みにも気づかないし、むしろ悩みの種になるんだ」
「訳分かんねえ! とにかくそいつを殺さなきゃいけないんだ! 十億円もついてくるッ。そうだ、お前も手伝ってくれれば山―――」
「それ以上喋ったら、殺すぞ!」
カンっと道路に包丁を突き立てる。先端が多少ひん曲がろうと関係ない。こんな物を持ち出す方が悪いのだ。刃を首筋の向きに立てて、何度も何度も道路に突き刺した。
「そんなに仇を取りたきゃ俺を殺せよ。ほら、仇が目の前にいるぞ。殺せよ。十億円は手に入らないが、それで気が済むんじゃないのか?」
「………………ぁ」
「ほら殺せよ。さっさと殺してみろよ。こゆるさんのファンなんだろ? あの人が好きだったんだろ? なら殺してみろよ! なあ! 俺に愛を証明してみせろよ! わざわざ殺されに来てやったんだからこんなに楽な話はないだろ!」
「ご、ごめ。ごめんなさ……ごめんな……さい!」
「人間一人殺してさあ平和になりました仇も取れました。天国で彼女は喜んでいるでしょうなんて風に終わらせるつもりか? 復讐なんだろこれは。だったら余計な奴も殺せよ! 誰を殺しても仇を取る覚悟くらい見せてみろよ! それが出来ないんだったら―――」
男の首筋に向かって、勢いよくナイフを振りかぶる。思考する暇もなくまくしたてられ極度の緊張状態に陥っていたであろう男性はそれで意識の糸が切れてしまった。無力化したならこれ以上は手を出さないが、いつまでもこの手法を続けるのはやはり厳しい。
「式宮君。私の気のせいでなければ……本気で殺そうとしましたね?」
「―――俺が犯人って言ってるのに、頭のおかしい奴に絡まれたみたいな反応される事に段々腹が立ってきました。殺人なんて最悪の気分になるんでしたくないですけど、あんまり大勢に見つかったらそりゃ……殺しますよ。それで先輩が守れるなら、俺はやります」
「ええ。君の気遣いは理解しているつもりです。極力殺したくないというのも嘘ではない。現に遭遇しないようにルートを厳選しているのですから。守ってもらっている私に君の意思をどうこう言うつもりはありませんが……殺人は繰り返す程に基準が下がります。私を守る為という名目で君が人として堕ちていくのは先輩悲しいです」
一線はとっくに超えている。
超えてしまった線はデッドラインではなく模様だ。いつでも超えられる。超えたくないと思うのは俺の細やかな倫理。包丁を適当に捨てて、先輩の手を取った。彼女は一切抵抗しない。されるがままに歩き出した。
「……心配してくれてるんですよね」
「当たり前です。君は確かに特殊な人間ではありますが―――まだ日常に戻れる可能性は、ある筈ですから」
「いや、無理があるでしょそれ。ハイドさんからも口説かれてますし―――何よりマキナとの縁を切りたいなんて思いませんから」
「…………ここまで来ても、ですか」
「ここまで来たからこそです。全部見て見ぬふりなんて逆に難しいと思いませんか? ……そんな事したら、こゆるさんを殺した事にも意味がなくなってしまいます。贖罪というより単なる慰めですけど、せめて殺人には意味があってくれないと心がおかしくなりますから」
市内構造の関係でどうしても大通りに出てしまった。先輩を発見した二人が鎌と石を持って襲いかかってきたので、道路に突き飛ばした。交通事故の心配はないが突き飛ばされた側からはわからない事だ。車両の往来に注意が向いた瞬間に先輩を知らないアパートの階段へ。
「こゆるさんを殺したのは俺だよ。俺を狙えよ」
二人はよろよろと立ち上がるも、俺を狙おうとしない。そればかりか俺に先輩の所在を尋ねてくる始末。
「……ふざ、けんなよ!」
気持ち悪い。
SNSを調べても俺に対する悪評や未紗那先輩に護衛がついているという話は出てこない。俺はこんなにも逆張りをしているのに、孤立しているのに。誰も俺を敵と認めてくれない。未紗那先輩と一括りにはしてくれない。こんな事があってたまるか。これではまるで、俺が先輩の味方ではないみたいじゃないか!
「……何でそうやって、あの人を一人ぼっちにさせるんだよ!」
片割れが持っていた催涙スプレーを奪い取り、吹きかける。身動きが取れない内に、俺はまた先輩を連れ出した。
先輩の隠れ家に到着したのは十一時半を過ぎてからだった。
「ありがとうございます。やっぱり君は頼れる後輩ですねッ」
「……すみません先輩。俺、共犯にはなれないみたいです」
何故か誰も、俺を敵と認めてくれない。だからどんな状況でも不意打ちが成立するし、あちらから返ってくるのは困惑ばかりで反撃もない。
気味が悪い以外に何を思えばいいのだろう。いつから俺はそんな待遇を受けるようになった?
「何言ってるんですか。十分共犯ですよ。私をデートに誘うような物好きは君だけです。結局、今日はずっと頼ってしまいました」
「…………俺がいなくなっても考えを変えたりしないでくださいね」
「ふふ、ご心配なく。暫くは変わりませんから。ですが死なずともクデキさんをどうにかしないといけないのは変わりません。それをじっくり考えてみたいと思います」
心配だ……。
だが、先輩を信じよう。過剰な心配は不信と同義だ。俺にこれ以上は出来ない。彼女がきっと立ち直ってくれると信じて、地下室を後にする。
「あ、待ってください! 渡しそびれたら次がいつになるか分かりませんので、これを受け取っていただけると助かるんですけど」
そんな先輩が差し出したのは一枚の手紙。封蝋を切って中身をとりだすと、誰かの連絡先が書かれていた。先回りするように先輩が口を開く。
「メサイア・システムは様々な人を救う為に活動してきました。しかし世の中にはどうにもならない才覚があります。替えが利かないと言いましょうか。私や他の方が行う慈善活動は慈善故に替えが利きます。私が誰かの荷物運びを手伝ったとして、それは誰でも出来ますよね? しかしながらオカルト……特殊な才覚の分野はどうしても替えが利きません。連絡先の人はその筆頭です」
「話が見えないんですけど」
「もし君がクデキさんに接触したいなら、彼女を頼るのも手です。まさかクデキさんもその人を経由してやってくるとは思わないでしょう。首藤碧花。気難しい人ですが……信用してもらえれば心強い味方になる筈です。どう使うかは任せますが、前向きに頼ってくれると嬉しいですねッ」




