幼い恋心
大きな段ボールは直ぐに見つかった。特に変装などはしていないので道中で見つかれば一度態勢を立て直す為に逃げないといけない。何があっても先輩は守るつもりだが悪戯に時間を使うのだけは駄目だ。カガラさんと予定が被ったら目も当てられない。
「何だか、業者の人みたいですね」
「でかい段ボール一枚だけ持っていく業者とか居ないでしょ。馬鹿な事言ってないで行きましょう。せっかく二人で滑れる様な機体を見つけたんですから」
「機体って……これは一体何の機械ですか?」
「ジェットコースターみたいな?」
土手の向かい側に人は見えるが、この遠距離から未紗那先輩を認識出来る人は居ないようだ。これなら遊んでいてもちょっと無邪気な二人として映る程度だ。邪魔は入らない。段ボールの前方を掴んで構えると、背後から柔らかな感触と共に体を締める力が伝わる。
「準備はいいですか?」
「は、はい。しっかりと……君の体を掴んでます」
さながらそれはジェットコースターに乗る前の安全確認。乗客の意思を確認した後、俺は足のブレーキを外して乗り込んだ。
ギュウウウウウウウ!
摩擦の減った足元は重力に従って滑り、急速に速度を上げていく。コースは短い直線でしかないが、刹那のスリルが何よりも快楽を誘発させてくれる。
「きゃああああああああああああ!」
「うおおおおおおおおお!」
ズルズルと高速で草の上を滑り、間もなく終点。慣性に従って平らな地面を何メートルか滑る。それでこのジェットコースターは終わりだが、俺たちは背中越しに視線を合わせて笑いあった。
「すっげえええ!」
「こんなに速度が出るなんて……思わなかった!」
「もう一回やりましょう!」
「はい!」
二人ですぐに段ボールを降りると、示し合わせずとも運び直して土手の上へ。そしてもう一度滑り出す。何度でも、その刹那的なスリルを、いつまでも。
「あは、あはははは!」
「今度は先輩が前になりますか?」
「はい! 式宮君、離さないで下さいねっ」
スタイルの良さもあって、未紗那先輩を支えにするシートベルトは耐久性が抜群だ。下に滑れば勢いに体を持っていかれる。だが先輩ならお腹から手が滑っても胸につっかえて大丈夫だ。モラル的には全く大丈夫じゃないが、俺も先輩もハイになっていてそんな細かい事は気にならない。ただがむしゃらに、子供心に、これは楽しい。我ながら天才なのではないかという程に。
「私、こういう平和を望んでたんです!」
「―――ほんと、こういうのが遠慮なくできる平和が来るといいですね」
次に段ボールで滑り落ちた時、無粋にも携帯に着信が入った。先輩との楽しい時間が台無しだ。まだまだカガラさんとの待ち合わせには程遠い。なので急かす電話でもないだろう。着信画面にはハイドさんの隠語が映っている。
「……ハイドさんですか」
「すみません。空気の読めない上司で」
「私の発言なんですけどッ! 何か予定でも入れていましたか?」
「いや、ハイドさんとは別に……何でですか?」
「あの人、用もなく電話は掛けてきませんから」
誰にも心当たりがない電話なんて少し不気味だ。遠くで受け付けるつもりだったが未紗那先輩も何の用事か気になるらしいので、このままスピーカーにする。会話には参加しないらしい(居所がバレると困るからだろうか)。
『もしもし』
『おいてめえ。この状況で随分お気楽だなあおい。コーヒー噴き出したぞ弁償させてやろうか』
『…………は?』
開幕早々、不機嫌な口調でまくし立ててくる。カガラさんへの苦情をうっかり俺に繋いでしまったのかと思ったが、そんな間抜けな話は流石に無いと思いたい。
『あの……なんの話ですか?』
『ふざけんな。こっちが必死こいてミシャーナ探してる時にてめえは呑気に遊んでやがる! 何してんだてめえは……いや、てめえらは!』
『……デートですけど』
『―――ですけど、じゃねえよ。てめえらは気付いてねえだろうが、ミシャーナの目撃情報が揃いつつある。人が集まってくるぞ。そこで馬鹿みてえに遊んでるのも良いがちったあ考えろ』
電話口から離れ、未紗那先輩に視線を向ける。
「…………私は、いいですよ。楽しかったですし、君に付き合うと決めましたから」
「……つっても、他に何処へ行けばいいか思いついてないんですけどね」
革新的な発想だっただけに、同じような案がポンポンと出てくる訳がない。だから革新なのだ。自分一人では限界があるのかもしれない。何か案をくれるような優しい人が居ないだろうか。先輩には任せたくない。今は俺がエスコートしているので、そこは勘違いしたくない。せっかく頼ってもらっているのにあんまりだ。
『ハイドさん。良いデートスポット知りませんか?』
『………………知らねえよ。出来るだけ手は貸すと言ったが、てめえのデートはてめえで考えろ。一つだけ言うなら東……土手の向こう側の方向はやめとけよ。こゆらー共が探し回ってる。うちの部下も仕事にかこつけて動いてる。殺すのは勝手だが……程々にな。クデキに直接出向かれたら終わりだぜ』
『貴方何処に居るんですか?』
『何処でもいいだろうが。俺には俺でやる事があんだよ。じゃあなバカップル』
相変わらず優しい人ではあったが、同時に終始不機嫌のまま電話が切れてしまった。未紗那先輩と再度顔を見合わせて、笑い合う。怒っているのになんだかんだで心配してくれている所が、どうにもおかしくなってしまった。
「てめえのデートはてめえで考えろって名言を言われました」
「珍しく良い事を言ってくれましたね。さあ式宮君。次は何処へ行きましょうか」
人が来ない内に、考えたい。いつまでも土手に居たら発見される可能性もあるので、俺たちは速やかに住宅の裏道に身を隠す。
「カップルなんて……………………ふふ。ハイドさんったら」
……何処に行こうか。
何をとち狂ったか、学校に来てしまった。
ハイドさんの言う通り未紗那先輩を探す人が増えてきたので、それを避けようとして随分と蛇行した。バッティングセンターやボウリング場も候補だったがお店の人を殴り倒すのは如何なものかと思い、足を止めた。
「な、なんで……こゆるちゃんを殺したのはそい……」
「俺だって言ってんだろうが!」
包丁を片手にうろついていた中年の男性を殴り飛ばし、奪った包丁で首を切るフリして見せて気絶させた。道路に面した場所にも何回か出たのでそのせいだろうか、SNSには先輩の情報が垂れ流されており、敵と遭遇する事が増えている。もう何人も殴り飛ばしたし、拘束した。
それでも一向に、俺の名前は出てこない。
だから誰も俺が先輩の味方をしている事に気が付かないのだが、これは妙だ。何が起これば意図的に俺の情報が消えるのだろう。助かっていると同時に気に食わない。まるで何者かが俺を共犯にしたくないみたいではないか。
そんな余計なお世話は今すぐに辞めてほしい。誰だか知らないが、共犯も何もこゆるさんを殺したのは俺なのだから。
「ここ、行き止まりみたいなものでは?」
「いや、大丈夫ですよ。学校は休校中です。こゆるさんを殺した奴を見つけて仇を取るまではって生徒が団結したんで。今はもう十時ですか。でも見てください。ガラガラでしょ?」
「……こゆらー。隠れているのも含めて何人居たんでしょう」
「―――俺以外の全員って考えてもいいんじゃないんですかね。特に男子はファンじゃない奴を探すのが難しかった覚えがあります」
「君は……いえ、何でもありません。推してたら殺しませんから」
「先輩だったら遠慮なく推すんですけどねッ」
「か、からかうのはやめてください!」
カガラさんが俺を弄ろうとしてくる理由が分かった気がする。これはなんて、楽しい話し方だ。まるで自分が上の立場に居ると錯覚出来るから話しているだけで優越感がそれとなく湧いてくる。先輩が小学生だから実際目上なのも相まって、物凄い満足度だ。
「それで、ここに来ても遊具はありませんよ? 少なくともこの高校にある遊具らしき遊具は鉄棒だけです」
「いやあ~ずっと前からやりたいと思ってたんですよね。今だけしか出来ない遊具というか……遊び方が実はあるんですよ」
俺はそう言って、早速校舎の壁に手を掛けた。登攀には慣れていないが、これだけとっかかりがあるなら大丈夫だ。
「屋上はどうせ鍵なんか掛かってませんし、学校探検しましょうよ。今だけは俺達の物ですから」




