ネガイを濯ぐ贖い
「え? 捕まったの?」
見慣れた会場、広々とした空間に犇めく私のファン。怖気が奔るような好意と下卑た視線ばかり向けてくる最低で醜悪なファンでも、ああ。今は最高。私の大切な、大好きな、他の誰に置いても、何を差し置いても一番大好きな男の子を連れてきてくれたから。心から有難うって言ってもいい。そんな物で満足してくれるなら幾らでも。有珠君を連れてきてくれるなら何でもいい!
「連れてきてくれますか?」
「はいッ!」
「うすッ」
皆に好かれる為に頑張ってきた。
私が自分を見直せるように頑張ってきた。ここに集まった何千人かのファンはもうずっと私の虜だ。少し甘い言葉を掛けてあげたら何でも言う事を聞いてくれる。私は色んな人からちやほやされるようになった。国民的アイドルなんて呼ばれて、女の子からも人気がある。そんな私に隙はない。私は女として完璧の筈で、私が言い寄って堕ちない男は居ない。
それは有珠君だったとしても変わらない筈なのに。おかしい。
有珠君は、私に靡かない。他に見惚れてる人がいるからなんて。そんな理屈にもなってないような事を考えてる。私、アイドルなのに。誰もが可愛いと思うようなトップアイドルなのに。堪えられない、信じたくない。私に靡かない男の子がいるなんて。
でもそういう人だから、私は有珠君が好き。私をキライで居てくれたから、味方だった。私に興味が無かったから、守ってくれた。悲しくて、苦しくて、それでもやっぱり嬉しくて。私にとって有珠君は特別な存在だ。
欲しい。
どんな手段を使っても、何を捨てても欲しい。私が私を好きになる為には、きっとこの想いを成就させるしかない。興味も湧かない何なら気持ち悪いとさえ思える男性の関心を買ったって虚しいだけ。満たされないまま生きるのは、もう嫌。
「……有難うございます。廉次さん。協力してくれて」
「何を何を。私はただ困ってる人に力を貸すのみ。誰かを救うのが趣味なのです。最早その立場がどうなろうと構わないというのであれば必ずやその犠牲に見合った結果が貴方を迎える筈です」
「ええ、そうですよね」
ドームの中心で私は彼の到着を待っている。本当はコンサート用の設備でもあれば良かったんだけど、廉次さんのアドバイスで急遽来訪したから本当に殺風景。でもこれはこれで、素朴な感じがする。私は有珠君の心を手に入れる為ならアイドルを辞めたって構わない。なりふり構ってなんかいられない。わざわざ純白のドレスを着たのだって、心情的に逃げられなくする為なんですから。
―――有珠君。
世界で一番、貴方を想ってるのは私。
私以上に想ってる人なんて、居ないんだ。
「…………有珠君。これで分かった? 私がその気になれば、町中を歩くなんて出来っこないんですよ?」
ファンの二人がようやく有珠君を連れてきてくれた。ついでに彼の友達を名乗る病弱そうな女の子も。そっちはどうでもいい。けどその鋭い目つき、長い睫毛、私の顔を捉える黒い瞳。別人なんてあり得ない。ここに居るのは有珠君なんだ
彼は両腕を拘束されたままでもギロリと廉次さんの方を睨みつけて、それから優しい視線を私に向けて言った。
「…………なあこゆる。俺も穏便に済ませたいんだ。妹がお前のファンでさ―――別に俺が我慢すりゃいい話だ。何とか和解出来ないか? こんな事さえしないなら俺は仲良くしてもいいと……思ってるんだけど」
「和解って。まるで有珠君と私が喧嘩してるみたいですね。全然違うのに。いい、有珠君。これは告白。アイドルが一般人である貴方に告白してるの。話がズレてるんだよ、受けない選択肢もないし、和解なんてのもない! 私の告白―――受け入れてくれませんか? 私だって殺したくないんです」
廉次さんから受け取ったナイフを片手に、有珠君の喉元に突き付ける。友達の子が反応するかと思ったらそんな事はない。むしろずっとぐったりしてる。殺しちゃったのかな。
「私、素人だから痛いよ。有珠君痛いのは嫌でしょ?」
「…………なあ一つだけ聞かせてくれよ。俺を殺したら本当に生き返らせてくれると思ってるのか? 何でもありの力なんてあると思ってるのか? 考え直してくれ。俺の事を好きだって言ってくれるのは……悪い気分はしないよ。けどそう言っておいて俺の言葉には耳を貸してくれないのか?」
「有珠君だって私の言葉を聞いてないよ」
「…………脅しを最初にしたのはそっちだろ。無警戒で聞けないよ」
「だって、分からないから! どうやったら有珠君は私を好きになってくれるのか、ぜんっぜん分からないんだから! だったらさ……頼るしかないじゃん。私と有珠君を引き合わせてくれた人にさ!」
「…………」
ナイフを首筋に当てる。それだけで私には噴き出す鮮血の錯覚が感じられた。ああ、殺したくない。万が一にも生き返らなかったらなんて、そんな事を考える自分が居る。試したい。廉次さんの発言が本当なのかを。疑っている訳じゃないけれど、それが可能なのかを。必然、この手に握る刃物の行方は彼の友達に向かった。
「私の恋人になるなら、女友達なんていらないですよね? こんな病弱そうで今にも死んでしまいそうな子はタイプじゃないでしょ? 有珠君を私のモノにする前に、実験しないと。有珠君の言う通り、廉次さんが嘘を吐いてる可能性あるもんね」
「私は嘘など吐いていないのですがねえ……」
「やめろ。諒子に触るな」
その瞬間、明らかに有珠君の瞳に生気が戻った。それとなく生きるのを諦めていた顔には、刺々しい元気が芽生えている。
私は廉次さんからマイクを受け取ると、スイッチを入れてドーム全体を通して尋ねた。
『じゃあ! 式宮有珠希君! 私と付き合ってくれますか!?』
どよめく会場、注がれる無数の視線。こゆらーを名乗るファンの視線は全て彼に注がれた。その答えに拒否権はない。私が殺せなくても、告白を拒否した彼を周りは許さない。ここまでしてようやく、私の告白は成功する。
「………………だよ」
『はい?』
私がマイクを使っている関係だ、有珠君の返事が聞こえない。試しにマイクを口元に近づけると、彼の意思はこれ以上ないくらいハッキリと響き渡った。
『お断りだって言ってんだよおおおおおおおおおお!』
数多ものこゆらーをすり抜けてこゆるさんと話をする為に、俺はマキナに『愛』の規定を使用してもらった。その辺りに居るこゆらーをそれで洗脳し、捕らえたという口実で中心部まで近づくという戦法だ。自分が持っていた部品の癖にいまいち警戒していなかったお陰で難なく近づけたが、結論から言うと和解は不可能になった。
「…………もう、信じられないんだよ。脅された時から」
「…………」
「いつまでもいつまでも弱みを握られる気分だ。こんな所で恋人になって何になる? 親密な関係には気兼ねなさが居るだろ。お前と付き合うくらいなら諒子を選ぶ。何故ならお前は単なる知り合いで、こいつは俺の大切な友達だからだ」
言い出したからには、言葉を濁さない。目の前でこゆるさんが泣いていようと、廉次が厳しい表情で一連の流れを見ていようと、これは俺の意思だ。何者にも操られていない正真正銘の本心。
「そう、なんだ」
彼女は飽くまで涙は拭わず、再びナイフを手に持って―――諒子へ突撃した。
「じゃあ私の有珠君を、返してもらわなきゃ。返せ。返せ返せ返せええええええええ!」
こゆらーに両手足を拘束された状況で、刃物を避ける術などある物か。ただしそれは、何の策もなしに捕まった場合の話。
そもそも俺達は、捕まっていない。
こゆらー達が俺達の身体を解放すると同時に諒子を引っ張って攻撃を回避。こゆるさんは信じられないような眼でファンの男達を見ている。
「………………ちょっと。何でですか?」
こゆらーの二人がダッシュで逃げていく光景も、諒子がじりじりと後ろに下がっていく瞬間も彼女は気にしていない。ただひたすら、目の前の全てが信じられなくなったみたいに放心している。
「『愛』の規定だよ。そこの廉次がお前に渡した力だ。さっきの二人は俺達の言いなりだ。俺は単にお前を説得したくて、わざわざ捕まったフリで来ただけだよ。でも……無理だったな」
ポケットからすっかり愛用になってしまったナイフを取り出して、こゆるさん―――ではなく、廉次の方へ向ける。
「お前が降伏してくれるなら、苦労しないで済むんだけどな」
「……私にはまだ使命があります故。より多くの人を救う。より多くの人生を幸せにする。その為にもこんな所で死ぬ訳にはいきません。そもそも、貴方に私が殺せるかも疑問ですが。では波園さん。私はこれで失礼します」
「諒子、追ってくれ」
「……ああッ」
観客席を乗り越えて走り去る廉次と、それを追う諒子。無数のこゆらーに揉まれながらも何とか追跡は継続していた。
『…………何を無視してるんですか! 皆さんはその子を殺してください!』
マイクでファンを焚きつけようとするこゆるさん。しかしながらこゆらーは誰一人として動こうとせず、むしろ異物を見るような眼で偶像を見ていた。
「……なあこゆる。もう善意の殺人を平気でやってくれる認識はなくなったんだ。あいつらが俺を殺そうとしてくるのは俺が家に押し入ったって事になってるから。自分の好きな物穢されたら、まあ過激派なら怒ると思う。でも諒子は一緒に居ただけで、殺したいのはお前と廉次くらいだ」
これが兎葵なら目の前で彼女を殴った前科があるので命令されるまでもなかっただろう。しかしそうではない。そうはならなかった。
「確かにお前は国民的アイドルだ。ファンの一人や二人を骨抜きにして従順な駒にするなんて訳ないだろうさ。でも一斉にこんな短時間で服従させるような力はない。今のこゆらーにとってお前は無実の女の子を殺せと命令する危ない奴だよ。だから誰も動かない。ファンが嫌いだからって顔を見てないのか? よく見てみろよ。全員が、それぞれ違う顔してる。お前に対して、マイナスイメージを抱いてる」
夥しい糸。意思。俺には手に取る様に会場の雰囲気が分かる。困惑や失望を筆頭に、こゆるさんに対するポジティブな感情が消えつつある。胸からせり上がってくるような吐き気と引き換えにまだまだ情報は伝わってくる。けれどその全てがこゆるさんに対してマイナスな物ばかり。選別する意味もない。
「大好きなアイドルを守る名目があったからこゆらーは従順だっただけだ。東京ドームを急遽貸し切れたのだって関係者が全員こゆらーだからだろ。こゆるちゃんの為なら何でもする? 違うな。アイドルはファン全員の恋人だろ。お前の身に危険が迫ってるなら犯罪も厭わないかもしれないが、流石に一方的な犯罪の片棒を担ぐ気にはならないだろ」
アイドルとしての誇りも。
人気者という自覚も。
女性としてのプライドも。
全てをボロボロにしてしまったが、それでも俺は説得を諦めない。和解が無理なら今回の一件を決着させる。未来永劫この件で牧寧に責められたとしてもいい。俺なりの最後の一線だ。
「廉次は死ぬ。確実にな。もうお前に願いを叶える術はない。アイドルとして致命的な失言もしたし……もういいだろ。もうやめよう。こんな事。俺はお前を…………殺したくないんだ」
「…………ころ、す?」
「殺されるくらいなら―――殺す。だって死ぬのは嫌だからな」
そして殺人を全てマキナに擦り付けるのはもっと嫌だ。こゆるさんとの火種は俺が原因で生まれたような物。それくらい、せめて自分で片を付けないと。
「ふふ、ふ。ふ、ふ、ふ。 何で殺せるなんて思ってるんでしょう。おかしいね。おかしいなあ」
刹那。
東京ドームを埋め尽くしていたこゆらー全員の首が、刎ね飛ばされた。噴き出した血液は不自然に吹き上がってこゆるさんの頭上へ。頭から滝のように血を被り、真っ赤になったこゆるさんは嬉しそうにナイフを構えた。
「…………こゆる」
「話し合いでどうにもならないんだから、殺し合わないと。有珠君を殺しちゃえば私の物になるんですから!」
大量殺人犯にまで成り下がってしまったアイドルに会わせる顔が無い。何もかも俺のせいだ。マキナが俺をおかしくしたように、俺もこの人をおかしくしてしまった。そしてマキナと違って、最悪の方向に導いてしまった。
けじめを、つけないと。
「―――――――分かった。お前を止める為に殺すよ」
俺が。
殺してやらないと。
次回で章終わりです。




