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キャベッジ  作者: 大石安藤
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致し方なし。

「私は群馬まで行ったんですよ」

 説明を終えた裕子はまったく気ののらない風情のふたりを恨めしそうに見て言った。

「え、その人群馬にいるの?」

 敦の顔も嫌そうに歪む。用もないのに実家方面へ行くのが嫌いなのだ。群馬は案外広いのに、誰か知り合いに会いそうだと、根拠のない思いを持っている。

「いいえ、今は神奈川にいるはずです。あの時、すぐに移動するとおっしゃってましたから。なんでもキャベツは続けて作らない方がいいということなので」

「じゃあ、1回作るごとに畑を変えるってことですかぁ?」

「畑が無くなっちゃうじゃん。荒野でも耕すの? 延々当たらしい土地を求めてってか」

「いいえ」

 敦ではなく、やはり成にむかって裕子は続ける。

「作物によるそうですが、続けて同じものを作ることがよくないということらしいです。だからなるべく他の野菜と交互に作るようにして作るものだそうです。それ以上詳しいことは私にもよくはわかりませんが、このキャベツは特に、繊細なものだから、かなり頻繁に土地を変えるとおっしゃっていました」

「ほうほう。繊細ですか」

 頷いてはみたものの、成は敦以上に嫌そうな声で答えた。

「で、神奈川まで行って採ってこいと」

 完全に巻き込まれただけなのだから、やる気もでないだろう。たまたま昨日酔いつぶれって泊まっていっただけなのだ。

「あなたにはお気の毒ですが」

 そう言いつつも、裕子の顔に気の毒という文字は書いてない。

「あなたのお友達の分はあなたに採って頂いて、私の弟の分をあなたに」

 そこで裕子は敦の顔をひたと見据えた。一言一句聞き逃してなど欲しくはない。そう言わんばかりだ。大きな目がなんだか不気味に見えて、敦は視線をそらさないでいるのがやっとだった。

「あなたが食べたんですし、もうすでに食べてしまったあなたは自分の分を採ることはできないんですから、ふたりで行ってきてください。一刻も早く」

「一刻もったって」

「あなたが一生水しか飲めない体になったとしても、点滴だけで生きる体になろうと私は別にかまいませんが、弟をそんな体にするわけにはいかないんです。……まったく」

 ぼそりと続けられた「馬鹿なんだから」という言葉には、やっぱり笑いが含まれているように成には思えた。そこでぽかりと、疑問が浮かんできた。

「あの、あなたがキャベツを採りに行って、で、送ったのはいつなんですか? 昨日?」

「ええ。昨日の早朝から出て、でも探すのに時間がかかってしまったので、畑に着いたのはもうかなり遅い時間でした。バスもなくなってて、帰りのタクシー呼んでもなかなか来ないし。それで宅配にしたんです。私が持ってくるより早いようだったから」

「うんうんなるほどね」と言いつつ、成はなおも尋ねる。

「それが群馬で昨日でしょ。今日はすでにその人は神奈川にいるわけで」

「成、おまえなにが言いたいの」

「おまえ、わからない? だって群馬の畑はもうないっていうか、止めたっていうか。まあいいや。群馬から神奈川に行ったとして、今日行きました、今日できましたってわけないんじゃないか?」

「あ、そうか。おまえ、頭いいなあ。さすがぁ」

 敦は軽く成の肩を小突いてから、「そんなに急いで神奈川行く意味ないんじゃないの?」と裕子を睨んだ。

「いいえ」

 裕子は睨まれても少しもひるまず、小馬鹿にしたように敦を見た。

「キャベツは途切れないように作っているのだそうです。ひとつの畑が終わる頃には他のひとつの畑のキャベツが収穫時になっている。そうやって途切れないようにしないといけないと言ってました」

「へえ、すごいじゃん。なにそれ、機動力あんなぁ」

 敦は今度は裕子の言葉に感心しているが、成は首を傾げた。

「キャベツ作るのに群馬と神奈川何回も行ったり来たりしていたってことなんだ。もっと遠いところだとかなりきついんじゃないかなあ。ほんとに、そんなんで次々作っていけるもんなのかなぁ」

「私にそんなことを言われても」

「あ、すいません。そりゃそうですけどね。なんか理不尽っていうか」

 なおも続けようとする成を、敦は今度は体ごと突き飛ばして遮った。

「わかった。神奈川に行けばキャベツはあるんだよな。で、俺たちはそこまで行ってっこのわけわからんキャベツを1個ずつ採ってくりゃいいんだろ。それで1個はあんたの弟にやればいいわけだ。ったく、わかったよ。おい、行こうぜ」

 成は立ち上がろうとする敦を押さえた。

「でもそのキャベツって買わなきゃいけないんですよね。いかほどなんですか?」

 なんたってこんなキャベツだ。特殊兵器にもなりかねないキャベツを、裕子の弟の敦士は普通のキャベツと間違えて20円で買ったのだが、じかに買いに行ってその値段で売っているとは、成にはとても思えなかった。持ち合わせで買えるものだろうか。

「私が買った時は1個3,500円でした」

「さ、さんぜんごひゃくえんっ」

 敦の素っ頓狂な声が成と裕子の耳を振るわせた。けれど成の裏返った声も負けてはいなかった。

「だって、1個でしょ。キャベツ一個に3,500円も出すんですかぁ」

 裕子はしょうがないというように頷いた。それは反論の余地のない頷きだった。

「……あああ」

 ふたりは「息のあった」ため息をついた。

「しょうがねぇなぁ、もう。成、悪い。付き合ってくれ」

 ひどく弱弱しい敦の言葉に、成は黙って頷いた。

――しょうがないよなあ。こいつ、困ってるし。

「しかし、なんだってあの宅配屋、間違えやがったんだよ」

 ぶつぶつ文句を言いながら、敦は身支度を始めた。女性の前だということに躊躇することなく着替え始める。慌てて立ち上がった裕子に、成が「そうだ、そう言えば」と新たな疑問を口にした。

「よくわかりましたよね。同じような名前の奴がここにいるって。どうやって調べたんですか。やっぱ探偵?」

 近頃、探偵が流行っているらしい。小説ではないから拳銃も出てこないし、死体がむやみやたらと転がっていることもない。だがリストラされた中高年とか、ちょっと年のいったおばさんとかに流行っているらしいのだ。成は仲間内では、「ドキュメンタリーおたく」の異名を貰っているので、そういったことにはちょっとだけ詳しい。

「いいえ、そういうわけじゃ……」

「じゃ、どうやってわかったんですか。荷物が届かないとしても、間違えられたってあまり思わないでしょ?」

 着替え終えた敦が成の横に立った。スタイリングはあきらめたらしい。「水なしでもスッキリ」と書かれたスブレー缶から泡を出して頭に直接かけている。母親から送られてくる防災グッズはこうして消費されていく。

「あの」

 ちょっとためらった後、裕子は敦にむかって尋ねた。

「先週か先々週、酔っ払って駅前で騒ぎを起しませんでしたか?」

「騒ぎ?」

 敦は酒癖が悪い。だから酒に絡んだ失敗はいくらでもあった。だがちょうど10日前の出来事は敦の中で「騒ぎ」というほどのものではなかったので、すぐに思い出すことはできなかった。先に思い出したのはやっぱり成だ。

「騒ぎ、騒ぎ、騒ぎ。って、あれ、あれじゃないのかな。このあいだ、駅前のロータリーのど真ん中でさ、おまえ、いきなり出席番号6番、木橋敦歌いますって叫んで、でかい声でなんか歌ったじゃない。あれじゃないの。あれ、なんの歌だったっけ。なんか、校歌っぽかったけど」

「……ああ、なんか歌った記憶があるような、ないような」

「あの時、駅前の交番からスピーカーで注意されただろう。それでも歌ってるからおまわりがでてきたじゃない。ふたりぐらい」

「あああ、思い出した。でも逃げ切ったろ。つかまんなかったし。そんなの騒ぎっていうか」

――立派な騒ぎです。

 かろうじてその言葉を呑みこんだ裕子は、「その時」と口を挟んだ。

「弟がたまたま駅前にいたんです。で、似た名前の人だなと覚えていて、それでもしかしたら間違えて配達されたんじゃないかって」

――やだなあ、あんなのと似てるなんて。

 と、顔を顰めて続けていた言葉も裕子は呑みこんだ。

「へえ、そうかあ。でもそれだけでここまで来れるってのもすごいと思うけど。やっぱり探偵なんか向いてるんじゃないですか」

 交番で聞いたら一発でわかったとはとても言えず、裕子はあいまいに微笑んだ。

「……とにかく、そういうわけで」

 わかったようなわからないような理由だったが、敦と成は納得した。それ以上聞いても仕方ないと思ったようだ。だいたい、そこは重要ではない。

「じゃあでかけるか」「駅前のATM、24時間だよな」「何時だと思ってんだよ」とかなんとか言いながら、揃って外へと出る。敦がいつものように鍵を掛けるのを忘れ、世話女房のように成がそれを咎める。

 扉の横、壊れたチャイムの上の薄汚れた表札の字は確かに汚かった。だが「木橋敦」と書かれた上には、読み仮名までふられている。

「こばしあつし。いくら似た名前でも間違えるかなあ。ったく、プロのやる仕事じゃないねえ」

 鍵を掛けながら言った敦の愚痴を聞いて、裕子が小さなため息をついた。

「宅配を頼んだ時、少し不安ではあったんです」

「不安?」

 敦の横から、成がちょっと体を傾けて裕子の方を見た。

「ええ。なにか変わった人だったから」

「ああ、朝来た宅配屋も変わってた。無茶苦茶規則的なの。なんつうの、扉をこう叩くリズムとかさ。人の名前を呼ぶその感じが」

 実際に扉を叩く敦を見ながら、裕子は何度も頷いた。

「わかります、そんな感じ。すぐに着きます、私が届けます、と言ってくれたのはいいんですが、荷物を持つとそのまま山道を走りだしたんです。その人」

「え、どういうこと?」

「どうって、こう荷物を脇に抱えるとそのまま」

「山道を?」

「ええ。群馬のそれも山奥と言っていいようなところだったので、本当に驚いてしまって。小林さんは大丈夫だと請合ってくれたんですけれど、私はなんだか不安で。なんとか今朝弟のところへ来たら、まだ届いていないって言うし。私が持っていくよりずっと早いって言ってくれたのに」

「ひええ、やっぱそいつだよ、きっと」

 敦は肩をすくめ、大げさに震えてみせた。

「ほんと、変な奴だった。やったらガンガン扉叩くんだよ。ずうっと。それから、チョー甲高い声で木橋さあん、宅配便でえす。なんて言ってさ。最初っから、そういやいいのに、いつまでも叩いてるから押し売りかと思った」

「お前もとっとと開ければよかったんじゃないの。誰が来たか確かめるとかさ」

「いや、だってここらって、やったら宗教関係の奴が来るんだよ。そういう奴って1回開けるとしつこいじゃん。でもそいつ声のわりに体がでかくてさ。顔はよく覚えてないけど、手なんか毛が生えてんだよ。手のここら辺からびっしり」

 敦は手首の少し上、手の甲に近い方からぐっと腕に向かって示した。裕子も「そうでした。その人に間違いないと思います」と頷いた。

「まあ、宅配が間違えたってことで。で」

 成が割って入った。

「ええっと、その小林さんって人がキャベツを作っているんですよね? 今は神奈川のどこにいるんですか?」

「そうだ、まだ聞いてなかったよな。どこに行くつもりだったんだよ、俺ら」

 やけに明るく笑う敦に、成が「馬鹿だな、俺は考えてたよ」と返した横で、裕子は首を振った。

「わかりません」

「へ?」

 裕子は再び首を振る。

「正確な住所はわからないんです。多分、ここら辺じゃないかなとしか」

「……おい、おい」

「……マジですかぁ」

 それでも乗りかかった、いや乗り込んでしまった船は動きだしていた。



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