ヒトいきついて、いちしぐさ
足取りは頼りなく。意識は朦朧としている。ギリギリの所でまともだ。そう信じたい。でもまともに歩く事は出来ない。諒子に支えられないと、理性も本能も放棄して、ああいっそ記憶も捨て去って、そこらに転がった死体のようになりたい。
「式君……重いぞ……」
「…………すまん」
―――真実を、一体誰が知ってるんだ。
このストレスは、何だ?
因果を視るのはその人生を追体験するようなもの? そんな生温い物じゃない。今、俺は猛烈に人間が嫌いになりそうだ。自分が人間である事すら憎らしい。ポケットの刃物に手が伸びれば、満足に身体が動くなら。即座に自殺をするだろう。ああ、分かった。このストレスは人間に対するモノだ。人間が人間のまま人間である事に耐えられない。具体性のない悪感情が脳を侵している。
答えが無いのは嫌だ。マキナの言っている事は違う。俺の視界は何だ? 正体を教えてくれ。誰かから答えを貰わないと……俺はまた、おかしくなってしまう。糸が嫌いで嫌いで仕方なかった。人間が嫌いで嫌いでどうしようもなかった頃に戻る。
『君は『常識』或いは『道理』にコンプレックスがあったんですね』
ああ、そうだ。俺は普通でありたかった。けれども周囲がそれを許さない。マキナや諒子に限った話じゃない。直近で言えば二月になっても学校が始まらなかった事だ。社会状勢の悪化が表向きの理由だが、学校の経営面に致命傷があったのだろうと予測している(じゃないと俺と牧寧は引っ越し準備などとてもとても出来なかった)。
なので先輩とはまだ会えていない。学校で会う先輩との一時は俺にとって日常を意味している。それさえも許さない。世界は誰かの掌で異常なまま転がされて、異常な俺がそれを解決する為に奔走する。異常、異常、異常。どいつもこいつも異常ばかり。おかしな奴しか居ない。俺にとっての日常はもう家に帰った瞬間だけだ。妹が出迎えてくれるあの空間がギリギリ俺を普通に置いてくれる。まだ人間だと胸を張って言える。
「…………だれか」
不安が胸を膨らませる。糸を視た筈が、違う何かを視ていたのではないか。怖い。苦しい。怖ろしい。俺は一体何を畏れている?
「だれか、たすけてくれ」
見てはいけないものを、見た。
知ってはいけないものを、知った。
理解してはいけないものを、理解した。
俺はつまるところ、何を視た?
「式君、この道を……どっちだ?」
「蟾ヲ縺?。人気はたく縺輔s縺ゅkだろうが、誰かが気付いてる様子は……ない」
「式……君!!」
遂に足がもつれて身体が倒れた。誰のせいだ? 俺はちゃんと歩いていたのに。地面が悪いのか。それとも隣を邪魔してるこの女が悪いのか。きっと全員悪い。俺がせっかく人類の為に働いてやってるのにこの仕打ちだ。腹が立つ。英雄様になんて真似をしてくれる。
「だ、だいじょう―――」
「菫コ縺ォ霑代▼縺上↑? 今だけは……莉翫□縺代?窶ヲ窶ヲ鬆シ繧?」
ナイフを地面に突き立てる。刃が通らない。生意気な奴だ。俺の邪魔をして自分だけが無傷でいられると思っているらしい。クソ野郎が。誰のお陰で生きていると思っている。俺が苦労しなかったらお前なんてとっくに死んでいるんだ。毎日足を舐めてでも感謝するのが筋だろう。それをこいつは、こいつはこいつはこいつはこいつは。
「…………だ、誰か。呼ぶ、な? 式君、何とか出来る人!」
女が離れていく。ああもったいない。磨けば光るような女ではないが、あんなに弱そうな女なら犯しておけば良かった。今の俺でも問題はない。組み伏せて脅せばあんな奴は直ぐ言いなりになる。
「諤悶>諤悶>諤悶>諤悶>諤悶>諤悶>諤悶>蜉ゥ縺代※繝槭く繝雁勧縺代※繝槭く繝翫?繧ュ繝翫?繧ュ繝翫?繧ュ繝雁勧縺代※縺上l繝槭く繝翫?繧ュ繝」
半分になった視界に、男の足が映った。何だ、俺を靴磨きだと思っているのか。人を見下すように足を向けて、礼儀がなっていないんじゃないか。
「…………お困りの様ですね。実はずっと貴方の様子を観察してはいましたが。これはもう。限界が近いようだ。手助けしましょう。僕の工房へ来てください。いや、連れて行くんですがね」
なんだ、この男は。人の身体を勝手に持ち上げて何処へ連れて行くつもりだ。ああでも掴みやすい場所がある。爪も立てればもっといい。どこへなりとも運べ。苦しめ。俺の痛みの一部を分かち合え。
「……ああもうそれでいいから、大人しくしててくださいよ。僕は面倒なのが嫌いなんで、気が変わるかもしれない。それこそ気の済むまで首を絞めててくれたら助かるよ」
「隱ー縺??」
「―――そんな事気にしてる場合かな。式宮有珠希君。僕が誰かよりも、自分の安否を気にしてくれ。先は長いんです。工房は如何せん、遠くてね」
ごうごう。ごうおう。
ごうごう。ごうごう。
「…………ここは」
青嵐の吹く夏の日。夢の日差しは現実の様に眩しく ともすればそう錯覚してもおかしくない刹那。
俺とおねえさんの、思い出の場所。
眠るまでの経緯は曖昧だが、どうしてこんな事になったのかは覚えている。俺は何かを視て心をおかしくしてしまった。それを……妙な男がやってきて。それでこうなった。橋本とかいう人と同じで顔が思い出せない。
「成程。ここが君の心象セカイですか」
ああ、そうそう。段々思い出せてきた。確かこんな感じの童顔の男性で―――
「…………うぇッ?」
おねえさんでは、ない。
見知らぬ黒衣の男性が、隣に座っていた。声の低さに反して顔つきは童顔で、制服を着ればギリギリ高校生に見えない事もない。髭がないからだろうか。その一方で身長は俺より少し高いくらい。衣服から見える素肌は一度も日光を浴びてないかのような白さで、その腕や脚は藁のような細さだ。生まれたから今まで無菌室で育てられたような子供でも、流石にもっと健康そうには育つ。実際はさておき。
「お、お前は……?」
「僕の名前は祭羽むくろ。知り合いにはサイバネちゃんだとかむくろ君だとか好きに呼ばれてる。君も好きに呼んでください」
男なのにちゃんとはまた不思議な呼ばれ方だが、確かに女装は似合う気がする。声が滅茶苦茶低い女性という可能性も捨てきれないくらいには、童顔で中性的なのだ。むくろはその場で腕を枕に寝転んで、糸一つない綺麗な空を見上げている。
「…………いや、それはどうでもいいんだが。何で他人様の夢の中に居るんだ?」
「夢? これを夢だと思ってたんだ。残念かどうかはさておき、これは夢なんかじゃないですよ。精神的な現実、簡単に言えば心象セカイ。物理的な現実の君は発狂中で会話が進まないったらありゃしないから。わざわざ出向いたんだ。感謝して欲しいですね」
「…………有難う。でも俺はお前の事なんて知らないぞ」
因みに俺が初対面の彼に対してここまで馴れ馴れしいのは心の中だという所が一番の理由だ。どうしても敬おうという気が起きないし、警戒する気も起きない。こんな物理的? に心の距離を縮められたのは初めてだ。
「ま、そりゃそうだ。僕だって君が指名手配されてなきゃ知る由もなかった。式宮有珠希君、どうだ、少し話を聞いていかないか? もしかしたら悩みが解決するかもしれないですよ」
「……悩み?」
「シラを切るとかそういうのいいんで。治すのは無理でも、例えば君の視ているセカイについて―――僕は答えを持っています。代わりに何かしろなんて言わない。話を聞くか聞かないかの二択だ。ヌハハハハ。どうせ心の中だからね。ひねくれる必要はないと思うんだよ僕は」
むくろは手首を口の前に当てる独特な仕草と共に笑って、俺に握手を求めてきた。
「長い話になるから、腰は折らないでくれ。僕は面倒なのが嫌いなんだ。頼むぜ」




