星は瞬く
ああ、これだから大型のお店は嫌いだ。無数の糸。無数の起点。無数の視線。蜘蛛の巣と呼ぶのも生温い。ホラー映画でクリーチャーが作る巣だ。これを見るのが嫌だから、足を運んでいなかった。ましてこの視界が悪化するものと判明した今では、二度と行くべきではなかった。
「ぐうううううううううううううううううううううううううううう」
「ねえ、本当に大丈夫? 大丈夫じゃないようにしか見えないけど……」
「大丈夫…………だいじょうぶ……ダイジョブ」
晴れ着姿のままな彼女を抱きしめて、目の保養に努める。この人ごみだ、移動していれば目立つと言ってもたかが知れるが、入り口の手前でハグし合う俺達の姿はマキナの異様な美貌と併せて目立つという物じゃない。まるでスポットライトが当たっているみたいに、かなりの視線を感じた。
「ね、ねえ。嬉しいんだけど……流石にちょっと、恥ずかしいわ……!」
「…………大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫だいだいだいだいだいだいだいだいだいだだだだだだだ……」
心を落ち着ける所から始める。因果の糸は実際に存在している訳ではない。俺にはそういう風にしか見えない物。俺の主観にしか存在しない景色。だから心を搔き乱す。だから見たくない景色になる。病は気から。気を正すと書いて正気だ。これを保たない事には進めない。まだ入り口だ。マキナから身体を離し、深呼吸を繰り返す。
ピシッ。
「……大丈夫だ。行こう」
「……うん。そうね」
ショッピングモールの形態上、殆どのお店は端にあり、そこにはうじゃうじゃと埃のように糸が溜まっており、文字通り目に毒だ。だが見ない訳にもいかない。外で異変が起きているのに店の中は何の変哲もないなんてそんなおかしな事がある訳ない。それがあり得るとすれば犯人はこのお店の関係者であり、このお店はやたらベビー用品を取り扱い始めただろう。
「今の所、変わった所はないわね。ていうか子供が少ない?」
「ああ? 少子高齢化つってもそんな目に見えて分かる訳が……」
糸をよく見ると、もう大部分の人間が変質している。赤子、子供、大人、老人。特に大人の方は影響を受けていない様に思える(老人ばかりになっているならまだしも)が、よくよく糸ではなく人間の方を見てみると、ハッキリと違和感の正体が映っていた。
「え、これ……え? お母さん?」
「ままー! おっきくなったー!」
「なにがおきたの! わたしこどもになってる!?」
年齢が逆転している。子供は幼いながら大人になって、大人は成熟しながら子供になって。中には自分の親が赤子になった事が認められず一緒になって泣きわめく男性もいた。赤子ばかりで心の年齢が据え置きな事にちっとも意識が行かなかったが、飽くまで変わるのは肉体だけとなると、こういう事も起きうるのか。
そして本当に何がしたいのか。
「…………ああ、ちょっと待て。視えた」
「何が?」
「アイツ等は三〇分くらい前に肩をぶつけられてる。『傷病』と同じで影響が持続するタイプか。でも糸が伸びてる訳じゃないんだな」
「それは人生を握られてたからでしょ? 年齢が変わったからって生殺与奪まで握ってる訳じゃないわ」
お蔭で手がかりがない。闇雲に探すのはたくさんだ。手がかりを見つけないと。手がかりと言ってもそれが何なのかは分からない。漠然と探す。何を探しているかも分からないまま、何かを見つける為に歩いている。
「有珠希、貴方いい事言ったわッ。三〇分前ね?」
「……見つけたのか?」
「そうじゃないの。刻の規定は触った瞬間しか改定出来ない。だから困ってるニンゲンはもうずいぶん前からそうなってるって事。それでちょっと遠くを見てみたんだけど―――映画館の方で、赤子になったヒトが居たわ」
―――!
合図も無く駆け抜ける。それは言うなればストレスの元凶だ。そいつさえ叩き潰せればこの騒動はめでたく鎮静化。話し合いの余地なんてない。こんなに被害を拡大させて。こんなに日常を滅茶苦茶にして。今すぐ殺さないと後々大変な事になる。ニンゲンに興味がないマキナには分からないだろうが、年齢を変えられるのは、それだけで十分生殺与奪を握られている。多くの人間は、それで普段通りの生活を失うのだから。
「もう、遅い!」
背後から追いついて来たマキナに背中を掠め取られて宙に浮いた。エスカレーターを介さず二階に跳び上がって、ニンゲンの隙間をぬっていく。早すぎて俺は声も上げられず、黙ってマキナに運ばれていた。
映画館の方、というのは廊下としての分岐点を指していたらしく、彼女は急に足を止めて、映画館の方と対面にあるレストランを交互に見た。
「どっち行ったと思う? 貴方に任せるわ」
「…………ぅ」
「……え、ちょっと」
マキナに身体を下ろされたと同時に、俺はひっくり返るようにその場へ嘔吐した。
「があああああ、お、うぇうぇええええええええ!」
視界が罅割れていく。赤い糸が人間を起点に広がって、壁や床などの無機物にも影響していく。マキナを除いた全てに赤い糸は手を伸ばし、侵し、根を広げ、俺という異物を捕らえに掛かる。一秒先も赤く細い。因果の糸はすぐ傍に。
「有珠希!」
「どうした、大丈夫か!? 体調が悪いなら俺が助けようか!」
「私に任せて! 救急車呼ぶね!」
「お客様! さあこちらへ。私を助けると思いまして―――!」
⁅王⾙ つ哢 騒」
マキナのお陰で、静かになった。
「…………映画館だ」
「―――何?」
「映画館……だよ。映画館に行った…………けど。駄目だ。間に合わない」
「それは、私が全力で行っても?」
「……………ああ」
「この店は、もうすぐ崩壊する」
式君から、連絡がこない。
だから探してたら、不思議な女の人と歩いてた。
「…………誰だ、その人」
とても美しい人。金髪が目に眩しい。私なんかよりずっとスタイルが良くて、私よりもずっとずっと、仲良さそう。それよりも何よりも、式君以外で溶けてない人を、初めて見た。トモダチが唯一だと思っていたのに、違った。どういう事?
時々式君が苦しむのは、目のせいだ。今すぐにでもこの薬を渡しに行きたいのに。あの女の人は、何かが違う。凄く美人な事を除いたら―――何だろう。分からない。でも凄く危ない。式君も、その危うさに呑み込まれそう。
「私が。助けないと駄目だよな」
だってトモダチだから。
ショッピングモールに入っていく二人の後を追おうとして、足が止まった。式君も辛そうだったのに、私がまともに入れる道理はない。こんなに人間が溶けてたら、自分の気がどうかなってしまいそう!
「あう……ううううう! ……痛い…………飲まなきゃ、薬。大きくて、飲みにくいけど―――」
でもこれは、式君のだから。飲みたくない。私が感謝される理由が減っちゃう。トモダチってそういうもの。私にとってトモダチは、自分以上に大切にしなきゃいけないもの。式君だって、きっとそう。だから……裏切るなんて、出来ない。
「待ってぇ……行かないで…………式………………君」
足が、溶けていく。
手が、溶けていく。
沼のように沈む身体が、トモダチを求める。
「大丈夫ですか!? 怪我はありませんか?」
夜空に浮かぶ星に手を伸ばしても、決して届かない。指の一つも掛からない。それでも綺麗な物は欲しいし、何度空を見上げても、やっぱり私は手を伸ばす。歪に溶けた世界で確かな輝きがそこにあるから。それだけが私の生きてた理由で。
それが目の前で潰えたら。
「式……君!」
波にさらわれた砂のように、ショッピングモールはその前触れもなく全壊した。




