熾天の果てに月を見る
章終了です。
兎葵を連れてマキナの家に到着するまで、会話は一言もなかった。主に俺と兎葵のせいだ。珍しくマキナが空気を読んだ形である。俺の方は未だに未紗那先輩の涙がフラッシュバックして足が重たかったが、時々動かなくなった片腕を動かそうとするマキナが見てられなくなって入室。『傷病』の規定で簡単に治せるらしいが、俺が来るまでの長期戦で体内がまた故障してしまったらしく、上手く働かないようだ。
幸い、彼女の身体は完全体ではなく、安い部品(オレの身体のパーツの事)で作られているなら交換も簡単だ。『清浄と汚染』で保護された布団の中で、俺は再び手首を切り落とされた。あの時は出血多量による意識の混濁で痛みがどうという感覚は薄かったが、今度こそ想像を絶する痛みが―――訪れない。
「……兄!?」
「どうしたの?」
「言うな兎葵! 早く……好きなだけ血を取れよ。骨でも臓器でも……何でも」
どうせ身体の下に隠されたキカイの心臓が俺の生存を保証する。心臓がないのに血液は循環し、肺がないのに呼吸が出来る。なら骨を奪われようが血を奪われようが関係ない。意識され残っていれば、取り敢えず死ぬ事は無いはずだ。
マキナは暫く上半身を潜り込ませてもぞもぞと動いていたが、やがて嬉しそうな笑顔と共に布団から抜け出した。
「いいわよ! もう接合したから大丈夫ッ。ほら見て、腕治ったでしょ?」
「ついでに治したのか」
「私間違ってた。腕がこのままじゃ有珠希を抱きしめる事とか出来ないもの……うふふ♪ うふふふ♪ なーんか有珠希の事がまた理解出来たかも!」
「―――見せつけるのはそろそろやめていただいて、私を殺してくれると助かるんですけど」
せっかく上機嫌になってくれたのに自称妹は話を蒸し返すのが大好きだ。月の瞳が彼女を捉え、マキナがゆっくりとベッドを降りる。
「死にたいなら殺してあげるけど、理由を説明してくれる? 有珠希も全然納得してないみたいだし、こんなんじゃ殺せないわよ?」
「タイミングを間違えたので…………萎えました。もう負けで良いです。牧寧の勝ちでいいです。疲れたんです。終わらせたいんです。これ以上頑張るのは……馬鹿みたいだし」
「ふーん。ねえ有珠希。貴方は何を聞かされたの?」
「兎葵が……妹だって話だよ。なんかそれで……視界を一部共有してる。それくらいか。俺はイマイチ信じられない。幻影事件の記憶はないけど、牧寧がずっと昔からの付き合いだったのは覚えてるんだ。急にアイツは偽物の妹だって言われても―――性質の悪い嘘としか思わないよ」
確かに言われてみると兎葵の顔のところどころが俺と似ているから、もし兄妹がいなかったらまだ信じられたかもしれない。目元と口元が自分でもびっくりするくらいよく似ている。牧寧は……どうだろう。自分からは分からないが他人から見れば何かあるか。二人の共通点は胸の大きさくらい―――と思ったが、兎葵は基本的に厚着しているのでよく分からない。
「覚えてるかしら。ほら、私が有珠希の家から帰る時の事。貴方の妹、ちょっと引っかかったのよね」
「何が引っかかったんだ?」
「因果のニオイは個人ごとに違うんだけど、血縁関係が近い人間はどうしてもダブるのよ。因果とは生から死までの一連の流れ。だから家族がある程度近くなる理屈は分かるでしょ? あの時は訳ありなのかなって思ってたんだけど、こういう事情なら言うわね。貴方と妹の因果のニオイは全く違うわ」
誰が信じられるか、という話なら現状一番信じられるのはマキナだ。直前でそういう選択をしたからではなく、人間でない以上彼女には人間社会のしがらみが一切通用しない。そして兎葵のように見ず知らずの他人としてではなく互いに重要な物を預けた取引相手だ。
そんなキカイからの発言は、頭ごなしの否定を許さない説得力に満ちていた。
「…………兎葵、は」
「家族ってハッキリ判定出来るくらい同じとは言わないわ。でも牧寧? よりは近い。私のは確かに精度は低いけど、低いなりにここまで差が出るのは妙だと思わない?」
―――牧寧が妹じゃない?
いや、鵜呑みにするのは違う。これは新たな情報に過ぎない。本当に妹かどうかを見極めるのは俺だ。俺が兎葵の兄であるなら、牧寧の兄でもあるなら。真偽はこの手でハッキリさせないと。それが家族に対する礼儀と―――兎葵を殺さずに済む方針の筈だ。
「マキナ。そいつ、殺さないでくれ」
「うーん。貴方の言う事に耳は貸してあげたいけど―――」
兎葵の視線はマキナの方を向いてからというもの微動だにしない。色々な意味で頑固な俺に期待していないのだろう。兄という割にはあまりにも信用が無くてバツが悪い。困り果てて頭を掻いていると。
「決めた! 殺さない事にするね?」
偏った判断にすかさず兎葵が噛みつこうとしたがそれを指二本で制されて沈黙。マキナはニコニコと悪辣な笑みを浮かべて言った。
「だってそこまで死にたいって事は自分の命に責任を持ちたくないんでしょ? だったら私が持ってあげる。部品もいいわ。どうせ手元にあるなら同じ事ですもの」
「そんな……嫌です。このまま生きるのは。それだけはッ」
「だって貴方、ずっと本音を隠してるじゃない。大事な事を全部隠して死のうなんて厚かましいと思わない? それとも有珠希が居るから言いにくいのかしら。駄目よ、大切なことは全部口にしないと、有珠希は鈍いんだから」
「…………」
兎葵の表情に影が入るのに反比例して、マキナは顔を輝かせる。自称妹は何度も何度も俺の方を見て、溜息を吐いて、沈黙して。また俺を見てを繰り返す。五分以上その工程を繰り返した末に、膝を立ててそこに頭を埋めてしまった。
「……言いたくない」
「どうして?」
「―――恥ずかしい」
え?
恥ずかしい?
何処かの誰かに似た頑固さを発揮している兎葵に、いよいよマキナも苛立ちを募らせ始めた。口を尖らせ顔を顰めて―――それから諭すように兎葵へ語り掛けた。
「……貴方がここで何も言わなかったら、有珠希はずっと悩む事になるわ。血の繋がりとか遺伝子とか存在しない私には分からないけど―――兄を困らせるのは、貴方の望みなの?」
「…………」
「じゃあ、質問を変えるわね。有珠希の事は好き?」
「……………………好き」
「どれくらい好き?」
「今の私が、生きてる理由」
「どうして死にたいの?」
「悲しいから」
「何で悲しいの」
「妹だって認識されないからッ! 友達だと思ってた子に兄を取られて挙句他人扱いされたら悲しいじゃん! 苦しいじゃん! ……馬鹿みたいじゃん…………」
話の聞き手に徹していたマキナが抜けても、一度堰を切られた鬱憤は止まらない。あれだけ無愛想だった少女が涙を振りまきながら叫び続ける。
「あの事件で私は両親を失って! 兄は私を守って病院行き! それで……それで何で……何でだよ! アイツに全部奪われた! もう私には……兄しかいない……のに…………!」
信じられない。
だがそれは不信感という意味ではなく、驚いて困惑しているという意味だ。牧寧が妹じゃないなんて証拠もないのに到底信じられない。未紗那先輩のメサイア・システムに対するイメージも同じような物だろうか。
そして兎葵の涙が嘘とも思わない。俺だけならいざ知らず、マキナまで騙せる訳がない。アイツはニンゲンなんてどうでもいい。俺の家族かもしれないという状況だから発言の余地を与えているだけ。
「……殺すのやーめたっと」
「マキナ……」
「別に有珠希の為じゃないわよ? ただ恥ずかしいっていう感情の中にここまで理由が詰まってるようなヒトをわざわざ殺すような趣味もないだけ。その代わり、ちゃんと私の為に働いてもらうわ。そっちの事情なんてお構いなし、貴方に拒否権は無いとして、有珠希はそれでいい?」
「…………すまん」
「? 謝らなくていいのに。そんな事よりもクリスマス! 私に言いたい事があるんでしょ!? 楽しみに待っててあげるから―――また後で、は無しよッ?」
「別に、貴方の事を兄だとか思ってませんから」
兎葵が落ち着きを取り戻した頃、マキナが厨房に立った。俺達は兄妹? 仲良く隣同士で座るかと思いきや、兎葵の方が嫌がった。挙句の果てにはさっきの発言と真逆の事を言っている。
「急になんだよ」
「勘違いしないで欲しいってだけです。なんかこれから顎で使われる事になったのは癪にさわりますけど、それはそれなので。出来る限り私には関わらない様に」
「マキナが居る限り無理だと思うが」
「それでもです。言っておきますけど私と貴方は対等じゃありません。少しでも私の機嫌を損ねたら貴方にもダメージを負ってもらいますからね」
「へえ。どうやって?」
如何に喧嘩の経験がないと言えども、こんなちゃっちい中学生なんかに負ける気はしない。強気に身を乗り出すと、兎葵は分かりやすく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「私、貴方と視界を共有してるんですからね。マキナさんの身体の何処を見てたとかそういうの全部、ここでぶちまけてもいいんですよ?」
「…………なッ」
およそ考えられる限り最大の反撃に言葉を失った。恐ろしくなってマキナの方を一瞥すると、アイツは慣れない鼻唄を歌いながらキカイ的に料理を作っていた。聞こえなかったようだ。兎葵の方へ視線を戻すと、嘲るように微笑んでいた。
「兄の変態」
「―――お前、今、兄って」
「…………あ。いや、うん。違いますよ。有珠希を噛んだんです。うずきうずきうつきうつけうぅつうけいうぃつぃいいうぃぬぃぃにい……ほら」
「そんな風に噛む奴は居ない」
「うるさいッ。馬鹿…………本当に馬鹿」
俺が悪いとも思えないが、兎葵は拗ねてしまった。こういう一面を見ると無愛想でも年相応に少女であると分かる。
―――俺の妹、なのか?
牧寧が友達というのも良く分からない。事情というか人間関係から分からない。本人は嫌がっているようだが、マキナを通じて嫌でも関わらないと。もしも本当に牧寧が妹じゃないなら―――
妹じゃないなら―――
結局何の行動も浮かんでこない。
「出来た~!」
呑気で陽気な声が響き、マキナが厨房から姿を現した。その手には三段重ねのホットケーキが皿と共に乗っている。机の上に差し出されると目線が同じになるからか、かなりのボリュームを感じる。
「クリスマスの前祝い……まあ、口実は何でもいいわ! 作りたくなったから作ったの。有珠希、一緒に食べよ?」
「そんな気分で作るような代物なのか? クリスマスは二十四日……」
「二十五日です」
「俺があげた一日は二十四日なんだよ」
「そうねッ。でも待ちきれないこの気持ちを発散しないと、全身がバラバラになってしまいそうなの! ね、ね、ね♪」
「ああもう分かったよ煩いな。お前が予定とか考えない馬鹿っての忘れてた。食べるよ、もったいないから」
「……あはは♪」
反論してくるかと思いきや、マキナは何かに噴き出して笑っていた。
「何だよ」
「―――いや? ちょっとだけ似てるなって」