俯瞰世界は美しい
俺が何故諒子をつれてきたのか。付いてきているという前提で話すが、それはこゆるさんの脅迫を考慮した対策のつもりだった。言い方は悪いが映像を撮影したら用無しだ。用が済めば要求には付き合えない。だから強引でも何でも連れ出してもらって、あやふやにするつもりだった。出来ればそれまでにサインも貰えていれば妹にも角が立たなくて済むとさえ考えていた。
甘かった。
何もかも。警戒が特に甘い。俺は糸が視えるから隠れていても他に誰かいるなんて見破れた筈だ。流石のこゆるさんも一度痛い目に遭わされた人を家に呼んでいるなんて分かる筈がない!
「な、何が―――」
台所からぬるりと現れた男は、今しがたテレビで見たばかりの特徴を持っている。如何にも人の良さそうな笑顔と詐欺師みたいなうさん臭さが同居して、何とも不愉快で俺は初対面でも嫌いになりそうだ。
「それが貴方の願いですね、こゆるさん」
「…………はい」
「……おい。分かってるのかよ。そいつはお前に傍迷惑な力を与えた奴なんだぞ」
「そんなの、関係ない」
「私は、有珠君が欲しいの」
糸で意識がどうにかなっている訳でもないので、その発言は紛れもなく波園こゆるの本心という事になる。こんな事になるなんて分かってたら、もっと突き放していた。部品欲しさに戦ったら後で厄介の火種になるなんて予想出来ない。それもこんな最悪の形で。
ソファから離脱して逃げ出そうと思ったが玄関は反対の方向にある。そこへ行くまでには二人を突破しないといけないし、そもそも玄関には鍵が掛かっているではないか。
「ねえ、あんまり痛い事したくないんです。恋人になってくれたら……この人は追い出します。二度と関わりません」
「……嫌だと言ったら」
「―――廉次さん」
「殺せばいいのです。そうすれば私の力で蘇らせてみせましょう。心配する事はありません。少し眠るようなもので、次に目覚めた時は貴方の事が大好きで仕方なくなる」
「それはどのくらい?」
「言う事を何でも聞き、家に帰れば休む暇もなく襲われるでしょう」
「―――だって!」
発言のみを切り取ればこんなに都合よく人を変えられる訳がないと反論できる。殺人は殺人だ。蘇らせるなんて出来る訳が無い。マキナも未紗那先輩も死なないようにしているくらいだ、『死』だけは覆せないのだろうが、それを彼女が知る由はない。まして相手は『愛』の規定でもってこゆるさんにトラウマを植え付けた人物だ。
むくろと話している時の俺がそうだったが、超能力を何でもありだと思う人間は多い。こゆるさんだってそうだろう。元々廉次には痛い目に遭わされたマイナスの信頼があって、今回はそれが反転して絶対の信頼になっている。証拠もなければ要求も呑まない俺の言葉なんて信じられる道理はない。
「…………最後に電話させてくれ」
「警察を呼んでも無駄ですよ?」
「呼ばないよ。妹にちょっと電話をな」
兎葵の協力は考慮しない。今は助けに来て欲しいがアイツは俺の心の中を見ているのではなくて、視界をかってに覗いているだけだ。マキナの助力を突っぱねた時点で兎葵からすればこの状態も危機ではない。少なくともそう思う可能性がある。だから、頼れるのは諒子だけだ。
「―――助けてくれ、諒子」
バン!
何か硬い物が扉に叩きつけられる音がした。廉次の方はともかくこゆるさんは一瞬だけそれに気を取られる。その隙に俺はナイフを持って二人に近づき、『意思』に介入。白と青の糸を切り、、急いで玄関に近づいて無駄に厳重なロックを外して扉を開ける。
「式君!」
「逃げるぞ!」
ここはマンションの十階。扉を出てすぐに脱出とはいかない。マキナが居ればすぐにでもガラス窓から飛び降りる選択肢はあったが、二人が共に普通の人間では巧妙な自殺も甚だしい。『意思』の規定の効力はそろそろ切れる。選択肢に悩んでいる暇はない。
「お前どうやってここのセキュリティ突破した!? 玄関は電子ロックとかあっただろ!」
「…………」
「おい諒子!」
「こ、ここに住んでる人に頼んだんだ! その…………下着を渡したら、通してくれた」
「…………! そうか、そりゃ参考にならねえな」
いたいけな女子高生の弱みに付け込んでとんだ変態が居たものだ。その方法は本当に使えないし応用しようがない。エレベーターを使うと何かの間違いで止められる可能性があったので俺達は懸命に階段を降りている。
「有珠君! 待って!」
上階からこゆるさんの声が聞こえる。待てと言われて待つ奴があるか。視界について隠していて本当に良かった。ネタが割れていたら手足を拘束されていたかもしれない。
「いいんですか~? アイドルと添い遂げる権利を放棄して。その選択は間違っていると思わないのですか?」
「アイドルと添い遂げるって……何だ?」
「恋人になるか死ぬか選べって言われたんだよ。信用出来ない奴を恋人に出来るか? つーかおかしいだろ。好きと思われるのが嫌いって言ってた人が俺に好きだとかさ…………あんな状況作った俺が悪いんだけど」
「あんな状況?」
「周りが敵で俺だけが味方っていう状況ッ。………………恋人にって言うなら、もっと誠実で居てくれよ。頼むから」
「式君は誠実な人が好きなのか?」
「一切嘘吐くなって事じゃないぞ! ただあの人は……なんか捻くれてて好きになれない」
階段を降りるまでに二人と出会う事はなかった。廉次の持つ『規定』で先回りされるかと心配していたがそれはないようで一安心だ。
ノンストップ一階まで下り切った瞬間、俺達の足は強制的に止まった。
何てったって数が違う。マンション前の道路を埋め尽くす勢いで殺到する男達は何の干渉もなく自発的にここへ集まっている。木製バットやノコギリ、フォークやら包丁やらガスガンやら。各々の得物を携えて。
「波園ちゃんの家に押し入ったって奴はお前かあ!」
眩暈が巣食う病気のように広がっていく。あまりの糸の多さに視界の見通しが悪い。ざっと見た限りでは二〇〇人以上のこゆらーが集っている。それだけの数を前に玄関の電子ロックは意味を為さない。そもそも歓迎されているのか解除されている。
「式君。これ……どうするんだ?」
「どうするもこうするも…………」
「有珠君。逃げないで下さい」
立ち往生している内に後ろからこゆるさんが追いついて来た。廉次の姿はないが近くには居るだろう。
「私の気持ち、分かってくれた? ていうかその女、誰?」
「友達だ」
「――――ねえ、馴れ馴れしく腕を組まないで下さい」
「……お、お前なんかに指図される謂れはない! 式君とはトモダチなんだから!」
諒子の身体が震えている。無理もない。一クラスの比ではない数がここに集まっているのだ。俺もむくろに症状を改善させてもらわなかったらダウンしていた。腕を組んでいるのもスキンシップというよりは杖代わりだ。この場にとどまっているだけでも彼女の体力は着実に削られている。
「友達って言うなら、聞きますね。有珠君の事は好きですか?」
「えッ」
「好きじゃないなら見逃してあげます。有珠君は黙っててね?」
「………………」
言われなくても黙る。式宮有珠希は自分の事しか考えないような男だ。この絶望的な状況から諒子を助けたいと思う反面、彼女が居ないと打開策もクソもないとも思っている。一人でどうにかするのは不可能だ。そうなってはいよいよ兎葵が気を利かせてマキナを向かわせてくれるとかそれくらいの奇蹟が無いと。だがそれは遠慮したい。何処に向かうかなんて俺も分かっていなかった。マキナは俺の力を失うくらいなら被害なんて考慮しない。東京全域を滅してでも助けようとするだろう。それは駄目だ。あまりにも迷惑が掛かりすぎる。
諒子は遠慮がちに俺を見て、それからこゆるさんの方を見て、また俺の方を見る。答えがどうあっても……責めたりはしない。諒子がこの場に残ったとて打開策が思いつく可能性はあっても保証はない。今までしてきた行いの報いだと思って全てを受け入れよう。
「……………………………………し、式君は」
言葉が止まる。こゆらーもこゆるさんも動かない。諒子の発言次第だ。時間を稼いでも状況は変わらない。どうにもならない。なる訳がない。
「式君は………………」
「やっぱり、私が居ないと駄目みたいですね、有珠さんは」
声とともに現れる。生意気で幼い、妹の声。『距離』の概念を無視した動きで俺達の間に割って入り、躊躇なくこゆるさんの顔をぶん殴った。
「ギャッ!」
まさか部外者から直接攻撃を受けるとは思わず、こゆるさんは後方に飛んで壁に頭をぶつけた。その勢いの強さから出血も起きているが、兎葵はどこ吹く風と、不機嫌そうに呟いた。
「キモいんで有珠さんに近寄らないでくれますか? アイツも趣味が悪いね。こんな性根の腐ったアイドルが好きとか神経どうなってんの」
事態が呑み込めず呆然と立ち尽くすこゆらーをよそに、兎葵は俺達の手を握って外へ走り出した。
「もう、多少の被害は気にしてません。さっさと逃げましょう」
「ちょ、集団の中を突っ切る気か!?」
「知ってますか有珠さん。どんなに距離の基準を弄っても動かなかったら縮まらないんですよ」
『距離』の規定を証明するように、羽儀兎葵率いる俺達は一歩目を踏み出した瞬間に真反対の服屋に移動していた。距離を稼いだように見えるがこゆらーの密度は並大抵ではない。その証拠に俺達はギリギリこゆらー集団の背中側に出られただけという奇跡だ。
「…………マキナさんなんかより頼りにしてくれていいですよ」
兎葵はそう言って、俺達から手を離した。
「殴ったのは私なので暫く時間を稼ぎます。反対側から逃げて下さい。では―――逃げろオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」




