パラレル・ラビット
マキナと奇跡的に合流出来た流れを無駄にしてはいけない。一先ず安全な場所へ移動したい旨を告げると、彼女は直ぐに俺達を抱きかかえて跳躍。入居者の決まっていない店舗の屋上に移動した。道中にあったドローンは特にこちらへ手出しした訳でもないのに撃墜されている。まるで空間そのものがキカイに敵対する存在を許さなかったかのようだ。
前準備なしに高速飛行した反動で乗り物酔いならぬマキナ酔いでダウンしてしまった諒子を尻目に、彼女は俺に向かって滑らかな手を差し出した。
「はい」
「……ん?」
「私の部品を盗んだ奴の写真とかないの?」
「…………そんな暇なかったんだ。でも見たら直ぐに分かるし、何人も居るような見た目でもないぞ。顎の傷と髪にメッシュは若者にも老人にも未来永劫そこまで流行る事のない組み合わせだからな。いやマジで、俺が今挙げた特徴だけで見つかると思う」
「そうなんだ。じゃあいいわ。有珠希がそう言うなら私でも分かるでしょうから。さてと、無関係な人を巻き込まないようにってのも難しいわね。有珠希が告白を断ったからこんなに敵が居るんでしょ?」
「…………だからって東京を更地にするとかやめてくれよ。流石に限度があるからな?」
「……そっちの方が楽なのになー」
冗談じゃない。幾ら何でもやっていい事と悪い事がある。マキナと合流できたなら戦力差はとっくに逆転済みだ。強者の余裕となじられてもいい。流石に無関係な人物も含めて全てを消去するというのは極端も極端。それが最善と認められる終末世界に生きた覚えはない。
「一つ気になってるんだけど。いいかしら」
「良くはない……けど。何だ? 頼むから過激派になるのだけはやめてくれよ」
「こゆるって奴とは、どういう風に収めるの?」
敵意も殺意も嫌味もない。純粋に疑問を感じているようだ。ずっとダウンしている諒子の背中をぺしぺし叩く気遣いまで見せている。答えないでいると今にも瞳の中にクエスチョンマークが浮かんできそうだ。
「どうって。意味が分からないんだが」
「告白を断ったのよね。有珠希はその子が好きじゃないって意思表明したんでしょ。そしたらその子が自分を好きな人を使って貴方を捕まえようとしてる。今の状況ってざっくり表したらこんな感じだと思ってるんだけど、合ってるかしら。間違ってるなら訂正を入れてほしいんだけど」
「大体合ってる……あー、一応お前の部品持ってる奴の力を当てにしてるっていう前提はあるかな」
「前提は何でもいいわ。でもそうね、バックアップがあるなら猶更かな。貴方は穏便に済ませたいって言うけど、その子が妥協しなかったらどうするの? 規定でどうにか出来るか出来ないかは置いといてね、ここまで強引な方法を取るんだから話し合いで解決するとは思えないの」
「…………」
それは今も考えているが、そう簡単に名案は浮かんでこない。名案なんてないのかもしれない。こればかりはマキナの力にも頼れない。キカイの力はとにかく解決したい時には使えるが、理性的な繊細さを求めようとすると途端に無能と化す。
ようやく諒子がマキナ酔いから完全に復活した。話の流れは全く分かっていなさそうだ。
「なあ諒子。もしお前が、俺を好きだとする」
「―――え!? あ! あ…………もし? あ。うん」
「俺が断りたいと思ってるとする。どうすればお前は諦められる?」
「…………諦めきれない、と思うな。式君は。一人だけだし」
「あー……すまん。お前が特別な奴だって考慮してなかった。マキナ。お前は?」
「絶対に逃がさないわっ」
キカイの細腕が俺の手首を掴んだ。
「……俺の周り、特別な事情を持った奴しか居ないから聞くだけ無駄だったな」
「そうかしら。諦められるって事は他に代わりがあるって事よ。ここまでするんだからその子にとって貴方は特別な存在の筈。私だってそうよ。ニンゲンなんかどうでもいいけど、有珠希は好き! 同列に見てほしくはないけど、貴方にしか務まらない立ち位置なら妥協なんてしようとも思わないんじゃないかしら」
むむむ。
そういう物なのだろうか。女心とは難しい物だ。どう考えても聞く人選を間違えたとしか思えないのだが、言い分を聞くとそこまで間違った事を言っている気はしない。それはそれとして掴まれている手首が痛くなってきた。
「マキナ。痛い」
「あ、ごめんね。代わりに私の手首を掴んでいいわよ?」
彼女の手が離れた手首には心霊現象よろしく指の後がくっきりと残っていた。同じ事を俺にもやれと言われても、鍛えてもない人間には不可能だ。端から無理と決めつけるのは如何なモノかと思ってやってみたが、只々マキナが喜ぶだけだった。
「…………まあ ゆっくり考えるよ。もしかしたら途中で思いつくかもしれない。俺はゆっくり腰を据えて考えるよりその場その場で凌ぐ方が得意なんだ」
「…………穏便に済むなら誰だってその方がいいのよ」
「お前もか?」
「意識して小石を踏もうとしたら疲れるわよ。別に興味なんてなくて鬱陶しいだけなんだから」
「何たる横暴な……まあ俺も頑張ってみるよ。話し合いの席に着いた後の事は気にするな。今はどうやって近づくかだろ。乱暴な手段はなしでな!」
「…………マキナさんには、無理じゃ?」
「リョーコに言われるのは心外ねッ。安全に近づくだけなら手段はあるわよ。ただその為には兎葵に帰ってきてもらわないといけないんだけど、後は盗人の現在位置が分かれば完璧ね」
必要な物を聞くだけで何となく方法が分かったが、それはそれとして条件は満たせていない。情報はカガラさん待ちとして、兎葵とはさっき別れたっきりだ。『距離』を使って逃げ回っているとは思うのだが、あちらも俺の居場所が分からない以上闇雲に走るしかないだろう。視界を共有しているからなんだ。アイツにだって土地勘はない。路地もビルもそこら中にあるのだ。
「手分けして探しましょう? 『距離』を乱用してるなら道路に痕跡が残る筈よ。その痕跡が続く方向を探していけば会えるんじゃないかしら」
身体を動かしたくてウズウズしてるの。とマキナは大きく伸びをして今にも走り出しそうだ。つま先立ちになって眼を瞑り、「ん~」と低い声を漏らしている。真上に伸ばした両手に合わせてつんと尖った胸の先が前に突き出し、腕の脱力に合わせてたゆんと揺れる。
「………………」
これを俺が見る事でまた兎葵が止めに来たりしないだろうかと思ったが現実は甘くない。俺の視界を共有している都合上、兎葵の視野は常人の半分以下だ。さっさと助けに向かおう。
「いや、マキナ。悪いけどお前はここに居てくれないか?」
「えー! 何でよ」
「お前とまた合流するのが面倒だからだよ。後放っておいたら何するか分からない。大人しくしといてくれ」
「有珠希が困るような事なんてしないのになー……」
兎葵はこゆらーをひきつけてくれている。逃げ切っているならいいが、そうでないならわざわざ見つかりに行くのと同義だ。マキナを向かわせた場合、邪魔だからという理由だけでその場にいるこゆらーが鏖殺される可能性がある。それは避けたい。色々な意味で危ない。この社会状勢で大量殺人まで起きたら収拾がつかないどころか第二の幻影事件として騒がれる事も考えられる。
「ま、いいわ。私あの子キライだし、助けに行くのも気が進まなかったのよね。離れ離れになるのは寂しいけど貴方に任せちゃうわ」
「……マキナさんはあの子が嫌いなの、か?」
「んー。時々無性に殺したくなるの。有珠希の前じゃ上手く隠してるけど、私から遠ざけようとする節があってね。一日に三回くらいはどんな惨い死に方をさせてやろうかを考えちゃう♪」
死にたがりの影響か、本当に行動が大胆な奴だ。これは早い所見つけないと。本当に何をするやら。
『距離』の規定は文字通りその概念を操る。例えばこの直線の道路に対して使用した場合、道路を踏みしめる人間の距離、道路全体の距離を操れる。見た目は変わらなくとも概念として距離が変化しているので、見た目三キロくらいある道路でもその気になれば一センチにする事だって可能だ。
糸が視えた訳ではない。全部マキナから聞いた説明だ。
「ああもうなりふり構ってないな」
『距離』の問題は使用者を除いてルール変更が誰にも通達されない事。百メートル歩くつもりがいつの間にか壁に激突する事だってある。だから兎葵も自分の痕跡を使わない使用を控えていた。
それを解禁した結果が、これだ。
いたるところで車の追突事故が発生している。自転車も歩行者とぶつかっているし歩行者はガードレールに激突。横断歩道を走って渡っていた人間はそのままコンビニの硝子に突っ込んで血塗れになっていた。既に警察が到着しており、何台ものパトカーが止まろうとして失敗して、また追突している。
「式君。何か聞こえないか?」
「……何も聞こえない。案内してくれ」
「ああ。分かった」
警察に気を取られている場合ではない。道路に低く張った白い糸を掴んで、案内を受ける形で移動する。『傷病』の時もやったが、糸に触れている間はどうもこういう規定の影響は受けないようだ。
暫く歩いても警察の方の喧騒が煩くて何も聞こえなかったが、奥へ奥へ進んでいくと、段々と諒子の発言が真実味を帯びてきた。
誰かが戦っている。
「……兎葵ッ」
素直じゃないしひねくれているし、牧寧の事を全否定する奴だがそれでも助けずにはいられない。自称妹でも暫定妹でも何でも、年下の女の子も守れないのはどうなんだ。ナイフを片手に声のする方向へ飛び込むと。
「何だこいつ!」
「こ、コイツ! コイツもきっとこゆるちゃんを狙ってるんだ!」
フードを被った男が兎葵を背中に据えてボクシングスタイルで追い返している。謎の男は俺を見るや、彼女の首根っこを掴んで俺の方まで投げ飛ばしてきた。
「きゃああああああああああ!」
「―――はッ! え、ちょ無理無理無理!」
ボールのように投げられた兎葵の重さは数キロでは済まされない。受け止めたはいいが勢いは殺せずそのまま尻餅をついた。こゆらー達が慌てて目標を兎葵に切り替えようとするとその進路を再度男が阻む。
「妹だろ。兄貴が守ってやらなくてどうするんだ。さっさといけ!」
男が一瞬だけ振り返る。赤銅色の髪と真紅の瞳が追い返すように俺達を強くにらんだ。




