君と歩むミライが欲しい
先輩の感情が抑えられなくなっているなら、一度発散させた方がいい。本気で殺しあったら……というか殴り合いでも余裕で俺の負けだがどうも俺と先輩は負傷を共有しているっぽい。肩が外れたり手首が折れたり頭部への痛打も……多分根本的な強度のせいで気絶しなかったのだろうが。
だから多少無謀な戦いでも完全に死ぬ事は無いと思った。ゲーム的に言えば先輩はあらゆる状態をHP最大に定義し直して負傷を誤魔化している。マキナの言葉通りならその誤魔化しには限度がある筈だが、それでも普通の俺よりはずっと死ねない。
諒子から手が離れた瞬間、未紗那先輩の身体が消えた。しかしそれは瞬間移動のような超能力ではなく、しゃがむのが早すぎてそう錯覚しただけだ。尤もそこまで理解した時には俺の足は払われて、骨なんて無かったかのようにあっさりとへし折れた。
「ガ、あああああああああああああああ!」
同時に未紗那先輩の足が折れた。ああ、やはりそうだ。そうだと思った。糸にそう書いてある。なら俺は死なない。死なないがその代わりに―――死ぬほど痛い。
「どこにも、逃がさないぃぃぃぃ!
赤い糸が明滅する。視界が暗転しない代わりに、いや全く体の物理的な痛みとは無関係に目が痛い。硝子の目玉が割れるよう。そんな痛みなど気にしている暇もない。否どちらを気にするべきだ。優先順位はない。共に両足を失った俺達だが未紗那先輩がずるずると身体を這わせて俺に密着。マウント状態を作り、喉を引きちぎった。
皮膚に守られていても肉は肉だ。握力で食いちぎられた影響かついでのように潰されて声も出ない。同時に先輩の喉も引き裂かれ、夥しい量の血液が顔に掛かる。
「……………ァァ!!」
「…………ぃぃぃ」
殴る。殴る。殴る。
蹴る。突く。刺す。割る。
俺の身体が一方的に蹂躙され、同じように先輩の身体が崩れていく。主に先輩の血液を被り続けている影響で俺達の身体の境はどんどん曖昧に。限界を超えた痛みに意識が飛びそうになるが、その度に因果の糸が広がっていってそれを拒む。
「式君から……離れろ!」
横から諒子の蹴りが命中して未紗那先輩が転倒。指一本動かせない状態の俺を抱き起こし、制服の袖で懸命に血を拭っている。
「だ、だいじょう…………え?」
「…………本当に」
傷はなくなっていた。イマなら読める。先輩は『生命』を反転させた。一神通にやったように、この人は規定を反転させる事が出来る。だから傷を負わない筈のアイツが傷を負わないからこそ『瀕死』になって死んだ。
理屈はそれと同じ。どういう風に基準を見出したかは分からないが、一般的には生まれた傷口は時間経過で広がっていくがこれを逆にしたのだ。流れを逆さにしただけなのでダメージはダメージだが、傷が塞がってから再反転すれば単なる回復になる。
「本当に……誠意があるのはそっちですよね。未紗那先輩」
動揺に先輩の傷も無くなっている。仕切り直しではない。血が抜けて貧血に陥れば少しは頭も冷える。それも込みで、俺は勝てない喧嘩を売ったのだ。
「貴方は俺を殺す気なんて……ない。出会った時からずっとそうだった。自分が一線を超えないように『生命』の規定をリンクさせてる……違いますか?」
「式君。目が……」
「何も言わないでくれ。諒子」
分かってるんだ。もう時間がない。どうせ他人様の視界を勝手に見てる兎葵がマキナに知らせるだろう。アイツが来たら全部滅茶苦茶だ。それまでにどうにかする。この眼の事なんて後回しだ。
因果の糸が繋がる人間達を起点に、建物中に赤い糸が広がっているなんて、どうでもいい話なんだ。
そのせいで目に罅が入って出血しているのも、気にしている場合ではないんだ。
「……何で、ですか」
「はい」
「何で…………何でぇ……………私から、離れようと。するんですかぁ……?」
敵意であったり、愛情であったり、憎悪であったり。単なる女性の涙だったり。治った両脚の事など忘れて先輩は俺に向かって這ってきた。涙を拭おうともしない隠そうともしない、何度も何度も己の肩を抉って、自罰的な感情をむき出しにする一方で、子供のような傲慢さが口に現れる。
「何が……足りないんですかぁ…………何があったら、私……私から…………離れないで、くれ。ます。かあ」
「何が……いい……んですか。何が。何が。何が。あの女の何が……何処に。惹かれたんですか。ねえ。式宮……くん……ねえ」
「どうすれば、勝てる……ですか。教えて……ください。ねえ…………有珠希……君」
「………………貴方に何を言われても、俺はマキナの味方です。その理由も、教えられません。アイツは俺にとって唯一無二の存在なんです。俺の望みを叶えてくれそうなのはアイツしか居なくて、だから裏切るなんて考えられません。ごめんなさい。最初に言うべきだったんです。俺は。でも……俺は怖かった」
「…………こわかった」
「糸に繋がれながら他の奴等とは違う先輩に嫌われるのが。貴方はとんでもないお人好しだ。最初は警戒してましたけど、俺は先輩が先輩で良かったと思ってます。部活も入ってないから上下関係とかよく分かりませんけど、年上のまともな人が居るってのはちょっと安心出来て。『傷病』の規定に殺されかけた時に救援に来てくれたのも嬉しかったです。そんな先輩に俺は最初からマキナの味方だなんて言えなかった。一緒に居られる口実が……多分欲しかった」
「………………」
未紗那先輩が、目を丸くして聞き入っている。
「嫌いなんて、嘘です。顔も見たくないのも嘘。俺は本当に。心の底からこれからも貴方と仲良くしたいと思ってます。だから敵にしたくなかった。なあなあで済ませたかった。いつか破綻する事なんて因果が視えてなくても明らかだったのに。ごめんなさい。本当にすみません。先輩の甘さにつけこんで調子に乗りました」
「…………一つ、聞かせてください。式宮君。君にとって…………君にとってわた、私は。何ですか……?」
俺にとっての先輩が何なのか。とても簡単な話だ。実は小学生だった先輩。性根がお人好しでも命令に従わざるを得ないから、結果として手を汚す事になったような人。誰かを殺すのに微塵の躊躇いもない癖に、後輩の俺にだけはどんなに狂っても情けだけは掛けてくれるような人。一々リアクションが純情で、茶目っ気があって、大胆な先輩。
「………………憧れです」
「……あこが、れ」
「先輩はマキナと比較したがりますけど、俺にとっては比較対象とかじゃないです。諒子ともね。何が足りないって言い出したらそりゃ全部足りませんよ。未紗那先輩を百点満点にするならマキナなんて三〇点がいい所です。先輩は復讐の相手で目の仇だからそう思っちゃうのかもしれませんけど、全然そんな事はなくて。先輩には憧れてます。相手が気味の悪い善人でも手助け出来てしまうような善性が、事前に準備していたとしてもそれを保てる人望が。今更高校生活を満喫しようと思って出来る素直さが。とても素敵だと思います」
「あ。あ、あああ。やめ。やめてッ。わた、わたし。私。私。私わたわたし私。やめて! そそんなそんなんな事そんな言われたら…………!」
自らの両腕を交差してその場に蹲る。支部のエントランスに先輩の啜り泣きが響いた。カガラさんも何処かで聞いているのだろうか。年相応に感情を見せる先輩の―――素直な姿を。
「―――俺、無理だと思っててもやっぱりマキナと先輩には争わないで欲しいんです。だから。その。先輩に聞きたいんですけど」
これ以外のどのタイミングでも、未紗那先輩は耳を貸さない。その確信があったので、今言うしかない。トップの意見が混じる前に、本心を問い質したい。
「もしも。幻影事件がキカイの仕業じゃなかったら、先輩は戦わないでくれますか?」
もしもなんてない。
キカイの仕業以外考えられない。そんな空耳が聞こえた気がする。タイミングを間違えばそう言われるだけだ。今は違う。今だけは変わる。思い込みの壁を突破して、今ならまともに取りあえる。
先輩の涙が、引っ込んだ。
「……どういう、事ですか」
「―――先輩。言いましたよね。キカイは世界全体のバランスを保つ秩序だって。それで先輩は考察として、今の世界のバランスを乱している存在―――俺や先輩を殺しに来たんじゃないかって言いましたよね」
「……はい」
「幻影事件で、先輩は家族を失ったって聞いてます。カガラさんに。幻影事件は人類が突如として同士討ちを始めた謎の世界的事件。それは普通に考えたらバランスを大きく乱しています。だからキカイはこの時も現れている……先輩の言い分を全部信じるなら、こういう結論になります」
「……?」
「幻影事件はあらゆる国が大ダメージを受けた。そのダメージっていうのは紛争国と先進国で意味合いが違うかもしれませんが…………バランスが大きく崩れているなら、俺達が絶対に目にしなきゃいけない指標が全然動いてないと思いませんか? 俺はあんまりテレビを見ませんけど……幻影事件の事が一切報道されないとしても、もしその指標が動いてたら報道されなきゃいけないと思うんです」
「…………何ですか。その指標は」
「人口です。誰も口に出しちゃいけないってくらいなら人口割合が減るレベルで死者数が出ていないとおかしいのに。そんな報道は目にした事がない。世界全体というなら当然人口は考慮されるはずです。さっき調べましたけど……やっぱり人口は一切減ってないどころか増えている。所詮仮説です。でも幻影事件にキカイが関与していない可能性が生まれたなら……先輩が復讐するべき相手はマキナじゃなくて、もっと誰か別の人間だって事になりませんか? その可能性を放棄して、盲目的にマキナを敵視しますか?」




