純然たるデート
「えーもう終わり?」
上半身のあらゆる場所にキスをされた所で俺がギブアップ。マキナの胸に顔をうずめる形で白旗をあげた。視界が封じられているので兎葵にも気付かれなくて安心? そんな訳あるか。アイツの視界にはばっちり経緯が映っている。感覚はなくてもアイツだって半分マキナの胸に顔を挟まれてるような物だし、そこに行きつくまでに俺が全く抵抗しなかったのも見えているだろう。
―――いや、抵抗した結果だけどな?
唇だけでなくて瞼や耳、鼻や頬や額や首。肩や胸や腕にまでキスをするマキナに負けじと俺も追随しようとしたら、胸の先端に唇が触れかけた所でブレーキがかかった。一瞬の硬直が仇となりそのまま沈没。白旗の流れである。
マキナはまだまだ物足りなさそうにしているが、一度長期的に冷静を取り戻せたならもう過熱はしない。というかもう十分すぎるくらい俺達は二人きりの時間を過ごした。時計を見れば明らかで、とっくに十二時を上回っている。朝訪れたのに次に気が付いたらこれだ。俺達は一体どれだけの時間夢中になってキスを交わしていたのだろうか。
「んぐぐぐ。んぐぐぐふんんんぐぐぐ」
「離せって? 嫌ッ。それに……私、兎葵から色々聞いてるのよ? 有珠希はこういうのが好きなんだって!」
「んんぐ!?」
あの野郎…………!
「あの子、結構役に立つじゃない! 生かしといて正解ね、これからも有珠希の事で知りたかったら聞いちゃうんだから!」
「んふふふん! んんんん!」
兄を名乗る不審者に付き纏われたくないって……言いたい事言って逃げただけじゃないか。視界を共有しているというのも物は言い様だ。さもお互いにデメリットがあるようで俺にしかない。共有という概念に反してこれは一方通行だ。兎葵は視力の代わりに俺の視界を得ていても、俺は兎葵の視界を得ていない。共有ってなんだ、その実態は一方的な視界搾取ではないか。
「―――いいかげんにしろおおおおお!」
さも強引に脱出したかのような構図だが、実際はマキナが力を緩めてくれただけである。一応満足してくれたと見ていいのか。
「……疲れた。今日一日はずっと一緒に居るんだから、これだけってのも駄目だろ。部品探しはどうするんだ?」
「いい!」
「いい?」
「どうでもいいわ、そんなの。部品は明日からでも探せるけど、有珠希を私の物に出来るのは今日だけだものッ」
悪意もなければ皮肉もない。ただただマキナは透き通るような笑顔を浮かべて、愛おしそうに俺の手首を擦っている。俺達の始まりは部品なのでどうでもいいと言われると約束を蔑ろにされたみたいで腹が立ったが、そんな風に微笑まれると色々怒る気も失せる。
「お前との約束があったから今日無断で学校休んだんだ。流石にこれだけで終わらせるのは俺が嫌だな」
「そう? じゃあ食べ歩きでもする?」
「食べ歩き……? お前にしては妙な提案だな。お腹減らないのに」
「そうね、私にとっては娯楽だけど……有珠希の為にもっといろんな料理を知りたいなって思ったのッ。ほら、私ってレシピがあれば完璧に再現出来るけど無い物は出来ないでしょ。だから色んなもの食べて、これだって思ったら兎葵に教えてもらうの!」
掌を突き合わせてマキナがはにかみながらウィンクする。今日一日ずっと上機嫌で居てくれるなら俺もこんなに目の保養になる事はないが、先程から発言のノイズになる人物が出てきて、それはどうしても気になった。
「アイツ、料理出来るのか?」
「『兄に教えてもらった』って」
「…………」
俺が、料理を?
猶更信じられない。幻影事件は本当に何があったのだろう。全く料理が出来ないとは言わないが、多種多様に作れる程のスキルは拾得した覚えもなければ教えてくれるような人脈もない。マキナが関わった時以外であの言葉を使った事はないし。
「…………ん? アイツってお前と二人きりの時、俺を兄って呼ぶのか?」
「『有珠兄が殆どね。有珠希ってば妹に好かれてるじゃない」
「好かれてるなら逃げないと思うんだけどなあ……」
うっかり出る時を除けば、俺がいる時の呼び方は基本的に『有珠さん』で統一されている。いつの間にかマキナには妹認定されているが、今の所は疑惑だ。牧寧を妹じゃないとは思いたくないし、かといって兎葵の方は―――概念的証拠がある。
どちらの方が妹にしたいかという話ではない。それならお淑やかで泣き虫な牧寧の方を妹にしたくなるので、ここは公平に考えを広げなければ。
「じゃあまあ……食べ歩きするか。でもお金は……」
「いいじゃないそんなの。今は払った方が目立っちゃうわよ。メサイアに目を付けられたいの?」
「…………それ、卑怯だな」
「?」
「いや、何でもない。分かったよ。郷に入っては郷に従えだ。俺が馬鹿だった」
働いているのだから、サービスを提供されたのだから対価として金銭は払うべきなのに、俺以外の誰もその必要性に気が付いていない。マキナもそれについて説得する時にメサイアを持ち出すのは今日だ。
また、未紗那先輩の涙を思い出してしまった。
そうだ、今までのお遊びとは訳が違う。俺にはもう合わせる顔なんてない。だから……眼を付けられるのは御免だ。今度会った時が敵でも味方でも…………裏切りを自覚するのは辛い。
二日前とかそこらにあんな大騒ぎがあったのにも拘らず、町は不自然なくらい何事もなく平和だった。これが『認識』の規定もとい今の世界の常識。マキナの心臓の力だ。一刻も早く探さなければと思う反面、よく分からない。件の心臓は俺が所有しており、生命活動に必要なものを全て担っている最中だ。だが俺は犯人ではないし、犯人が心臓を一通り使った後に俺に埋めたならもっと記憶が当てになる筈で―――幻影事件と犯人が同じかは分からないが、とにかく妙なのだこの状況は。
キカイの心臓はあるがそもそもマキナの物ではないという可能性は勿論あるが、死にたくないが為に説得力を持っているだけだ。この世界をどうにかするつもりなら今すぐ心臓を渡せばいいが死にたくなくて……その癖今の在り方は我慢ならなくて。それ以前に世界をどうこうするより視界をどうにかしたくて。本当に俺は我儘だ。
―――解決出来んのかな。
全部の問題が円満に終わるなら、それ以上は無くて。でもそれだとマキナは。
「有珠希は何が食べたい?」
「……ん。昼だしな。何だろうな。ラーメンとか」
「チョイスが最悪ですね」
「は?」
寒空の下。手を繋ぐのが恥ずかしくて歩いていたらがら空きの側面に兎葵がついてきた。相変わらずの無愛想で嫌味を言うその様子は俺の知る彼女そのものだ。着る服が無いのは相変わらずで今日は制服姿である。牧寧の物とは違う。
「……兄には近づかないって言わなかったか?」
「兄って誰ですか。私にはよく分かりません。見かけたから声を掛けただけですよ」
「そうか……じゃあな」
「立ち去るとは言ってません。視た感じ食べ歩きですか。ラーメンは美味しいですけど色々と論外だと思いませんか?」
「何がだよッ」
「気付いてないなら何も言いませんし、何も言わないからって勘違いしないで下さいね。私もお腹減ってただけで、それ以外の思惑とかないんで」
この面子はラーメン屋に入る顔ぶれではないような気もしたが、両者食べる気満々で、俺も適当に返答したとはいえ嫌いではない。同伴者は絶対的に注目を浴びる事になりそうだが―――まあいいだろう。気にするような性格でもないし。
「散歩してたら色々分かった事があるので、教えます」
「色々って何だよ。部品の位置か?」
「幻影事件とか。気になるんですよね」
兎葵はハーフツインテールを解き、後ろで大きく髪を束ね直した。すっかり忘れていたが、そうだ。俺はこいつから幻影事件のをやたら聞き出していたのだった。