剣呑残忍
「…………見つかるか?」
いつかの俺と似たような運用をさせるのは申し訳ないが、俺と違って諒子に掛かるのは見た目の悪さからくるストレスだ。俺のように確実に存在する負荷ではない。なんとか頑張って欲しい所だ。ここは屋上で、ゾンビよろしく犇めく人々を一望出来るのだから。
「…………この辺りにはいない、な」
「そうか……つっても下を歩くのは怖いしなあ」
何食わぬ顔で歩いている人間の誰かがこゆらーである可能性はあるかもしれない。何もこゆらー全員が血眼になっているとは限らない。仕事の合間とかで何となく探そうとはする人間だっているだろう。幻影事件のせいで世界的にも経済という概念に致命的な一撃が入っている。不安の払拭から働こうとする人間は多い筈だ。
諒子はともかく俺の顔は割れているので、そういった面々に見つかった場合も考慮しなければいけないのが辛い所。ハイドさんの作戦だって過激派を吊っただけで消極的な奴等に対しては何も効力を発揮していない。本当にさっきは奇跡だったのだ。
「ここで籠城するのか?」
「無理があるな。移動出来ないんじゃ…………ちょっと待て。隠れるぞ」
「え? え? え?」
困惑する諒子を連れて屋上入り口まで連れていく。慌てて中に入って扉を閉めると、万が一にも住人が用もなくここに来るとは思えないが、一応身を屈ませた。彼女の反応から分かる通り俺が気付いたのは偶然だ。たまたま視界に入っただけ。俺が恐れた物の正体が分からないからだろう、諒子は腕にしがみついたまま固まっている。
「式君。何があったんだ?」
「……ドローンだ」
今は無機物に対して糸が繋がらない。だから本当にたまたまだ。これだけ人が多いと高所からの視点は最早赤色の幕が横断しているに等しい。視界はほぼゼロ。だから諒子頼みだ。長距離上空は視えない近距離にも壁がある。認識出来たのは奇跡に等しいが、文明の利器を使えるのは俺達だけじゃないという考えに至らせてくれたのは感謝しよう。
相手の立場になって考えてみると、これだけ下を探しても駄目なら上に居るのではと考えるのは自然な発想だ。それか上を探すという発想はなかったが、下から探すのは面倒なので俯瞰しようとした可能性。いずれにしても面倒だ。ドローンを無力化したいが、俺にはハイドさんと違って顎で使える諜報員が居ない。
「いっそ見つかるのもあり……って事はないな。あーでも待て。お前の顔は割れてないからお前は行けるのか。諒子、頼めるか? ちょっと傍には居てやれないが」
「あ、ああ。頑張ってみる、な」
ドローンの音が聞こえないのを確認しつつ、彼女を外へ。マキナが見つかるまではここから動けない。こゆるさんに歯向かうだけでここまで居場所が消えるものなのか。平和的解決なんてとてもとても。それこそ俺が俺の全てを捨てればあり得るかもというくらいか。命あっての物種という考え方は嫌いだ。生きていればいい事があるなんてのも、無責任すぎる。俺がここまでこゆるさんに反抗するのは呑む理由がないからだ。最初に出会っていれば、俺を救ってくれたのがあの人なら話は違った。こんな事をする必要もないくらい惚れていただろう。
だがそんなもしもはあり得ない。実際に俺を救ったのは理外の美貌と人智を超えた力を持ったマキナであり、間違っても国民的アイドルではない。そもそもマキナが関わらなければこゆるさんと接点を持つ事もなかった。
だから、この話はあり得ない。運命の赤い糸なんて物はなかったが、俺達は何かの間違いでも結ばれない。
―――どうすりゃ丸く収まるんだろうな。
マキナが不機嫌なら、良い感じにおだてれば何とかなる。でもこゆるさんはそうじゃない。きっと望みを叶えるまで止まらないだろう。廉次をどうにか出来てもあの人が思いとどまらなかったら地獄はこのままだ。
「式君!」
想いに耽っていたら、諒子が飛び込んできた。事情は聴かずとも只ならぬ様子だ。
「どうした?」
「マキナさんが…………ちょっと、止めた方がいい、と思うッ」
「有珠希が何? もう一回だけ聞いてあげる。何? どうするって?」
「ぅ…………ああ…………あ」
「マキナ、何してんだお前!」
諒子は確かに発見したが、その状況は決して穏やかなものではない。路地裏に散らばっているのはこゆらーと思わしき男性。いずれも外傷は見当たらないが意識もない。最後の一人を壁に追い詰めているが、マキナは一切手を出していない。ただし男性の両手足は壁と床に溶接されており、単なる拘束よりも性質が悪い。
「あ、有珠希!」
男性を放置して、マキナが振り返る。無辜の人を叩きのめしていたら割と本気で説教していたが、周囲に散らばっているのは人だけでなく凶器もだ。トンカチとかスレッジハンマーとかノコギリとか。人を探しているとは思えないくらい殺意が高い。
「探してたのよ。兎葵はどっか行っちゃうし、私一人で暇だったんだからッ」
「…………こんな武器くらい何でもないだろ。やりすぎだぞ」
「私が襲われてた訳じゃないわよ。でも有珠希を殺すとかバラバラにして埋めるとか聞き捨てならない事を言ってるんだもの。こんな奴野放しに出来ないからちょっと教えてあげただけ。別に誰も殺してないんだから、そんな怒らなくてもいいじゃないッ!」
どうも俺は相当不機嫌なのかもしれないが、コイツはたった今不機嫌になった。月の瞳に罅を入れて、フーンと口を尖らせている。状況はどうあれ俺の事を考えて手加減してくれたのだ。そう考えると少し頭が冷えてきた。
「……どうやってこいつらは気絶してるんだ?」
「『強度』で意識を強引に落としただけよほら、倒れてる所もちょっと柔らかそうでしょ? アフターケアも万全! ニンゲンにこんな気配りする事なんて初めて。意外と力加減が難しいのよ?」
「………………なんか手間かけさせてるみたいだな。俺の反応を見越してか?」
「ええ、分かってるじゃないッ。貴方の為じゃなかったらこんな回りくどい事絶対にやらないんだから! それはいいんだけど貴方何をしたの? 急に嫌われるなんて妙じゃない?」
マキナは小さく首を傾げながら、上目遣いに俺を見上げる。罅の入った月は忽ち修復し、傷一つない綺麗な色に戻る。
「……こゆるさんに告白された。あれな、『愛』の規定を持ってた人」
「―――へえー」
「ひっ…………」
諒子の怯えた声が何に起因しているかは明白だ。敵意を含んだ笑顔はいつもの華々しさが一転して刺々しくなり、その輝きと併せて直視に堪えかねる。
「それを断ったら、御覧の有様だ。お蔭で俺は全く東京を歩けなくなった」
「…………!」
「何だよ」
「ううんッ? それでそれで?」
「……バックにお前の規定を拾ってばら撒いてる奴がついてた。髪にメッシュが入ってて顎に傷がある男だ。そいつは……まあ交渉の余地とかないだろうけど、こゆるさんとは穏便に済ませたい」
「成程ね。それでにっちもさっちもいかなくなって私を探しに来たっていう事かしら」
「正解、だよね」
「ああ」
「うんうん! 良い判断よ。やっぱり有珠希には私が居ないと駄目みたいッ。うふふ! うふふふふ♪ いいわ、いいわ!」
女心は秋の空なんて言うが、マキナは非常に分かりやすい。ただし分かりやすいのは感情の変化だけで、何処がどうきっかけになったかまでは不可解だ。一瞬不機嫌になったかと思えば直ぐに上機嫌になってもう何がなんだか。
先程まで尋問されていた男が意識を失ったのを見届けていると、側面に回り込んだマキナがそっと囁いた。
「やっぱり貴方は、私だけの味方ね。他の奴に目移りなんてさせないんだから―――」




