だって私のモノだもん
私の力は『距離』を操る。だからキカイについても少しは知っている者だと思っていた。勝手に、理解しているのだと。それは全然未知の存在なんかではなくて、どうにか出来るものだと。
その認識は間違ってた。
『刻』の規定は恐らく物体に干渉して劣化を操作するだけじゃなくて、自分の動きをテープのように巻き戻したり、たった今受けた不都合に待ったをかける事も出来る。持っていれば世界が変わってしまうようなそんな力。両足を折られて、初めて私は恐怖した。
この力がある限り、キカイ以外の誰からも殺されることはないという自信があった。兄の力があっても、糸に触らせもしなければ無意味だ。その過信が油断を招いたのだと今は思う。
私はマキナさんから兄を離したかった。あの人は馬鹿だから全然気が付いてないけど、私の知るキカイが……昔の兄の知り合いがマキナさんと同一の存在だったとしても、何かが狂ってる。部品が足りてるとかそういうんじゃなくて。そことは無関係におかしい。マキナさんと兄の接点はそう昔の話じゃないのに、あの人は私の兄に執着してる。病的で、狂気的で、誤動作のようで。
だから私は、役に立ちたかった。私が役に立ってマキナさんよりもずっと頼りになれば聞く耳を持ってくれると思った。昔みたいな足手まといじゃなくて、妹なのに凄く頼りになれたらきっとまた元の兄妹に戻れると信じてた。
それがこの様。話し合いをしようとしたら襲われて、引きずり回された。こんな地下深くに落ちて無事だった理由は分からないけど、私が無理をしなければ兄を巻き込む事なんてなかったし―――マキナさんが変容する事もなかった。
あの人が手を向けた先には、もう何もない。何らかの規定で谷のように抉られた地盤が広がっているだけ。たった一人を殺すには大袈裟すぎるし、何かを撃った方向には怪我人が大勢いた事を私は知っていた。
「…………何、してるんですか! マキナさん!」
力を行使した後も彼女は銀色の髪から戻る事はなかった。瞳孔のように縮こまっていた金色は万華鏡のように回り広がって眼に戻ろうとしているが見慣れたあの姿には程遠い。
「一人殺すくらいで、こんな事して! 無関係の人が……大勢、死にましたよッ」
「…………だから?」
「……は?」
「ヒトが死んで。それが何?」
キカイはもう、悪びれもせず首を傾げた。
「別にいいじゃない。少しくらい。人類を滅ぼした訳じゃないんだし」
「……人間は、どうでもいいんじゃないんですか? どうでもいいから殺さないって、その筈ですけど……」
「どうでも良かった。だってニンゲンは、いつも有珠希を苦しめるじゃない。ずっと苦しそうだった。辛そうだった。有珠希は強がるけど、私の方が見てられないくらい。そんなに苦しめるようなら、少しくらい減らしたっていいでしょ。それだけ有珠希は楽になるのよ?」
「そんな事して兄が喜ぶと思うんですか!? ……嫌われますよ」
「夕゙れが?」
気付けばマキナさんに首筋を撫でられていた。滑らかな指先で撫でられたくすぐったい……と言いたい所だが、今は怖気しかない。この人にとっては私も―――いや、兄以外の全てがニンゲンだ。
「貴方こそ有珠希がまだ認めてもない内から妹として振舞うのはやめたら。ねえ、やっぱり殺してあげましょうか! お望み通りに。兎葵ってばずっとうるさいもの。どうする? 今なら直ぐにでも叶えてあげる」
「…………」
狂気を孕んだマキナさんの笑顔に圧倒されて何も答えられない。きっとそれが正解だ。今の私は死にたくない。兄の近くに居られるなら、やれることがある筈だと思っているから。
「家だってそう。有珠希がせっかくその気になってくれたのに邪魔したの覚えてるわよ。ええ、ハッキリ言って迷惑。今度邪魔したら……貴方を溶かして瓶詰にするから」
「……自分勝手ですね」
「たまたま足元に居るだけのノミの事なんか一々気にしないわ。それに自分勝手はどっちかしら。有珠希は記憶がないみたいなのに。勝手に家族になるなんて」
「それは……それは牧寧がなんかして……!」
私と対話する気なんて最初から無かったんだろう。すっかり髪色と眼が元に戻ったマキナさんは、その場で倒れ込む兄を優しく抱きかかえた。
「……駄目じゃない有珠希♪ こんな所で寝たら風邪ひくわよ。一緒に帰りましょう?」
兄の顔を胸に埋めさせて、鼻唄を歌いながらマキナさんは暗闇の中を歩いていった。私の足をわざわざ踏みつけてくれたお蔭で老化した足が骨折も含めて元に戻っている。自分で勝手に帰ってこい、というお達しだろうか。
―――でも足が動かない。
マキナさんと一瞬でも対峙したせいで、身体全体がすくんでしまった。
「……兄。気付いて。まともじゃないんだよ、マキナさんは」
あんな人に付いていったら、破滅するに決まってる。
「―――兄にはもっと、隣に相応しい人が居るよ」
私とか。
私とか。
「……私とか」
約束してくれたのに。あの病室で。『ずっと私の味方だって』。『何があっても信じてる』って。
「…………嘘つき。全然。信じてくれないんだから」
原因不明の倒壊事故に連鎖して地盤沈下。当時店内には数百人が居たとされ、善人の常識によってただちに行政との連携のもと救助活動が開始された。
死者 ゼロ人。
怪我人 三〇人。
行方不明者 怪我人を抜いた数。
「どういうこったよこりゃ……」
現在時刻は一八時。異変の報告を受け、メサイア・システムが出動した。警察や消防、軍隊などと協力して沈下した地面の中に潜り、三時間程前から生存者を救出している。俺は立場上泥臭い仕事はしたくないので、こうしてホテルの個室から報告を待っている。
コンコン。
まだ何も言っていないが、ゴスロリ服を着た趣味の悪い女が疲労困憊といった様子で入って来た。一張羅らしいが、服のあちこちに土埃がついてやがる。汚ったねえので早い所洗濯を手配したいが―――それどころじゃないか。
「……おう。待ってたぞI₋n。警察からの報告は目を通したが、こんなもんは当てにならねえ。てめえの報告を聞かせろ」
「死者、三〇二人。以下同文。紗那じゃないけど何で私を歩かせるかなあ、私、情報は足で稼ぐっていう考え方好きじゃないんですけど」
「仕方ねえだろ、信用出来る駒はてめえくらいなんだ……どっかの糞馬鹿がミシャーナに手出そうとしたせいで動きにくいんだよ。クデキがキカイだってんなら……まあ、俺が敵う道理もねえしな」
「それにしたってもうちょっといい計測方法はないの? 一つ一つ死体を数えに行った私の身にもなってくださいよ。やれやれ、全く目に悪い」
「死体の死因は?」
「頭から下が液体になってる。こんな死因じゃ眼をそむけたくなるのも無理はないです」
目を背けたいのはこっちの方だ。その死因が犯人を示している。俺にゃどうしようもない奴だ。元より敵対すればこちらの敗色は濃厚。だからと言って無視でも出来ないのは難しい。
―――何があったってんだよ、シキミヤ。
キカイと人間の実力差は歴然。全人類が力を合わせて立ち向かっても破壊は無理だ。だからキカイには根本的に敵意が無い。指先一つで捻りつぶせるような存在は敵なんて対等な呼ばれ方もされない。
するってえと、あれだ。キカイに人間を敵視させるだけの何かがあったって事になる。俺にはさっぱり見当もつかねえし、シキミヤとはさっきから連絡がつかねえ。
「それと、救助は打ち切りになった。もうこれ以上は見つからないっていう判断ですね。見つからないっていうか……これ以上居たとしても見えないだけだと思うけれど」
「適当な嘘で民間人は何とかなんだろうが―――外部はどうだろうな。これを受けてクデキがどう動くかも見とくか」
メサイア・システムの闇を暴こうとする勢力はたくさんいやがる。あの事件もここの仕業だったってのが米国諜報機関の見解だっつうのもミシャーナから聞いた。そして世界を取り巻くこの状況。本部も中東で幅を利かせる武装集団から被害を受けてるらしい。
頼りになるのはたった一人だけだが、そいつは今、どうやっても動かせそうにない。
今後の動きに考えを巡らせていると、I₋nがまだ何か言いたそうに唇を噛んでいた。
「何だ?」
「…………一応伝えておこうかな。怪我人だけど、全員が口を揃えて言うんだ。『橋本』って人に助けられたって」
「人助け、結構な事じゃねえか。それの何が問題なんだ?」
「救助された人にそんな苗字はいなかったし、そもそもその人は無傷だったそうだ。救助者は地上と繋がってる一か所に集められて……それが助けられた。現場からずっと遠くまで歩いた私が言うんだから間違いありません。これ、どういう事だろうね」
「……現場は監視させてたな?」
「十五人程で囲んでた。救助者の情報も照らし合わせて一致した。少なくとも助け出せた人に紛れてるなんて事は考えにくいかな」
「………………シキミヤとキカイもいねえ事と何か関係がありそうか?」
「……私はキカイに詳しくなくてね。でも地盤の内側に断崖みたいな空洞が出来たのは、間違いなくキカイが暴れた証拠だ。橋本って人も歩いてたなら何か知ってるかもしれませんね」




