紅粧して踊る声
「……物理的に殺すのは無理? は? 何言ってんの?」
「そのままの意味よ。あ、それとも物理的って言葉が違った。えーと―――」
「いやそれは分かる。分かるんだが…………は?」
マキナの発言を疑っているつもりはない。彼女は自称キカイの不思議な女性で、不思議な力を持っている。それは未だに汚れ一つ付かなくなった制服の存在からも明らかだ。だから、現実的じゃないという理由でここまで首は傾げない。
何言ってんの? はこちらの台詞だ。そのままの意味だ。物理的に殺せない人間とか、信じたくないくらいに最悪の相手だ。
「ど、どうやって部品を取り出すんだよ! 殺せないし、一部分を切り落とすのも無理だろ……あ、物理的に無理なら化学的に殺そうみたいな感じか」
「化学? そうね、上手く利用すれば殺せるかもね。私にその知識が無いってのと、有珠希にもその知識が無さそうって事を問題にしなければね」
「嫌味かよ」
「事実よ。よりにもよって一番拾われちゃいけないものを拾われてる。それにしてもどうやって拾ったのかしら。ニンゲンには見えない筈なんだけど」
「いや、だから部品が見えるんだろ。俺と同じでさ」
「うーん」
マキナは釈然としていない様子。俺には何が何だかさっぱり分からない。
―――ん?
そういえばコイツ、妙なことを言っていたような。
「なあマキナ。俺の眼から見たら部品とお前が糸で繋がるって言ったよな。でもお前自体に糸が全く見えないんだけど、それはどういう事だ? いや、それ以前に同じ視界を持ってる訳でもないのに詳しくないか?」
「ある程度推測くらい出来るわよ。私に糸が見えないのはキカイだからでしょうね。部品との間に糸が出来るのはほら、本来の持ち主の元へ戻―――有珠希。私とあの女の間に糸見えた?」
恐怖に心を咎められていた過去を想起する。記憶なんて当てにならないとは思っているが、糸アレルギーになりつつある俺が増減する糸を見逃すとも思えない。そんな謎の自信の下出来る限り正確に思い出してみたものの、糸が増えたという事は無かった。
僅かな沈黙で彼女は察したようだ。「そう」とだけ言って、非常口から外へ。慌てて後を追いかけると校庭の隅っこでマキナは足を止めた。
「因果が繋がってないって事は、私の所に戻る可能性がないって事。貴方と同じ力を持ってるならもう少し詳しい事が言えるんだけど、そこはごめんなさいね。私には推測しか出来ないの」
「あ……いや、別にいいよ。糸の正体を教えてくれただけでも。えーっと。取り敢えず俺の糸はやっぱりお前相手には見えないけど、部品が取り戻せる瞬間にだけ見えるって事でいいんだな?」
「飽くまで可能な間だと思っていいわ。ああでも……何かの間違いで糸が見えたら、その時は私を呼んでくれる? それなら多分、殺せるから」
「あ? 何で?」
「私に因果の糸は見えないけれど、貴方にもやったようにその因果を実行する事は出来るの。それが出来る時には所有権は私に戻ってるんだから、当然殺せるのよ」
「あーそういう…………待てよ。それだったらもしかして、殺さなくても良いんじゃないのか?」
殺すという言葉は、見た目以上に重い。俺は善人全てが嫌いだが、わざわざ相手を殺したいだとか痛めつけたいという感情は持ち合わせていない。それは俺という人間を決定的に変えてしまいそうで、単純明快に恐ろしい。
それでも、俺はマキナの手伝いを決めた。この糸だらけの世界から解放してくれるなら変わってしまってもいいと思った。ただし、それは殺す以外の選択肢がない場合の話で。殺さずに済むならそちらの方法を取りたい。
「…………そこは、どうでしょうね。有珠希に任せるわ」
「は?」
「全能感って言えばいいのかしら。人間ってね、自分が特別な事に気付いたら思い上がっちゃうものなのよ。最初から特別なら話は別だけれど、例えば生まれつき不幸な存在―――差別や支配や暴力を受ける存在が彼等を虐げる者を圧倒する力を手に入れたら、悪辣な方向に歪むわね。さっきも言った通り、物理的に殺すのは不可能。どんな善人も彼女を咎める事は出来ないわ。糸を利用すれば確かに殺せるし、その方が確実。でも飽くまで殺したくないって言うなら、有珠希が説得してくれる?」
「俺が…………説得?」
「部品を拾うような不届き者が死のうがどうでもいいけれど、私達の望みは対等であるべきよね。結局部品を取り戻してしまえば私だってあの子に用はないから、貴方が説得できたなら命までは奪らないわ」
俺が…………説得?
大して親交も無かった幼馴染にそんな事が出来るのか。出来なければ死ぬだけだ。結々芽が殺されるのは…………いや、彼女でなくても気分が悪い。死体は存在しているだけでも胸糞悪い、視界にフィルターを作れるなら俺だってそうしたい。
見るのも嫌で、関わるのも嫌で……自分のせいで生まれるのは、もっと嫌だ。
「…………分かった。その時は何とかしてみる」
自分なりに決意をしたつもりで頷くと、マキナは口を結んだまま諭すように鼻を突いた。
「本当に? 説得って、素直に部品を渡せって納得させるのよ? さっきの現場を見たでしょ、あの子の身体が届く範囲では例外なく死ぬわ。それって、貴方が一言でも言葉を間違えたらその時点で殺されるって事なのよ」
相手の命を守る代わりに、己の命を賭けなければいけない。至って公平な、そしてシンプルな駆け引きだ。ハイリスクハイリターン。思い通りの願いを実現したいと思うなら相応のリスクが要求される。
「…………………………………頑張る」
長い沈黙の末に、それでも俺は良識を信じた。マキナは指を引っ込めると、また元の笑顔に戻る。それが宵闇の中ではあまりにも鮮やかで、不安の靄は取り敢えず払拭された。
「そう。ならもう何も言わないわッ。二人で頑張りましょうね」
「……一応聞くけど、作戦はあるのか?」
「さっき会ったのに、ある訳ないでしょ」
不安になった。
「おい。今までの話は何だったんだよ」
「楽観的な予想? 大前提が何かの間違いで糸が私と繋がっちゃう所からだし。基本的には何の意味もないわね。私も貴方の性質を全て知っている訳じゃないから、もしかしたら隠された能力があって、それで楽出来るかもしれないけど」
「それが判明する頃には殺されてるよな……多分」
善意に反発する同志という共感からか、彼女は俺に執着している。だから普通の人よりは安全だが、今回は幸運にも一度逃げられたし、逃げてしまった。先約があろうとなかろうと話を聞く様子の無い彼女だ。次のコンタクトを取る時に何をされるか分かったものじゃない。
運が悪ければ、その瞬間に死ぬ。
「取り敢えず、様子を見るしかないわね」
「…………そうだな。そうだよな。殺す方法が無いなら、仕方ないよな」
校舎に備え付けられた時計は、七時を回っていた。
門限を過ぎた筈なのに、鍵が開いている。妹のお陰かとも考えたが、玄関を開けたら幾ら家族でも気付くだろう。恐る恐る扉を開けると、リビングが嫌に賑やかだ。ゆっくり開けたのは誰にも気づかれない様にしたかったからだが、これなら普通に開けていたとしても音はかき消されていただろう。集中して聴いてみると、話し声の他に足音が混じっている。
「に、兄さん。お、お帰り……なさい」
「―――お、おう。ただいま」
出迎えを受けたのは、この際どうでもいい。妹に気配を察知する能力がついてしまっただけだ。それはそうと、何で小声なのか。
「きょ、今日は怒られないと思うから、大丈夫ですよ……?」
「怒られない? 門限を破ったのにか」
「今日は門限、無しになったんです。突然決まった事なので、私もさっぱり事情が呑み込めなくて……ごめんなさい」
「謝られてもな。いいよ直接自分で聞くから」
ポンポンと肩を叩いて妹を労い、自室に戻る。道中で父親とすれ違った。
「おお、有珠希! 今日はご馳走だぞ、母さんも腕によりをかけたからな!」
「……何かめでたい事でもあったのか? 妹が俺を怖がらなくなったとか?」
牧寧でさえまだ言葉を選んでいる節があるので、それはないか。返答に興味はないので自室に戻って鍵を掛ける。家の中は精神的な意味で窮屈だが、自室は好きだ。一人きりになれるから。
さて、何があったかはともかくご馳走ならとっとと行ってしまおう。善人の母親は嫌いだが、その料理は嫌いじゃない。毎日食べたいくらいだ。
「いやあ! まさかお前の様な男にも春が来るなんてな! 隅に置けないとはこの事か! うはははは!」
電気を点けようとした手が、止まる。
鍵を掛けたのを後悔したのは今日が初めてだ。
「ようやく帰ってきた。アタシをこんなに待たせるなんてちょっとムカつくなー。何処行ってたの、ウズ」