アインの方程式
拳銃はさておき、兎葵のお陰で比較的安全に距離は離せた。マキナと合流したいが、アイツの居場所なんて分かる訳がない。五〇〇メートル以内なら叫べば飛んでくると言っていたような気もするが、ここでそんな真似をすれば居場所がバレるだけだ。反応速度だけならマキナも負けないだろうが、それでこゆらーが何人か死ぬのはほぼ確定だ。襲ってきた奴を返り討ちにしただけという言い訳は立つものの、悪戯に被害を出すのはどうなのか。
「マキナさんと電話交換とかしてないのか?」
「アイツ携帯持ってないぞ多分。人間じゃないからな。文明品なんて生活必需品でもない」
俺達が依然として危ない状況なのは変わらないが、それより心配なのはハイドさんだ。片腕がないのもそうだし、俺を助けている暇があるなら自分の保身を優先した方がいいのではないだろうか。幾ら何でも無謀だ。ハイドさんとの協力関係はこゆるさんにこそバレていないし、バレる事も無いとは思うが……不安だ。俺も人の事を気にしている場合じゃないのはそうだが。
プルルルル。
また電話が掛かってきた。今度こそ牧寧かと思ったが、カガラさんである。
『もしもし』
『もしもし? 貴方の頼れるお姉さんのカガラです』
『切っていいですか?』
『ごめん冗談。あの人から話は聞いたよ。町中が敵だなんてやらかしたよねえ。足の踏み場もない東京は地獄だよ。何とか手を貸してあげるから場所を教えてくれる?』
『……こゆらーじゃないですよね』
「アイドルには疎くてね。君と同じ」
俺達は絶賛不法侵入中で、今はマンションの屋上で暇を潰している。その筈だったが、非常階段から悠々とカガラさんが昇って来た時は何の冗談かと疑った。そこは普段使いするべき所ではない。
「……やあ」
彼女の姿を見た瞬間、何故か諒子がガルガルと威嚇し出した。そこまで目の仇にするのかはよく分からない。輪郭が溶けて化け物に視えるのは分かるが、この人は見た目がおかしいだけで基本的に無害だ。
「良く俺達の居場所が分かりましたね」
「私は監視係だよ。さて、監視はしていたがいまいち状況が分からない。簡単に説明してくれる?」
「こゆるさんと廉次……マキナの部品持ちが組んでます。狙いは俺の殺害ですね。俺は廉次さえ殺す……いやまあ殺したくないんですけどそんな温い事言ってられないかなあ…………こゆるさんもどうしようって感じですね。妹がファンなんで殺すとか再起不能とかそういうのは避けたいんですけど、こればっかりはどうにも」
「我儘だなあ。こゆらーが日本中に何人いると思ってるんだか。その司令塔を何とかしなきゃいつまでも生き辛い筈だよ。学校なんて行けなくなるし就職も出来ない。お先真っ暗さ」
「…………それでも話し合いで解決したいんですけどね俺は。こゆるさんは廉次に騙されてるだけです。かと言って降伏は論外ですよ。どうせ殺されるんで。廉次の方は話し合いする意味がないんですから」
だから非常に難しい。そして出来れば廉次殺害はマキナに頼りたくない。アイツに殺してもらう度に申し訳なさが増している。自分の手を汚さないで目的を遂行するのはどんな気分だ。そもそも人間なんてどうでもいいキカイと殺人は重大な犯罪と捉えている俺とでズレが生じているかもしれないが、それでも俺は俺の倫理を大切にしたい。その上で罪を呑み込まないといけない。
まともな人間はキカイの味方をしない。マキナの味方なら、俺はまともであっていい筈がないのだ。
「…………残念ながら私も君の我儘を叶える名案は思い浮かばないな。どうせキカイもこっちに来てるんだろ。合流したら?」
「居場所が分かれば苦労しませんよ」
「事情が分からないなら口出しするなッ」
諒子の口が悪い。
「……因みに。その廉次とやらの使う規定は判明してるかな?」
「口ぶりからすると死人をいい感じに操る物を持ってる可能性がありますね。もしくは殺すってのは言葉の綾で催眠術的な? 持ってるだけで糸は反応しませんよ。もしそうならマキナなんて糸だらけですもん」
「つまり何も分からないって事か。うーん…………場所が分かるなら狙撃してもいいけど。それだけじゃなあ。しょうがない。二人を見つけたら位置情報を知らせるよ」
カガラさんは何処かのお店で買ったケーキを箱から取り出し呑気に手づかみで食べていた。そんな事をしたら当然手がクリーム塗れになる訳だが、彼女は何とそれを俺に向かって差し出してきた。露骨な悪戯だ。既に意地の悪い笑みが浮かんでいる。
「食べるかい?」
「何で手についた物食べるんですか。どうせくれるなら一個下さいよ」
「君がこういうの好きだと思って」
「変態かよ」
「式君がそんな事する訳ないだろ! 離れろ!」
カガラさんが何かするだけで諒子の好感度が下がっている。さっきまで指のあった位置に諒子が噛みついた。人間とは思えない獰猛さに俺もちょっと引いている。多分諒子の前世は犬だ。それも屈強な奴。ドーベルマン的な何か。あれって獰猛だっけ。
「位置情報は有難いんですけど、一人でそんな事出来るんですか? こゆるさんも廉次も多分動いてますよ。こゆらーも内部に多くて無理でしょ」
「うーんそれがさっきこのケーキを買った時にいい感じに協力してくれそうな人を見つけてね。高いデザートを奢ったら協力してくれるって言うからその二人に頑張ってもらうよ」
そんな出会ったばかりの他人を全面的に当てにするのはどうなのだろう。メサイアとか関係なくハイリスクだと思うのは俺だけだろうか。そんな事は気にしないと言わんばかりにカガラさんはケーキを頬張っている。
「…………ま。紗那が居ればこんな苦労はしないんだけどね」
「未紗那先輩と会えてないんですか?」
「東京に来てからはそりゃね。こっちに来てるかどうかも分からない。あの子が居れば強行突破も夢じゃないんだけど。無いものねだりはしてもしょうがないね?」
私なりに頑張るよ、と言い残してカガラさんは来た道を戻ろうとする。努めて気にしないようにはしていたが、あんな姿で公衆の面前に顔を見せるのは如何なものかと思い治して引き止めた。
「ちょっと、カガラさん」
「ん?」
振り返った彼女の口元を手で拭い、持っていたハンカチで拭きとる。
「だらしないです。せめて拭いてください」
「………………」
一瞬、カガラさんの顔が真っ赤になった。
「……ああ。ごめんね。それじゃ失礼するよ」
今度は引き止められたくないのか、小走りだ。そこまで恥ずかしがる事もないだろう。あんな食べ方をしたら誰だって口を汚す。問題はそれに気が付かない事であって、やっぱりあの人は常識からズレている。
「―――あ。いい隠れ場所とか教えてもらうんだった」
「式、君。いい方法があるんだけど」
「おう? ここに来て名案か。何だ?」
「私の眼で俯瞰すれば。マキナさん、簡単に見つけられると思うんだけど、な」




