カワイイは正義
桜の刺繍された着物は、高級品でも何でもないのだろう。何処から入手したのかも分からない。ニンゲンに興味がないのは基本的に悪い事というか、悪い事にしか繋がらないのだが、興味がないからこそ決して奪ったりはしない。なので現実的な線を考えるなら規定を使って作ったのだろう。
それはそれとして。
思考が止まった。動きが止まった。今までの苦悩とか糸の負担とか視界の狂気とか、どうでもいい。どうでもよくなるくらい、目の前の光景は髪の毛からつま先に至るまでの全てが眩しい。苦しめていた理性の全てが吹っ飛んだ。
「……?」
良いも悪いもない、何の反応も見せないばかりか石化してしまった俺を不思議に思ったのかマキナがぴょこぴょこと近づいてくる。美術品のような足先が滑るように廊下を歩き、顔の前で止まった。
「ねえ、合ってる? 間違ってる? どうなの?」
「か………………」
「か?」
「かわ……いい」
ああ。『愛』の規定が発動しているならそうだと言って欲しい。それなら抗える。この気持ちは嘘だと整理を付けられる。でも違う。規定は恐らく発動していない。この気持ちは何処までも純粋に、俺だけの物だ。
振袖部分を掴み、マキナを引き寄せる。身体が密着した所で優しく背中に手を回した。やってきて突然抱きしめてくる不審者にキカイは困惑を隠せない。
「可愛いぞ、マキナ」
「え? え? 何、どうしたの?」
「可愛い」
「え、うん」
「可愛い」
「う、うん」
「可愛いぞ!」
「うん! もっと言って!」
「カワイイ!」
「えへへえへへへへ♪ 何、今日はどうしたの! 凄く褒めてくれるじゃない!」
「いやあ…………」
連鎖的な反応ではあったと思う。常識だと思っていた物は常識でなく、遂には生きているはずの赤子を、どうしようもないからと言って認識しなくなる異常がまかり通る状況。見たものをそのまま表すのは簡単だ。でも実際に見えるのとは話が別。俺の心は多分限界だった。自分でも気づかなかったのかもしれない。
だから想像以上に想像を超えて。マキナの晴れ着姿は効いた。自分が同年代よりもドライなのは視界にストレスを抱えているからで、そこが取り除かれたら拗らせた思春期真っただ中の何でもない高校生。
もう本当に、可愛い。
「本当にな。今日はおかしな事が続いて頭がおかしくなりそうで……お前の姿だけが癒しなんだ」
「どうしたの?」
「ニンゲンの赤ちゃんが妙な事に使われ始めた。『傷病』みたいな単なるサディストとは訳が違いそうだ。ほら……分かるだろ。俺には赤ちゃんの数だけ糸が視える。それに……お前には言わなかったけど、最近糸が生物以外にも広がってきた。勿論、生物を起点にな。だからもうよく分からなくて……」
「…………それ、ホント?」
マキナが俺の胸を放し、真正面から互いの顔が見えるまで距離を取った。満月の瞳は一筋の曇りもなく輝いている。
「ああ」
「…………まずいわ、それは」
「どう不味い?」
「物に見えるようになったのは、人間の因果と密接に関わってきたからよ。分かる? 壁に触れたとか、それで怪我したとか、そんな何でもない触れ合いもまた因果の一部。私、貴方の力をずっと楽観的に考えてきたけど―――早く消してあげなきゃ」
「ちょいちょい。待て。意味が分からない。勝手に完結するなよ。やっぱりこの悪化って―――何か不味いのか?」
「分からないけど…………察しはつく。この先どんな悪化をしても、貴方は人間社会じゃまともに生きられなくなるわよ」
「………………そうか」
「そうかって……ニンゲンはキカイと違ってか弱い生き物よ。もう少し動揺しても良いんじゃないの?」
「動揺はしてるよ。凄くしてる。でも……よく考えたら、お前と組んでなかったら結々芽に殺されてただろうしな。今、生きてるのは。奇跡みたいなもんだよ。それにほら、結局これから生きていくって事はもうこの視界とはおさらばしてるって事だ。だからいいんだよ俺は別に。どうせどんなに悪化しても……お前だけは、綺麗なんだからさ」
死に瀕した人間だからこそ伝えられる言葉がある。多くの場合それは遺言と呼ばれるが、それならいつどんな状況でもマキナがいなければ死んでいた俺の言葉は常に遺言だ。何処までも本音で、そこに嘘はない。
マキナはぼうっと頬を染めて、俺の胸に顔をうずめた。
「……ねえ。初詣に行きましょう? ふ、ふふ。うふふ♪ 有珠希、有珠希有珠希。有珠希有珠希有珠希有珠希♪ 早く。何でもいいから。行きましょう?」
「……ああ」
妹と同じ神社に行くのは何となく気が引けたので、わざわざ真反対にある小さな神社までやってきた。赤子を見ない道を探すのは不可能に近かったが、それはこちらの努力で何とかした。視界を狭めれば見たくない物を見なくても良い。
「ねえ有珠希、無神経に聞くようだけど有珠希は赤子って好き?」
「本当に無神経だなこの野郎。 ……好きでも嫌いでも無いよ。ただ糸を見るのは御免だ。人間を見て気持ち悪くなるのはずっと前から飽きてるんだよほんと…………無神経に俺も聞くけど、キカイって子供は産むのか?」
「産む訳ないでしょ。だってキカイよ。私は生物の規格から外れた存在。生命の循環には巻き込まれてないの、基本的にね」
神社に到着したので、牧寧との再現をするように作法をこなしていく。彼女は俺のやり方を見て倣うように続け、その度に何やら面白さを見出したように微笑んだ。時々関係のない踊りなんかも挟みつつ、また賽銭箱の前にやって来た。
―――ここも神社関係者が居ないの、ヤバいだろ。
「でも、今は貴方のパーツを使ってるから話は別よ。ねえ、貴方は神様に何をお願いする!?」
「……そりゃ、決まってるだろ」
「やっぱり糸を無くす事?」
「それは神に願うよりお前に頼った方がいいけどな……いや、ていうか神様なんて居るのか? お前みたいな存在が居るなら―――っていうかお前が俗にそう呼ばれて然るべきなんじゃないのか?」
マキナは首を傾げて困ったように口を尖らせた。あまり突っ込むべき話題ではなかったのか。都合の悪いような事は一切言わなかったと思うが、神様嫌いでも拗らせているのだろうか。無神論者? キカイが? 宗教嫌い?
雰囲気が沈んできたので、俺の方から改めて話題を切り出した。
「お前の方はどうなんだ?」
「―――私? ううん。言わない。言ったら嘘になる気がするから。でも……きっと叶う。そう信じてるわ」
「そうか」
俺はきっと、欲張りだ。どこぞの妹と同じように強欲で―――だから。欲しい物全てを手に入れたい。それがどんなに眩しく、手の届かない高貴なモノであったとしても。
例えば。因果を寄せ付けない存在でも。
連続?




