未来への復讐
「いっちにーさんし、にー、にっ、さんし」
「…………」
なぜラジオ体操をしているのだろうか、と。付き合っている手前言い辛いが、本当に何をしているのだろう。早朝も早朝だから人がいないのは結構だが、指名手配犯がやるべき事ではない。一刻も早く流れを無視して問いただしたい所だが、楽しそうにする先輩を見ると空気を壊せない。
『―――本当ですかッ? ありがとうございます。物は試し、言ってみるものですね!』
俺は、先輩の笑顔が好きだ。この人が笑顔でいてくれると凄く安心する。穏やかで、平和的で、あきれ返る程気が抜けていて。この人が笑っている限りは平和を実感出来る。実際が小学生でも何でもこの人は俺にとって唯一の先輩だ。俺はこの人の後輩で良かったと思っている。
「はい、お疲れ様でした。学校には行けないのでこの服を着る事もないと思っていましたが、しようと思えばいつでも着られるのはジャージのいい所ですね」
「じゃあ下も体操服なんですか?」
「それは流石に……一応白い服ですけどね」
先輩はジャージのチャックを下ろして、中に着た真っ白い服を見せつける。実際は小学生ならゼッケンのついた体操服を着てくれていたら、胸に押し出されてぐにゃぐにゃにゆがんだ『みしゃな』の文字が見られたのに、と若干残念がる自分がいる。言ったら嫌われるだろうか。今の先輩は妙に怪しい雰囲気があるので、嫌われてもいいから目を離したくない。明るいけれど、その明るさがかえって不穏なのだ。
「先輩のスタイルって、『生命』の規定でどうにかしたんですか?」
「いえ、特には。カロリーを調整する時や月経の際に頼る事はありますが、基本的にはノータッチで。突然どうしたんですか?」
「いや、発育が良すぎないかなって……」
小学生の癖に、という枕詞は言わないにしても、流石にデリカシーがなかった。先輩の目線が可愛い後輩を見る目から変態を見る目に代わっている。
「……式宮君? あまり女の子にそういう事を言うものじゃありませんよ。キカイにも同じ事を言っているんですか?」
「いや、アイツには言えないかなあ……」
かえって大火傷する確信がある。先輩はラジオ体操の曲を流していた携帯を回収すると、俺の額をちょんと小突いた。
「では、私以外には控えるようにして下さい。仲の良い子がこれからできたとしても、すぐに嫌われますよ?」
「は、はあ」
「発育については、ハーフだからじゃないですかね? 篝空さんだってスタイルは良いじゃないですか。良くなかったらゴスロリ服なんて着こなせないかもしれませんが」
「え? ハーフなんですか?」
全く気が付かなかった。外人というか人外なマキナが傍にいるせいだろうか。それだけで納得出来るスタイルではないような気もするが、カガラさんを引き合いに出されると弱い。確かにあの人もモデルみたいなスタイルだ。ハイドさんがわざわざI₋nと呼んでいる所から―――コードネームなのかもしれないが、外国人と言われたらそれはそれですんなり納得はいってしまう。
だからってこゆるさんより出る所が出ているのはどうなのだろう。本人が気づいていないだけで『生命』の規定が影響を及ぼしている説をやはり推したい。
朝の体操も終わって、未紗那先輩がどこかに歩きだした。ここで帰ると二度と会えない気がするので付き合う。まだ朝の五時だ。
「ずっと気になってたんですけど、カガラさんってなんでI₋nって呼ばれてたりするんですか? いや、偽名だってくらいは分かりますけど」
「…………二人には内密に頼みますね?」
先輩は身を翻すと同時に俺の手を取って、どこかへ向かうよう小走りを始める。
「篝空さんが偽名なのはその通りですが、そもそもあの人に本名なんてものはないんですよ」
「どういう事ですか?」
「詳しくは本人やハイドさんに聞いていただきたいのですが、あの人はそもそも幻影事件で家族を全員失って、記憶喪失の状態なんです。だから幻影事件の事は何も知りません。知識の上で聞いた事をそういう物として認識しているだけなのです」
「……記憶喪失の割には、いろいろと流暢じゃないですか。もっとたどたどしいものだと思ってたんですけど」
「記憶喪失と一口に言っても色々あります。その中でも篝空さんは特殊で、人格が破損しているような状態なのです。簡単に言ってしまうと―――ゴスロリ服を着ている間だけ、人格が正常に成立している、と言いましょうか」
だからハイドさんは焦ったのか。
あの人がゴスロリ服しか着ないのは、それしか着られないからなんて。それを見破れという方が難しい。本人も気にしている様子はないし、実際あのファッションを好んではいるのだと思う。
「あれ? でもお風呂に入る時とかは絶対に脱がないといけませんよね?」
「そこは介護と同じです。以前はハイドさんがやっていたようですが、相棒になってからは私が。どうしても外せない用事がある際はハイドさんの直属の部下が。とにかくゴスロリ服を着ていない時のあの人は肉人形も同然です。人格を失って、ただ生きているだけという状態ですから。それで、本名の話ですけど―――重要書類を盗み見た程度なのであやふやな部分もあるのですが」
自販機に到着。先輩は適当に飲み物を購入して俺に水をくれた。隣にあったベンチに座り、二人して気持ちを落ち着かせる。
―――切り出すタイミング、失ったな。
先輩に何をするつもりなのかを尋ねようと思ってカガラさんの事を聞いたのに、想像以上の事情を聴かされて動揺している。どうでもいい話題として流せるような話じゃない。俺にはどうする事も出来ないし……どうしたってカガラさんの家族が帰ってくる事はない。
「家族を失ったと言いましたが、そもそも本当の家族ではなかったようです。どうも監禁されていた所を更に巻き込まれたらしく。その時からゴスロリ服を着ていたらしいので、あれはそもそも篝空さんの趣味というよりはあの人を監禁していた男の趣味だと思われます」
「…………その、監禁してこない方の家族は?」
「それが見つからなかったみたいです。人格にしても服を脱いだ程度で消える軽い人格なので、生来の物かといわれると怪しくて―――監禁された際に『教育』された結果なのではないかと」
―――!
「じゃああの人の本当の人格は何処にあるんですか?」
「さあ。とっくに消えてしまったか心の奥底にでも眠ったのか。どれくらい正しいかは本人かハイドさんに聞いてください。まともな教育を再度施したのは全部あの人です。丁度いい手駒が手に入って助かったなんて喜んでましたが―――本当に、手駒だって思ってるんでしょうか。それにしては気にかけ過ぎです」
「惚れてるとか?」
「それはないですね。カガラさんには全く手を出していないので。ただまあ……家族くらいには思っていても不思議ではないですが」
二人の関係性を台無しにしてしまう様な情報ばかりで、成程確かに言わない方が良さそうだ。二人の事を語る未紗那先輩の口調はどこか楽しそうで、羨ましそうで―――寂しそうで。思わず手を触ると、先輩の腕がぎゅっと強張って、それから指だけを重ねてきた。
「―――私、家族を幻影事件で失ってます。だから、ああいうのを見ると、羨ましいです」
「先輩は違うんですか?」
「私は……自分だけは失いませんでしたから。何もかもなくなったからこそあの人にはあらゆる物が与えられた、と言ってもいいかもしれません。私も家族が欲しいです。できれば善意ではなく、きちんとした関係として」
でも、と先輩は自分の言葉を区切って、清涼飲料水に口をつけた。
「私にはもう、幸せに生きる権利はありません。騙されていたとはいえ、私は多くの人を殺したんですから」
「……! 先輩、何をするつもりですか?」
「今からクデキさんの所へ行って、彼を殺そうと思います」
マキナと違って未紗那先輩にはツテがあるから、簡単に会えるだろう。まして今は指名手配中だ。自首という形になるが会いに行く事は可能な筈。先輩の強さは俺もよく知っているので、全く無謀な挑戦とは思いたくないが、同時にキカイの強さも知っている。そのデタラメをあまりにも知りすぎている。
「私、篝空さんの電話を盗聴しているので、君とあの人の会話を全部聞いちゃいました。残りの部品はクデキさんが持っているそうですね。これまでの事件がすべて彼のせいなら、殺してしまえば一先ず世界は落ち着く筈です。もう一体のキカイについては君に任せるとして……それが私なりの償いです」
「……やめて、ください。相手、キカイですよ? 俺はアイツと過ごしてよく知ってるんです。いくら先輩が強くても……あんなふざけた奴と戦ったら、死んじゃいますよ?」
「………………」
先輩の手を掴む。今度は配慮とかではなく、どうしようもない俺のエゴだ。マキナにしかやらないくらいの力で掴んでいる。先輩は一切抵抗しない。
「離してください。そろそろ行かないと」
「行かせません。俺は先輩に死んでほしくないんです」
「…………償いすら許さないなんて、君は酷いですね」
「死ぬ以外に償いがないなんて言わないでください。死んだら恨みます。先輩を一生恨み続けます。毎日毎日墓の前で恨み言言います」
「……は?」
「死んで楽になろうなんてやめてください。先輩が死んで他の人が許しても、俺は絶対に許しませんから。その償いはどうするつもりですか? もう死ねませんよ、俺に対してはほったらかしですか? 先輩にとって俺は、周りの人間よりどうでもいい存在ですかッ?」
ぐいぐいと顔を近づけてまくしたてる。先輩は困惑から体をどんどん押されて、ベンチの上で押し倒されたように寝転がる。
「じゃ、じゃあ君はどうすれば許してくれるんですか!? 私だって必死に考えたんですッ。考えて考えて、これくらいしかないって思ったのに!」
「デートしましょう、先輩」
篝空さんとの待ち合わせまで、時間はある。何をしようか悩んでいたが、ようやく使い道が決まってくれた。那由香の事は気がかりだが、今はこの人の方が心配だ。牧寧が保護してくれている現状と比較して、先輩は自ら孤独に突っ切ろうとしている。
糸を視て負担がかかろうとも、俺は彼女の瞳から目を離そうとしなかった。
「今の先輩は、やけっぱちになりかけてた俺と同じです。だから先輩の数時間……俺に下さい。絶対先輩を楽しませて、死にたくないって思わせるんで」
「し、式宮君……? 今日は強気です……ね」
「強気にだってなりますよ! 勝手に俺を助けて自分は死にますって貴方は馬鹿か! そんな救い逃げは許しません! 俺だって力になりたいですよッ。先輩が身代わりになってくれなかったら俺はもう二度と妹に会うどころか人間社会にも入れませんでした! だからって先輩が代わりに追放されるのは許せない! ああもう、指名手配とか何でもいいです! 俺たちは指名手配仲間です! こゆるさんを攫って指名手配、こゆるさんを殺して指名手配! もう理由とかなんでもいい! どうでもいい! 俺はただ貴方に―――」
「幸せになってほしいだけなんですッ」




