イビツな世界
この後は家族との初詣が待っているので、俺達は解散した。物件情報はまた夜に。こうしてすぐに動けるようになるのは着物を着ない強みだ。とはいえ、早朝から外に放り出されると辛い物がある。単純に寒い。
―――学校に行ってもなあ。
部活なんて入ってないし、言った所で気まずいだけだ。諒子が部活に入っていたならその応援に行っても良かったが、アイツも帰宅部らしいので意味がない。学校がないとカガラさんにも会えないし、未紗那先輩はずっと音信不通だし、選択肢があるとすれば―――マキナの家くらいだ。いや、未紗那先輩の拠点の一つには行けるが、そこに居るとは限らないし、何より『放っておいた方がいい』という言葉に従いたい。
「なーんか踊らされてる気がするなあ」
というより、俺の交友関係が狭いだけだ。諦めてマキナとまた詣に行こう。その後は部品探しでもすれば一日なんて直ぐに終わるから。一日が二十四時間なんて嘘っぱち。年を取れば取るだけ感じる時間は短くなるというが、体感ではなくて実際に時間が減っているのではという気さえする。『刻の規定』なんて物があるなら猶更そう思いたい。
「うわああああああああ! なんだあああああああああ!」
道で騒ぐ男性の声を誰も気に留めない。彼は非常に錯乱している様子だったが、子供のテンションなんて高かったとしても不自然ではない、高すぎて意味不明な所もあるくらいだ。しかしあまりにも煩いので様子を窺ってみると、側溝に赤子が詰まっていた。
「…………うッ」
夥しい量の糸を見た瞬間、猛烈な吐き気が体内で生成される。それと同時に視界の在り方が変容し、無機物にも糸が広がってきた。未紗那先輩の時と同様、人間を介して伝わっている。今回は赤子。
「…………やめ、ろ」
人数が人数だから、糸の広がり方も尋常ではない。瞬きを拒否し、それで乾燥し目の病気を患う事になったとしても目を閉じたくない。そう思わせるくらいに糸は広がり、俺の足元もとっくに呑み込まれている。
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ」
「おい、どうした! 俺を助けると思って言ってみろ!」
「いや、溝に……あれ? あ、あれ? 何にもないな」
「何だよ気のせいかよ。疲れてるんじゃないのか? ご飯でも食べに行こうぜ。なあ」
「お、ありがとう。初対面だから、なんか呼び辛いな。名前を教えて―――」
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ!」
広がる。拡がる。拡がる。生き物のように、罅のように、生態のように、波のように、人間の様に、歴史の様に。糸が、糸を、糸で、糸に。詰まったドブはあふれ出す。無数の糸が、糸を吐く。中心部を覆い隠すかの如き膨大な量の前では、赤子の姿など忽ち覆い隠されてしまった。
これ以上ここに居るのが嫌になって、逃げだすようにその場を抜ける。前なんて見てられない。今は人間を一人だって見たくない。
―――おかしいだろ。
こういうのはもっと、特殊な状況の時に悪化するべきだ。赤子が詰まっているからと言ってそれは結局たくさん人間がいるだけ。それを見ただけでこうなるなら、俺はもう二度と人ごみに行けない。
「……式君?」
極力視界を潰した状態で且つ安全に移動する為には壁伝いに動くしかない。その光景は―――誰にとっても異様だっただろう。ましてそれが友達だったら声の一つも掛けたくなる。
「……どうした、の? 大丈夫か?」
「諒子。薬、持ってるか?」
「う、うん。もってるけど……」
「くれ」
後ろ手を差し出すと、大粒の薬が掌に乗った。水なんて要らない。薬だけで十分だとばかりにそれを急いで口の中に放り込むと、脳の血管が拡張したかのような、頭部全体が上に引っ張られるような痛みが表れた。だがそんな物は一瞬、視界の狂気は色を失い、徐々に引いていく。比例してただならぬ狼狽をしていた気持ちも不思議と落ち着いてきて―――視界が一段階前に戻った。
振り返ると、黒いセーターにタータンチェックのロングスカートを履いた諒子が胸の上に手を置いて俺を見つめていた。頭に巻いた包帯は相変わらずで、それだけで彼女と認識している節がある。
「……ありがとう。落ち着いた。後、あけましておめでとう」
「え、あ、うん。あけましておめでとう、だ?」
「こんな所で何してるんだ? 今月は永久に休みだぞ」
「えっと…………家に、居られなくなったんだ」
「家に?」
「大量の……赤ちゃんが押し売りされて……二人共、その世話をするから、私を追い出したんだ」
………………
「ん? もう一回言ってくれ。赤ちゃんが?」
「家に押し売りされて」
「家に?」
「いられなくなった」
………………
「―――ど、どういう状況だよそれ」
薬を飲んでいなかったら大袈裟なくらい驚いていた所だ。服用直後はどうしても感情の起伏が乏しくなる。これでも十分驚いている。
「押し売りからよく分からない。お前も分かるだろ。今は通貨に意味がなくなってる。何でもタダだ」
「…………家財を、取られた」
「おう?」
「住居も、コンテナみたいな所に引っ越して、そこに赤ちゃんと一緒に詰められたの。だから―――正直、追い出されたのは気にしてない……んだけどな」
どうもあの赤子の山は様々な事に使われているようだ。大量の赤子と引き換えに家財を全て取られるのは割に合っていない。人間は尊ぶべきものかもしれないが、それを新たな通貨の如く使うなんて尊厳破壊も良い所である。
「……諒子、今日は暇か? 暇だよな多分」
「馬鹿にするなッ! 暇…………暇。だ」
「連絡先交換しよう。後で連絡するから、その時は何も言わずに協力してくれないか」
諒子の顔色は心配になるくらい悪いが、直後は一気に色が戻って顔を赤らめた。ただ連絡先の話をしただけなのに何故身体をもじもじさせるのだろう。そこまで恥ずかしい事を言ったつもりはない。
「…………式、君は。何か私の知らない事に関わってるん、だよね」
「まあな」
「私も…………一緒に関わったら、駄目かな」
――――――。
俺は決して性格が良いとは言えないので、『女の子が危ない事に首を突っ込むな』とは言えない。大体周りの女の子が揃いも揃っておかしな強さを発揮している事が多く、か弱いのは俺の方だ。諒子だってどちらかというと強い方だ。まともな戦力としての力がないとはいえメサイア・システムのメンバーを大勢無力化するくらいの力はある。
だから関与してくれたら俺の負担が減るのは間違いないが、気になるのはマキナだ。アイツが俺以外の関与を認めるとは思わない。兎葵が例外なだけで―――その例外にも、度々本気の殺意が向けられている事から、どうでもいいニンゲンに対する沸点が異様に低い。あれは無関心というより無関心寄りの嫌いだ。
どうでもいいから気にしないのではなく、どうでもいいから殺すまでのハードルが低い。
「……駄目、とは言わない。ただ俺の一存じゃ極められないな。そのことも含めておいおい連絡する」
「…………じゃあ、交換する」
「トモダチの頼みだ、無碍にはしないよ…………ありがとな。俺の助けになろうとしてくれてるんだろ」
「――――――ふ」
その儚い笑顔は、俺だけの物か。トモダチの特権だとするなら有難い。
遠くで屋上から赤子を放り捨てている輩がいるせいで、頭がおかしくなりそうだったのだ。薬の効力は段々と短くなっているらしい。
アイツの家の近くでは赤子をどうこうする暴挙は行われていないようだ。ただし道中はそうでもない。諒子と別れた場所からこちらに来るまでの道のりでは大量の赤子が死体の絨毯となって転がっていた。一度死体となれば誰も認識しないから踏まれ放題で、そこが嫌だからと他の道を辿れば生きたままの赤子が転がっている。
それで今度は、『認識』の規定が稼働する瞬間を見てしまった。生きた大量の赤子が転がっていることを認識した善人は最初こそ驚くが、それから記憶を失ったようにそれを認識しなくなる。彼等は『善人』をやる上で都合が悪くなりそうな状況から目を背けているのだ。
どの道をどう進もうとしてもどこかしらに赤子が居るのでもう住居侵入上等で他人の家を介してここまでやってきた。薬の効力は切れているので先程からストレス性の動悸と吐き気、それに頭痛が止まらないが、何とか視界の悪化だけは発生していない。
マキナの居る部屋までを全力でダッシュする体力もなくなっている。病は気からとも言うが、妙な光景の連続ですっかり気が滅入っているのは言うまでもない。だからとにかく会いに行かないと。アイツの傍だけが、『正常』で居られるのだから。
「…………マキナ」
息を切らしながら扉を開けると、居間の方からキカイがひょっこりと顔を出した。
「有珠希! あけましておめでとう!」
「さっき聞いた」
「ふふふ♪ 何でもいいじゃない。お祝いは一回したらそれ以降は駄目なんて決まりはないんだから!」
今朝と比べても更に上機嫌だ。兎葵はどうやら居ない様子。もし居てくれたら解説を頼んでいたと思う。まさかも何も本当にパシられた結果、居ないのだろうが。
「ね、ね。これどうかしらッ。初詣ってこういう服を着るんでしょ!」
臙脂色の着物を着たマキナが、両手を広げて廊下にぴょこんと飛び出してきた。




