世界の終わりと始まり
閉じていた校門を乗り越え、俺達は高校の中に足を踏み入れた。構造上、校庭は校門の反対にあるのでただ入るだけなら侵入を検知される事はない。
「……鍵が閉まってるんですけど、どう入りましょう」
「…………どいてろ」
俺は校門近くに転がっていた小石を拾い上げると、デタラメなりに全力投球。昇降口を守っていた入り口を破壊し、鍵を開けて中へ入った。
「人を殺すのは躊躇う癖に、こういうのは躊躇わないんですね」
「直せるから。俺には強い味方が居るんだ」
マキナの規定があればこの程度の損傷は直ぐに治せる。入り口を壊すのは暗に『俺達はここへ来ましたと言っているようなものだがどうせ追跡されているなら問題はない。上の階に逃げるのは心理的負担こそ少ないがまた行き止まりに自ら行く形になる。何故か学校の構造を知っている兎葵と相談の上、隠れ場所は一階奥の理科室という事になった。
自分たちの居場所を誤魔化す為に俺のコートは二階に置き去り、凍り付くような寒さを気合いで堪える羽目に。居場所の偽装も兼ねて理科室以外の教室も取り敢えず硝子を割った。校庭に面していない場所ならリスクもない。
「校門付近にもお前のワープポイントあったはずなんだが、待ち伏せされてなかったな」
「学校に逃げるなら校庭の方を使いますよ。それを見透かされたかな。それよりもワープポイントだったりショートカットだったり言い方の統一は出来ませんか」
「気にすんなよ。どうせ瞬間移動は同じだろ」
「気になるんですよ」
窓が気になるので二人して教団の下に隠れ、肩を並べた。マキナのように意図して密着している訳ではなく、場所が狭いから仕方がない。
「………………」
「………………」
全く足音が聞こえなかったら逆に不安だったが、案の定メサイアの人員は校舎に踏み込んできた。足音の数がどう考えても二人分ではないので合流があったか。普段学校に居る分には足音なんて気にもならないのに、この時は過敏としか言いようがない程はっきり足音が聞こえた。
寒さと恐怖から震えが止まらない俺と違い、兎葵は人形のように身じろぎをしなかった。
「……お前は人を殺すのに、何とも思わないのか?」
「何とも思わない訳ないでしょ。私はまだ人間のつもりですから。ただ、あの場は殺さないと駄目でしょ。私の力は大人の人を気絶させられるような力じゃありませんから」
「でも、やりようはあったはずだろ」
「じゃあ貴方は、死んでも良かったんですか? 私から色々聞きたいのは嘘だったんですか?」
何処か懐かしいやりとりが繰り返される。
確かに殺してくれなかったら俺はスタンガンを浴びせられた可能性は高いが、その辺りを合理で割り切れないのが人間ではないだろうか。助けてもらったのは事実なのでこれ以上その件は追及しない。足音がやけに近く聞こえるのは上の階に居るせいだろう。虱潰しに探しているならここを訪れるのも時間の問題だ。
「……時間がない。人が来ない内に色々聞く。ちゃんと答えてくれよ」
「いいですよ。私もそろそろ限界なので」
限界?
気になる言い方だが、取り敢えず後回しだ。
「お前には糸が視えるのか?」
最初から本題。うだうだと人となりを知る為の無駄話をしている暇はない。誰かがここに来るならその時は反撃に全神経を集中させないといけない。とすれば心残りは少ない方が良い。
「……逆に聞きますが、視えると思いますか?」
「メサイア・システムの人間でもないお前が俺の力を把握してるのはおかしい。視えてなきゃな」
「半分正解ですね。糸は視えてますが、私は視えていません」
「……?」
「何で私が貴方の危機を察知出来たか分かりますか? 超能力とか、勘とか、そういうのじゃないですよ」
超能力と言い出したら因果を視るこの視界こそ超能力だが、そんな揚げ足取りは求めてないだろう。自分は視えていないが、糸は視えていて、しかも俺の危険を感知出来る……?
「分からん。時間稼ぎはやめてくれ」
「私の左目。視力が存在しません」
「その代わり、貴方の左目と視界を共有しています」
「………………え。は?」
この瞬間に襲われたら全く対応出来る自信がない。それくらい思考は置き去りに、本能さえも理解を拒んだ。プライバシーの侵害だとかそんな領域ではない。俺の左目の視界がイコールで繋がっているなら、今まで何に巻き込まれ何を選択していたのか。事情を知らないなんてお笑いだ。俺の視界を共有しているなら、何もかもがお見通し。メサイアに関わらずとも分かる訳だ。
頼れる味方について一言も言及していないのに『キカイ』と言えたのはそういう事情からだ。納得がいってしまった。
「…………嘘、だよな」
「嘘を吐く意味がありますか。私は貴方に信用されなくなったら死ぬしかないのに」
「……………………」
兎葵の方を、振り向いた。彼女は既に俺の方を振り向いている。
「私、とても怖い顔してますね」
「…………無愛想って言うんだよ」
「たった数年のつもりが、こんな事になるなんて。全然思わなかった。さっきはバケモノなんて言ってごめんなさい。貴方がずっとぼんやりしてるから目を覚まさせたかった。許されるつもりはありません。殺したいなら殺せばいいと思います。何だかもう……疲れてるような気がしてきたので」
人はそれを自暴自棄という。この時に限った話ではないが出会った時から彼女からはやけっぱちな感じがしていた。無愛想が常であるならわざわざ自分の表情について言及したりはしないだろう。例えばマキナが元気いっぱいなのは単純に余裕があるからだ。俺だって余裕が無かったら妹にも塩対応をするだろう。
「……いつから俺と視界を共有してたんだ? 具体的な時期……忘れたならいいけど」
「幻影事件の後ですよ。貴方は知らないって言いますけど、知らない筈ないです。貴方も襲われたんですから」
「俺が? いや……確かに小学校の頃に入院した事はあるけど、別にそんなんじゃなかったような……何よりもし襲われてるんだとしたら妹だって無傷だとは思えない。幻影事件の存在は認めるよ。色んな人にあるって言われてるし。でも知らないと思うが……いや知ってるか。妹は泣き虫なんだ。概要を聞いてる限りだと、今頃人間不信になっててもおかしくないだろ」
「…………そうですね。人間不信、なってるんじゃないんですか」
「はあ?」
原因は分からないが妙に歯切れが悪い。隠し事をしているというよりも、話の順序が違うから説明がしにくいとでも言っているかのようだ。あの牧寧が人間不信なんて何かの間違いだろう。そんな奴は学校に行かないし家族団欒にも交わらない。
「私なんて、全然いい方です。ただ視界を共有してるだけ。負担も症状も請け負うのは貴方一人だけ。だから辛いなんて言いたくない。絶対貴方の方が辛いから」
「……症状って、何だ? これが病気みたいな言い方だな」
「使えば使う程悪化するなら病気ですよそれは。私には糸が何なのかなんて分かりませんけど、貴方の行動をずっとこの眼で見ていたら察せます。自分でも分かっているんでしょう。糸を読み取れるようになってきているって」
糸は糸なので、それ以上の情報はない。傍から見ればそうだし、実際まともに考えようと思ったら訳の分からない概念だが―――直感で判断しようとすれば、不思議と理解出来てしまう。以前と比較すれば、比べようもない成長だ。いや……悪化なのか。やはり。
「そこまで知ってるなら、もっと前に現れてくれてもいいじゃないか。誰もこの視界を理解してくれる人が居なくてどんなに苦しんでたか―――同じ視界を見てるなら分かっただろうに」
「それが出来なかったから離れてたんです。私が貴方に近づいたのはキカイと出会ってから―――あの人にだけ糸が視えないのも分かってます。その日から貴方の動きは変わった。だからそれを助けようと思っただけです」
「やっぱりお前、何か隠してるよな」
「………………」
「嘘は吐いてないんだろうけど、重要な部分を抜いてる気がする。言い方がなんか遠回しだ。言えよ。もう時間がない。いつアイツ等が来るか分からないのに隠し事なんておかしいだろ」
そろそろ二階も三階も探し終わる頃だ。虱潰しと言ってもどれだけ念入りかは分からないがこんな教壇の真下なんかやり過ごせる道理はない。足音が聞こえたら会話はそれまで。またどうにか撃退戦を始めて仕切り直さないといけない。
「じゃあいい。質問を変えるぞ。お前の『規定』は誰に貰った?」
「少なくとも貴方が今まで出会ってきた人とは違います。誰なのかは、貴方が一番よく知っている筈ですけど」
「はあ? なあ、何だってそんな遠回りなんだよ。全部教えろよ。教えてくれよ! …………お前しか分からないんだぞ」
堪忍袋の緒が切れた。胸ぐらを掴み、ただでさえ狭い教壇の下で彼女を追い詰める。緊張状態と兎葵への恐怖で苛立ちは相当なものだったと思う。悪いのは俺か、それとも彼女か。少女は顔色一つ変えないで、悲しそうに俺を見るだけだ。暖簾に腕押しで次第に頭は冷えてきたが、ここまで手ごたえを感じないとそれでまた苛立ってくる。
「……じゃあ一つ聞きますけど。見ず知らずの女の子が急に変な事言い出したら、貴方は信じるんですか?」
「…………は?」
「貴方の妹は私ですなんて言い出したら、根拠もなく信じてくれるんですか? 教えてください、有珠さん―――有珠兄」