因果を知る対価
都会に行くにつれて緑が少なくなっていく。それに比例して死体は多くなり、途中からそれを積み上げたバリケードの除去で車が渋滞に巻き込まれた。交通整理をしていた警官によるとこれは大分前から出現している物のようで、多すぎて処理に一か月以上も処理に困っている様だ。なまじ『認識』の規定が緩んだだけに文字通り大混乱。俺が呑気に引っ越したりゲームをしている間も、世界は溜まりに溜まった社会の不都合を処理するので手一杯だ。
―――マキナに連れて行ってもらったらこういうのに悩まなかったんだろうけどな。
ただアイツに運ばれると必然的に空を飛ぶ事になるので物凄く怖い。ジェットコースターとは違い安全装置もなければレールもない。バンジーのような命綱も、パラシュートのような同行者も。いるのはとてつもなく美人なキカイが一人だけ。アイツの腕頼みな飛行はどんな手段よりも安全かもしれないが、何かの弾みで機嫌を損ねたらもう海に落とされる予感しかない。
それよりも何よりもアイツを頼ったら先にデートをする事になって、最悪、丸一日潰れるのを覚悟しないといけない。だから何を天秤にかけても駄目だ。
「―――カガラさんは除去活動に参加しないんですか?」
「私は何もするなって言われてるからねえ。警察や消防に紛れてるあの黒い制服みたいな人が分かる? あれ、メサイア。日本支部の人達だね。見ての通り人手はあっても足りない状態だ。私一人が参加してもたかが知れてるし……この服に死体の臭いがつくのはちょっと。オキニだしね」
「―――ぐああああああ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」
「お客さん凝ってますねー。いや本当に凝ってる。君って部活に加わってる訳でもなかったはずだけど。デスクワークでもしてる?」
「大体何か死ぬような目には遭ってますけどいたいたいあああああああ!」
ゲームで疲れたからと言ってカガラさんにマッサージしてもらっているのは俺くらいな物だろう。いや、これは勝者の特権なので仕方ない。この人も敗者の道理に従ったまでだ。だって自分から出来るって言い出したし。俺も整体なんぞ行かないので丁度良かった。しかし痛い。眠くなるような事なんてない。ひたすらに痛い。じゃあ下手かと言われるとそんな事はなくて、されるがままにしているのがその証拠と言えるだろう。
それもこれもハイドさんの所有する車の空間が広いから出来る所業であり、カガラさんは俺に触れる口実を得て嬉しそうにしていた(自己申告)。
「…………そうそう。これはオフレコにしてほしいんだけど。メサイアの日本に存在する支部全ての報告から死者を計上すると、十万人を超えたって話」
「…………良く数えましたね」
「まだ一部だよ。数え終わるような数じゃないみたいだ。裏バイトを雇ってる辺りもう無茶苦茶。『認識』の規定が世界をおかしくしたのは違いないけど……如何せん、常識とは多数派の偏見だ。世界全体に作用した力は、いつしか本当に常識になっていた……ねえ、君とキカイの事に口を挟む気は無いけど、本当に世界は元に戻してしまっていいのかな」
「…………元々そんなつもりはなかったんですけどね」
マキナの心臓がたまたま『認識』の規定だったから取り戻さないといけなかっただけで、しかもなぜかそれが俺の中にあるから妙にこんがらがっているだけ。世界を元に戻すつもりが本当にあるなら今すぐアイツに心臓の事を打ち明けて殺してもらうべきだ。それをしない辺り、どんなに俺は臆病な奴か。元に戻すつもりなんて全然ないのが透けている。
勿論他の部品が全部揃ったら……その時は覚悟を決めるつもりだが。
「―――成り行きとはいえ、ちょっと怖いは怖いですけどね。流石に迷惑がかかりすぎる。幻影事件の比じゃないです」
「キカイの所業と人間の物を比較するのもどうかと思うけどね」
「いや、マキナが言うにはあれ人為的みたいですよ」
肩を揉んでいた手が止まる。視界の端からカガラさんの顔が飛び込んできた。
「本気で言ってる?」
「俺はアイツを信じます」
「だとしたら幻影事件の犯人はとてつもない奴だ。人の迷惑なんてこれっぽっちも考えない奴だよ。『認識』の規定を持ってる奴もきっとそういう人間なんだろうね」
吐き捨てる様にそう言っているのに、カガラさんからは憎悪や敵意をまるで感じない。未紗那先輩と触れ合ったからこそ分かる。誰もが被害を受けたのだ。幻影事件の首謀者には少なからず敵意がなければおかしいのに、この人からはそれを感じられない。記憶がないから実感もない俺のようだ。
「カガラさんは幻影事件の犯人が憎いですか?」
「………………さあね」
「それ、答え言ってますよ」
「解釈は任せるよ。ただね……事件その物はともかく、環境は悪い事ばかりじゃないのは確かだからさ」
時刻が十二時を回りやがった。
路面状況は最悪。単に凍ってるよりも性質が悪い。死体塗れで外の衛生状況は最悪だ。そんな状況でも働かなきゃいけない民間人の苦労は計り知れねえ。ちらほらとマスクで臭いを消そうとしてる奴等も見かけるが、その程度で腐敗臭が誤魔化せるなら苦労はしねえわな。
「……最悪の景観、最悪の情勢、そんで今度は……最悪の場面だな。一体何の用だよ、キカイ」
「………………」
シキミヤを待っている間に食事を済ませようと、俺は休憩所でジャンクフードを食べていた。外で食べてんのはいつでも逃げられるようにする為だが、相手が悪い。懐の拳銃を使ってもこいつには傷一つ付けられない自信がある。金髪銀眼の女はそれだけの圧力と、張り詰めた空気感で近寄って来た。
「ハイド・アンヘル。お前だな、ムの有珠希を手駒にしようとしてるのは」
互いにシキミヤを知る者同士、仲良く食事とは行かない。見た目がどんな美女でも中身は残虐極まるキカイ様だ。人の常識に従う気概もなければ理解する素振りもない。本人の前じゃ言わないが、こんな奴と一緒に居るアイツの気が知れねえ。どんな神経をしてたらこんな奴とまともに過ごせるんだか。
「手駒にしてるつもりなんかねえよ。てめえから奪おうなんてそんなつもりはねえ。ていうか出来ねえよ人間にそんな真似は」
「……控えろ鼠。誰に向かってそんな口を利く。この場で踏みつぶしても、構わないのだぞ」
「―――そんなの、やろうと思えば出来んだろ。用事は?」
「これ以上有珠希を苦しめるな。ムの要求はそれだけだ。お前等が居なければ有珠希はもっと楽になれる。もっとムと一緒に居てくれる。明確に邪魔、確実に不快。消えろ。二度と有珠希の前に姿を現すな。鼠は鼠らしく地下で病巣を築くに留めて群れていろ」
傍から見れば女が背中に立っているだけだ。だが充満する殺意を一身に受ける俺の方はそうじゃない。汗が止まらねえ。全方向から銃口を突き付けられた事もあったが、緊迫感はそれを凌駕してる。環境全てが敵になったような閉塞。手に持ったハンバーガーも今に意思を持って逆に噛みついてくるんじゃないかという、常識を逸脱した不信感。呼吸をするのも一苦労だ。
ここは珍しく死体が無いから、他の民間人は楽しそうに机を囲って談笑してやがる。いい御身分だ。死体の山場よりも危ない場所になってるってのによお。
「……随分、勝手な事を言ってくれるじゃねえか。俺はむしろお前達を応援してやってるのに。キカイはこれだから話が通じねえ。いっぺんシキミヤに話を聞いてこいよ。俺がどんなに役に立つかってのを教えてくれるだろうから」
「矮小卑劣な家畜が己の分も弁えず踏み込むか……私の手で死にたいのならば偏にそう申告すれば良いものを」
「……そんなつもりはねえよ。だけど……そうさな。直々に文句を言いに来るなんて想定外だった。今後は少し距離を考える。それで今は命を勘弁してくれ」
「―――気配が近い。今までの行いはこれで手打ちにしてやろう」
「何を―――ッ。てめえクソ……あぁぁぁぁ!」
背中に感じた圧力は、俺の身体に爪痕を残して嵐のように去っていった。
ああもう、最悪だ。




