私だけの使命
これだけで神社を立ち去るのも味気ないと思い、少し境内を探索する事にした。本音を言えばマキナの晴れ着姿をもう少し見たかった。誰もいないのなら丁度いい。非常識で非道徳的かもしれないが、ここは暫く俺達の物だ。
「これは何?」
「絵馬を掛ける所だな…………全然掛かってないけど、合格祈願とか家内安全とか見る気がする。すまん。初詣の経験はそんなにないんだ。記憶が曖昧でも許してくれ」
「絵馬っていうのは、そこのバケツに積んである物?」
「バケツぅ?」
こいつは何を言い出したかと思えば、本当にバケツ一杯に詰まっている。絵馬自体の形が悪いからかそれとも円形の入れ物に角形を入れるのは無理があったか、少し溢れ出ている。中の絵馬はどれも新品そのもので、書き込まれた物を神主が回収したという線はなさそうだ。
「……使っていいのかな」
「誰もいないしいいんじゃない? ま、駄目って言われても使うけど」
「うーん」
こういうのは有料だった記憶があるのだが、料金がどこかに書かれている訳でもないし、そもそもこの世界は通貨が機能していない。通貨が絡むと何かと都合が悪いからか、その影響はここも漏れなく受けている。かつての常識を有する者として悩んだが、郷に入ってはという事でマキナの我儘を採用した。
「お願いを書くのよね。指で書けばいいかしら」
「おう。キカイみたいな事言いやがって」
「キカイなんですけど!?」
「何でもいいよ。俺もナイフで頑張るわ」
これでは願掛けというよりも彫刻を彫っているみたいだ。お願いは最初から決まっている。俺のこれまでを振り返れば誰にでも分かるような、無病息災なんぞより遥かに簡単なお願いだ。神様が居るなら叶えてもらわないと困る。
「なあ―――お互いさ、秘密にしないか。何を願ったか」
「? どうして」
「…………全部終わったらさ、また二人で見に来るんだよ。お前が部品全部拾って、俺の視界が健常になってる頃には、流石に叶ってると思わないか? 神様なんて物が居るならな」
時間が解決してくれるような問題ではない。誰かが意図的に動かなければ絶対にそうはならないという確信がある。因果というよりただの勘だ。しかし俺の勘は良く当たる。特にやたら自分に都合が悪い事だけは。不本意にも。
ふとした思いつきによる逃げ方だったが、マキナは月の瞳を拡大させてその場でぴょんと跳ねた。
「うん! なんだか楽しそうだから乗ってあげるッ。でもいいのかな。その時ってもう貴方と私は取引関係が終わってるのに」
「もうただの取引相手じゃない。少なくとも俺にとっては」
手水舎の水を眺めて、水面越しにマキナを見遣る。彼女は絵に描いたような振り向き方をして、俺の背中を見つめていた。
「……お前と同じ条件で俺に協力を募る奴がいたとしても、俺は絶対にお前を裏切らない。まあ、そもそも俺とお前の取引は誰も知らないんだけどな」
「…………有珠希」
この視界を兎葵が視ているとしても、構わない。アイツが勝手に視ているだけで、これは紛れもなく俺の物なのだから。
「……うんッ。私も貴方以外は要らないわ! もし有珠希と同じ力を持っていても、きっと貴方より優しくて楽しい人はいないから!」
「楽しくも優しくもないぞ俺は」
「嘘ッ。だって貴方には幾らでもメサイアに鞍替えする選択があった筈よ。糸は治らないかもしれないけど、それだって私も言葉だけで、保証した訳じゃない。でも貴方は、会って間もない私の言葉をずっと信じてくれた。これが優しくなくて何だって言うのッ? ちょっと怒りっぽかったりするけどそこも含めて貴方が好き! 他の誰にも渡したくないッ。私だけの有珠希!」
マキナの姿が水面に映らなくなったので振り返ると、彼女はとっくに目と鼻の先まで飛び込んでいた。
「ちょ―――ッ!」
「背後は手水舎だが、後頭部をぶつける危険性があってもマキナには関係ない。単なる柄杓置き場に過ぎなかった木の板が瞬く間に溶けて、揃いも揃って手水舎の水の中に顔を突っ込んだ。
「ばっきゃろおおおおおおおおおおおお!」
身体の柔らかさにそこまで自信はない。上半身がねじ切れるかと思ったが何とか上半身がへし折れる前にマキナを押しのけられた。『清浄と汚染』のせいか双方共に身体が濡れていない。水に入ったのに濡れていないのは不思議な気持ちだ。
「時と場合を弁えろバーカ! 死ぬかと思ったわッ!」
「えー? うふふふふふ♡」
「くっそ……機嫌良くなりやがって」
こうしてじゃれ合っていられるのも赤子が視界に入らないからだ。著しいストレスを浴びたらそうも言ってられなくなる。用もないから出ないといけないのだが……憂鬱だ。とても。
「―――んじゃ、そろそろ部品探しを再開するか。丁度今、『刻』の規定が散々暴れてる。止めに行かないと大惨事になりそうだ」
「大惨事かは分からないけど、そうね。あれがあったら色々と出来る事も増えるわ。有珠希にも悪戯しちゃおっかなー♪」
「悪戯って何だよ。痛いのは嫌だぞ」
「『刻』の規定は触れた物体の時間を戻せるの。私が使ったらセカイの時間も巻き戻せるけど、基本的にね。だからこれを遣えば貴方をもっとちっちゃくする事だって出来るのよ? 勿論精神年齢はそのままだし―――望むなら、もっと小さくしてもいいけど?」
「……?」
「もう……私に言わせるの? 有珠希がニンゲンとして形成される前まで戻して私の体内に取り込めば、有珠希は私から生まれるのよ?」
「絶対にやめろ!」
記憶が無くなるならまだしも精神年齢が据え置きというのが最悪だ。俺という赤子は一体何処へ向かうのかという心配もある。マキナは冗談で言ったつもりかもしれないが、それを肯定するとアイツはやりかねない。突然子宮へ回帰するかもしれない高校生の気持ちを答えよ。
「ちっちゃくなった有珠希を抱っこしたいのにな~」
「…………ちょっと待て。お前、精神年齢は戻せないのか?」
「私は心をカタチとして認識してないから。それが出来るなら可能よ。そんな人間がいるとは思えないけど」
「―――じゃ、道に転がってる赤子って精神年齢はそのままなのか?」
「ええ。身体の機能は退化してるから喋ったりは難しいと思うけど。後は退化するから記憶も一部破損するかな」
そんな赤子を道にばらまいたり、ゴミ箱に回収したり、側溝に詰めたり、押し売り道具にしたり。規定拾得者のやりたい事がさっぱり見えてこない。方向性が不透明なので次の行動に先回りをしたり事前に情報を集めるという事も難しい。
―――こっちから電話かけてみるか。
ハイドさんを利用する時だ。あの人が何の情報も持ってないとは思えない。流石に『傷病』の比ではなく被害の大きい行動には目を光らせている筈だ。
「まずは何処へ行く?」
「……ショッピングモール前とか行ってみるか。物凄い事になってそうだ」
『よー。やってくれたじゃねえかキカイ。俺ぁ怒ってんぜ』
一先ずの目的地に向かう最中。謎に自販機へ興味を持ったマキナを放置している間に電話を掛けた。相手はハイド・アンヘルことメサイア・システムの幹部であり、将来的に世界征服をする為に俺を必要としている。こっちが正しい意味での取引関係だと思う。
『……アイツに何かされました?』
『なんかもクソも幹部の一人が殺されただろーが。まあアイツがいなきゃてめえが死んでたんだろうから、結果オーライって事で目を瞑ってやってもいいがな』
『やっぱりあれ、幹部だったんですね。未紗那先輩を狙ってたんでそうじゃないかって思ってたんです』
そして幹部の癖に大物感の欠片も無い男だった。こんな事を言うのもあれだが余裕がないというか、単なる面倒くさがりにしか見えなかったというか。
『あーミシャーナな。アイツ手中に収めたら勝ちなのは違えねえ。武力行使っつう選択肢が選べる訳だからな。つってもアイツは幹部ん中で一番若えからキカイの事も知らなかった。俺みてえに知ってたら直ぐに退いたとは思うんだが……どうかな」
退いたとしてもマキナが追わない保障はない。どっちみちあの状況は詰んでいたように思うが……。
…………。
『ハイドさん。クデキって名前に心当たりはありますか?』
『あ? ……てめえ、何処から聞いたその名前』
『メサイア・システムのトップの名前ですよね』
『―――っち。そうだ。だがそれがどうした。名前分かったからどうって訳でもねえぞ』
『…………その人が、キカイだったって言ったら。貴方は驚きますか?』




