守りたい、その笑顔
現実は、ままならない。
俺はただ、先輩に幸せでいてほしいだけ。マキナに元気でいてほしいだけ。カガラさんにも今まで通りでいてほしいだけ。牧寧はこゆるさんを追っかけて、諒子には隣にいてほしいだけ。たったそれだけの話が、何故こうもままならない。善意に満たされた善人だらけだった世界でさえも、どうしてなしえない。
平和であってくれればいいだけなのに。周りが幸せでいてくれるならそれでいいのに。理不尽ではないか。誰一人、何一つ救えていないではないか。何がメサイア・システムだ笑わせる。誰か一人の願いくらい叶えてあげられなくて何が救世主だ。
「で、デートと言いましても……このような早朝に行ける場所は限られていませんか?」
「公園とかあるでしょ森の中とか海とか。自然由来なスポットだったら時間帯なんてそれほど関係ないです。多分」
「海は少々時間がかかると思いますが……それに、いかに早朝で人通りが少なくともそういう場所にはどうしても他の人が―――」
「いるからなんだっていうんですか?」
流石にデートでジャージ姿は嫌だという事で、先輩は上を脱いで真っ白いシャツ一枚になっている。誘ったのは俺だが気の張り方は俺の比ではない。一応学生なのだからジャージ姿もそれはそれで似合っているのに。
「……式宮君。私、指名手配犯なんです。メサイア・システムも事態鎮静の為に私を探しているでしょう。波園こゆるさんのファンが全国に何人いるでしょうか。警察だけじゃない、私はこの国のほぼ全ての人間に狙われています。ほんの少しばかり指名手配になっただけの君と一緒にしないでください」
「だから?」
「だから……って。私、もう戦えないんですよ? ただリンチされるだけならまだしも、式宮君はどうするんですか? 殺されますよ」
「俺が代わりに戦うって選択肢はないんですか?」
ちらほらと早起きな人間の姿が見えるが、彼らはこちらを認識していない。話を中断されるのは面倒なので極力避けて歩いておく。わざわざ用あって公園に向かうような人は……いないとは言い切れないが、今日はいなかった。
「先輩。俺だっていつまでも守られるばかりの後輩じゃ居られないんですよ。もう戻れない。この悪化した視界も、人を殺す前にも。もう。確かに俺は弱いです。マキナにも勝てないし先輩にも勝てない。カガラさんにだって、まあ勝てないと思います。でも…………大好きな先輩一人守れないで、俺に一体何が出来るんですか?」
先輩は大きく目を開いて、頬を染めている。別に、恥ずかしがるような事は言っていない。俺はただ、自分のエゴを貫きたいだけだ。それの何が悪い。何処に問題がある。立ち尽くすばかりなら奪われるだけだというのに。
「せめてデート中は……俺が守ります。先輩にはデートを楽しんでもらって、死ぬなんて阿呆らしいなと思ってもらいたいんです! だから先輩は……何も気にする必要なんてないんです。か弱い先輩は黙って後輩に守られてればいいんですッ」
「…………ぁ…………うう。は、恥ずかしくないんですか? そのような出来もしない事を言って」
「えーいネガティブが目立つ先輩なんて見てられません! さっさと童心に帰りやがれこの小学生!」
「きゃあ!」
ブランコに押しやると先輩は座席に尻餅をついた。勢いがついていたのでそのまま鎖が動いて遊具が揺れる。俺も隣の席に乗って、昔を思い出しながらブランコを漕いでみる。勢いのつけ方を忘れた。
何やら先輩にため口をきいた気がするが努めて無視をする。未紗那先輩は流石小学生というべきか俺より何倍も上手くブランコを漕ぎながら、涙目になって俺を睨んでいた。
「あ、危ないじゃないですか! それに今小学生って……!」
「事実でしょうが! 本当、知った時はドン引きですよ。なーに高校入ってるんですかこの国に飛び級制度は存在しませんよ!」
「い、いいじゃないですか別にッ。君の高校の制服は可愛かったんですから!」
「何が制服ですかランドセルでしょうが! 今から買いに行きましょうか、めっちゃ高いの知ってますけど買いますよ俺は! 貴方にランドセル背負わせますよ!?」
「何の脅しなんですかそれは!?」
ムキになって反論する先輩と、目的不透明な俺の口論は不毛を極めた。互いに理論的な部分が存在せず、感情だけがぶつかり合う。朝っぱらからこんな会話をしている奴には近づきたくないだろうこれも俺の作戦だ。
それは嘘だが、この会話を聞いて指名手配犯に直結する事はない。白熱する口論に合わせてブランコも加速していき、遂には上昇点で鎖が撓むようになったし……
「先輩ってブランコ一回転させたいって思った事ないですか?」
「……危ないですよ?」
いつの間にか仲直りしていた。あまりにもどうでもいい喧嘩だったので互いに萎えたと言えば状態としては正確だ。
「例えばこの鎖が棒状の物であれば一回転も可能ですが、鎖だと上の部分に絡まりますからね。公園によっては迷惑行為と言いますか、普通に捕まるような。鎖の繋がっている先が可動式なら一応可能になりますが、それはそれで支えに負担がかかるような」
「やっぱ思った事あるんですか」
「………………」
あるらしい。
「やっぱり小学生じゃないですか」
「―――カガラさんかハイドさんですね。はあ。先輩の威厳、台無しです」
「威厳とか、元々ないでしょ」
ガーンという擬音が聞こえてきそうなほど、先輩は大口を開けて呆然としていた。心なしか鎖を握る手の力も緩んでおり、いつ遠心力に体が放り出されるとも分からない。慌ててフォローを入れる。
「い、いやそういう意味じゃなくてですね。別に小学生でも先輩は俺にとって先輩ですから」
「…………もしかしてあの時から知ってたんですか?」
「―――先輩がどんな人でも俺にとっては憧れで、唯一の先輩で―――大事な人ですから。糸込みで、俺は貴方の後輩で良かったと思ってます」
一寸先には糸、糸、糸。『セカイ視』の赤い糸と、『意思』の規定の白と青の糸。空には檻が、地には先輩を起点に赤い糸が張り巡らされている。この頭痛にも慣れてしまった。痛くても気にならない。心底どうでもよくなる。
「…………式宮君」
しかし眩暈だけは話が別で、これ以上は命に関わる。適当な所でブランコから飛び降りると、先回りして降りていた先輩が着地地点で俺の全体重を受け止めた。
「うぇ……!?」
「―――本当に、君は優しい人ですね」
「……人間嫌いの反動ですよ。一度嫌いじゃなくなったら早々止まらないもんです。たとえそれが『なに』であってもね」
「ふふ。本当に困った後輩です。人を見る目がないというかなんというか。私のような人は見放してしまえばいいのに」
「ロクデナシのヒトデナシなものですから。先輩だって俺を嫌えばいいんじゃないんですか?」
「それは……あはは。確かにその通りですね。でも私は」
不自然に、未紗那先輩が黙る。抱擁されているので顔も見られない。分かるのは微かに声が震えている事くらいだ。
「私は…………その…………そ、そ、その。式宮君については」
「あーーーーーーー! こゆるちゃんを殺した奴だ!」
俺の背中側から響いた声に振り返ると、中学生くらいの男の子がこちらを指さしていた。増援を呼ばれるか通報されるかと思いきや、少年はバットを片手に柵を超えて勢いそのままに振り下ろさんとしてくる。未紗那先輩から体を離すと、その狙い方に俺は入らなくなる。頭より高く振りかぶって、今にも先輩の頭をかち割らんとする少年。ポケットからナイフを取り出して、その白い糸を切った。
動きを止めた少年をブランコに乗せて後ろに押すと、鎖は振り子のように動き出す。持っていたバットを奪い、俺はスイングの構えを取った。
「……え。あ、え!」
『自ら』行動を中断した少年には理解が及ばない。分かるのはブランコが前に進んだ時が己の最期だという事くらいだ。目の前には今にもバットを振りぬきそうな俺が立っている。突然の出来事で体が動かない。
「そうやって……気軽に殺そうとするなら」
「ちょ、何で―――!」
「自分が殺される事も視野に入れろよ!」
バットを、力の限り振り抜いた。




