誰よりも近くて遠い距離
『……んだと?』
未紗那先輩なら突っぱねたかもしれないが、ハイドさんは流石にその辺りの柔軟性が違う。俺から突然トップの名前が出た事(これは先輩が漏らしただけだが)と併せて何らかの事情を察したようだ。電話の横で資料をめくる音がする。
『……ハイドさん?』
『知らなんだ。ああ驚いた、クソマジか。その情報、てめえだけで辿り着いた訳じゃねえな?』
『そりゃそうです。一応こっちの情報共有しますね』
全部共有するのも不義理だと思ったので、改めてマキナから先代キカイの名前を聞いた事と、その先代は幻影事件の折に顕現して以降行方不明だという情報を渡した。
『……どうですか? そのリアクション見てたら何となく察しがつきますけど、心当たりとかありますか?』
『―――裏切って申し訳ねえが、そう言われると無い事もない。ミシャーナの規定は知ってるな』
『生命の規定ですよね』
『あれはアイツに寄生してるって話をしたな。もしアイツと出会ったなら聞いてみろ。メサイア・システムが保有した部品を与えられたとか言われるだろう。だが、それはあり得ねえ』
『誰にも部品が見えてないから……ですよね』
少なくとも回収する別動隊には見えていない。そうでもないと未紗那先輩を騙して無関係の人間を殺させるような真似は出来ないというか、しない……訳にもいかないのか。
『ああ。だがもしクデキがキカイだったなら話は変わる。アイツは自分の身体の中のモノを与えてやりゃいいだけだ。簡単な話だな』
ただしそうなると気になってくるのは未紗那先輩の使命だ。キカイの破壊。もしもトップがキカイなら何故そんな真似をさせるのか。自分の同僚を殺すつもりがあるなら、そこに一体何の目的がある。
自販機の何がそんなに面白いのか釣銭口を見てワクワクしているマキナを見ていると、やはりキカイはポンコツなのではという思いが沸き上がってくる。
『……おい、今日暇か?』
『先約があります』
『あー……奪ったら殺されるわな俺が。っち、しゃーねえ。もう用はないか? 終わるが』
『あ。ちょっと待って下さい。そっちで赤ちゃんの被害は確認してますか?』
『I₋nから聞いてる。俺は報告待ちだ』
『未紗那先輩は元気ですか?』
『………………俺は、知らん』
電話が一方的に切られた。これでは何か知っていると言っている様なものだが、触れない方がいいのだろうか。そもそも俺には……触れる権利なんてないか。あの人の挙動をおかしくしてしまったのは俺の嘘が原因だ。
「おい、いつまで自販機探ってるんだ。もういいだろ」
「有珠希、誰と電話してたの?」
「…………え」
「メサイア?」
「あ、いや……」
ちっとも夢中になんてなっていなかった。泳がされていた事に気が付いたのはこの時だったが、認識のズレが反応に決定的な遅れを産んだ。いつの間にか携帯は取り上げられて、何処かに消えてしまった。
「これは没収~」
「あ、ちょっと……!」
「駄目よ、あんな奴等と連絡しちゃ。もしかしたらアイツ等が犯人って線もあるんだからねッ?」
「どういう事だよ」
「再教育よ。確かに精神までは退行出来ない……別にこれは出来てもいいけど。それはそれとして肉体はきちんと弱くなってるんだから、幾ら人格が元のままでも力関係は明白よ。恥辱凌辱なんでもござれ、『認識』の規定から脱したとしても再教育されたら無事に手駒の完成。メサイア・システムは私達に変わって人類を運営したいんでしょ? ほら、可能性くらいはあるじゃない」
「……」
その発想は無かった。
ハイドさんと取引しているからその考え方は無かった。現状、誰が味方で誰が敵なのかはハッキリしない。そもそも味方と敵の定義から始めないとならない。ハッキリしているのはマキナはどんな状況でも取り敢えず俺の味方ではあるくらい。
かといって世間知らずなお姫様みたいなコイツの意見を鵜呑みにするのもどうかとは思うが、何となく関わりを持っているからと言って、安易に敵対的な物の見方を排除するのは如何なものか。
「……なあマキナ。もしかしてお前ってメサイアのトップがキカイだって最初から気付いてなかったか?」
「どうして?」
「嫌い方が尋常じゃない気がする。お前って強いだろ。その気になれば簡単に潰せるのに随分嫌うんだなって。それってもしかしたら同じキカイが関与してるから……みたいな?」
「ニンゲンだって害虫は簡単に潰せるけど嫌いでしょ? それと同じよ。同じキカイなんて知らなかったわ。まあ知ってても仲間意識とかはないけど。ただ……」
「ただ?」
「ニンゲンの味方をしてるのが気になるわね。私はほら、貴方と取引してるけど、ああいうのって早々起きる事じゃないし」
いつの間にか俺の方も携帯を取られたのを忘れ、ショッピングモールへ向けて足を進めていた。幸運な事に赤子はいない。ただし人の集まる場所へ向かっているので否が応でも糸を見なければならず、たとえマキナが傍に居ても負担は存在する。
「う…………」
「……大丈夫?」
「ああ。糸が異常に多い場所がある…………多分、赤子が溜まってるんだろうな。ああ、今度はどんな風に使われてるのか想像したくもないああ……………」
吐き気がする。頭痛が、動悸が。もう赤子を見るのはこりごりだ。何でもいいからさっさと黒幕にはご登場いただきたい。今なら交渉の余地なく殺す自信がある。今までで一番被害を被っている気がする。苦しい。呼吸をしているだけで喉が焼けているみたいだ。
「…………有珠希って、死体にも糸が視えるのよね」
「視えるな。それについちゃよく分からない。生きてから死ぬまでの全てが糸なのに、死体にあるのは何でだ。輪廻転生ってのは本当にあったのか?」
「…………辛いなら、言ってね? 有珠希を運ぶくらいなんともないんだから」
「―――ありがとう」
昼に差し掛かっていくにつれて人通りは多くなっていく。石ころみたいにちょろちょろと赤子が転がっているのを除けば―――
「――――――どういう事だよ」
目についたのは、リュックサックの代わりに赤子を背負う女の人。ショルダーバッグから顔を出した赤子も見える。道端に転がっている赤子とは違ってきちんと認識されているようで―――ただし扱いは人間のそれではなく、乱暴だ。バッグのチャックを執拗に何度も何度もぶつけられているからか赤子の首元が赤くなっていた。
ベンチに座ってモール前の様子を窺っているとまだまだ浮かび上がってくる。お金の代わりに赤子を払う男性、犬の代わりに赤子を散歩というより引きずっている女性。今にも老衰してしまいそうな老人にプロポーズされてそれを了承する子供など、時間を好きに弄れるだけあって滅茶苦茶な事になっている。にも拘らず、誰もそれを認識しない。認められているのは個別の状況だけ。全体を以て異常という結論に達している者は俺達を除いていないように思えた。
「…………マキ、ナ。『刻』の規定は無機物に対して効果を発揮出来ないのか?」
「まさか。意図的な物よ。泥棒さんは物に対する改定が趣味じゃないみたい。ただ生物は赤ちゃんより前に戻せないのね。おまけに殆ど刻を戻すばかりで進めてない。たまにはあるけど、気分が乗らなかったのかしら」
「……無目的で暴れてる訳じゃなさそうだよな」
その状況は多岐に渡るが、拾得者には目的がありそうだ。糸が視えるようになって以来、久しく足を運んでいなかったがリスクなくしてリターンはない。マキナも居るなら―――チャレンジしてみようか。
俺にとっては人外魔境も甚だしい、不愉快の巣窟へ。
「モールの中……入ろうか」




