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キャベッジ  作者: 大石安藤
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元凶はキャベツ。

「……ふざけんなよっ」

 裕子の話を聞いた後、というよりまだ話の途中に、敦はたまらず怒鳴りつけた。裕子はびくりと体を硬くしながらも、表情は変えないままに同じことを繰り返した。布団を端に押しやった狭い部屋の中の小さなテーブルの下で、小さな手がこれもまた小さなバッグの取っ手を固く握っている。

 成は敦の声に、いつもの強気が足りないことに気がついていた。成と同じように敦も彼女の話がきっと正しいのだと、正しいというのもまったく変な話なのだが、それが答えなのだとわかったのだ。

 だって、裕子が来る前の不可解な事が、すべてすっきり説明がついてしまうのだから。

 それにこう見えて敦は、自分より弱いと思う人に怒鳴るタイプではない。つまり、それだけ動揺しているのだと、そんなことわかっている成も、ちょっと怒鳴ってみたいと思うぐらいには不可解な話だった。

「ふざけてないです。全部本当のことです」

 裕子は「なんなら」と腰を浮かせながら続けた。

「私、なにか買ってきましょうか。それを食べていただければすぐにわかるはずですから。このあたりだと、どこが近いのかしら」

 裕子は2,3のスーパーとコンビニの名をあげた。どこもここからすこしだけ離れている。歩くよりも自転車で行きたい距離だ。そのことが裕子と、見たことの無い彼女の弟を結びつけ、この状況に圧迫感を与えた。大きな現実感を伴って。

 試す必要はまったくない。そのことは敦も成もよく知っている。立ち上がろうとした裕子を、敦は力なく首を振って押しとどめ、そこで裕子も試す必要など無いことを理解した。

「なにか、食べたんですね。それでおかしいと思っていたんでしょう?」

 それは問いかけではなく断定だったし、事実でもあった。

「……キャベツのせいだなんて、誰が思うよ」

 敦は長い長いため息をついた。

 裕子の話を要約するとこうだ。

 何日か前、裕子の弟のほうの敦士はキャベツを1個買った。

 それは八百屋やスーパーとかではなく、畑の横で台などを置いて売っている無人の販売所だったという。

「1個20円。すごいよね」

 巻きのしっかりとした持ち重りのするキャベツが格安で、嬉しくなった敦士はそれをひとりできれいに1個丸ごと食べてしまった。それも生で。なぜだか食べだしたら止まらなくなったんだと、涙ながらに姉に語ったといい、そこのところでは話をしている裕子も少し涙ぐんでいた。

 敦は裕子の顔を見ていなかったから気がつかなかったようだが、成にはこの時裕子が笑っているように見えた。笑いたいのを必死に堪えて涙が滲んでいる、そんな感じに見えたのだ。

――そりゃあ、おかしいよな。キャベツ食うのが止まらないって言われたら。それも生で。それも丸々1個食べ終わるまで止められずに食っちまうなんて。

そのあとでさすがにそれだけでは物足りなかったのか、栄養が偏るとでも考えたのか、メインで買ったはずのメンチカツに箸を伸ばしたらしい。

 そこからは敦と同じだ。なにを食べようとしても腐っているとしか思えない。なにも食べられない。口が、舌が、なにも受け付けようとしないのだ。彼はかろうじて飲むことができる水だけでこの何日かを暮らしているという。

「私、調べて回ったんです」

 裕子はそこで疲れたような息をついた。眉間に皺が寄っている。よほど苦労したのだろう。キャベ

ツが原因だなんて、こうして聞かされているいまでさえ、敦も信じたくなかった。裕子もすぐには信じられなかったに違いない。それでも弟のために一生懸命に調べて回ったんだろう。

「やっぱり原因はキャベツでした。それもひとりの人が作っている特別なキャベツ。それを弟は食べてしまったんです」

「特別なキャベツねえ」

 たまらずまた怒鳴ろうとした敦を、成は布団の方へ突き飛ばした。

 そして、裕子と同じように眉を寄せると、「ねえねえ」と尋ねた。

「そんな特別なキャベツがですね、そんなそこら辺の畑の横なんかで、それも20円とかで売られてちゃまずいんじゃないんですかねぇ」

「そうだよ。それ、もうすでに特殊兵器だろ。やばいヤツじゃん」

 敦も頷いて裕子を見た。

「ええ、それはもちろんそうでしょう」

 裕子はそこでちょっと躊躇ってから続けた。

「……あの、あの子、ちょっと考えたらしいんです」

「なにを?」

――キャベツにするか、大根にするかをか?

「なにをって、台に置いてあるものより畑にあるほうが新鮮じゃないかなって。そう考えたらしくって。いえ、お金はきちんと箱に入れたんですよ。ただ畑にあったのを持ってきたと、そういうことなんです」

「泥棒じゃん」

 敦の、気のないけれどきついひと言に成が頭を小突いた。

「馬鹿っ。金は払ったって言ってるじゃないか。すいません、こいつ言葉悪くて」

「だって」

「だってじゃない。あの、それで、それが特別なキャベツの畑だったわけですか? だったらどっちにしてもまずいんじゃないかなあ。だって、ここら辺の畑なんでしょ、そのキャベツを買ったのって。キャベツ買うのに、わざわざ遠くまで行かないですよねえ」

 成の言葉に裕子は頷いた。

「ええ、弟のアパートの近くにある畑です。都内なのに、ここら辺は畑がけっこうあちこちにありますよね。でも、そこは自家用なんじゃないかってぐらい小さな畑なんですけど。でも、そのキャベツはそこで作られたわけではなくて」

「……話、ややこしくなる?」

 敦がうんざりとした顔で裕子の話を止めた。キャベツを食べただけのことが、なんだか思いもしなかった方向へ向かおうとしているのが厭になってきていた。

 裕子はむっとして表情を強張らせた。

「ややこしいって言われても。とにかくそのキャベツは畑の持ち主が、ご友人に頼まれてそこに置いておいたものだったんです。畑を作っている人が、大事なお友達のためにわざわざ採りに行って、食べる前まで畑にこう」

「それを」

「弟さんが」

 敦と成が同時にため息をつき、裕子はますます顔を強張らせた。

「弟はただ新鮮だと思ったからそっちを買っただけです。確かに畑にあるのを勝手に採るなんていいとは思えないけど。だいたいそんなに大事なキャベツなら、畑の、それも販売している台の近くなんかに置いておかなければいいのに」

――逆ギレだよ。

 敦が頭を掻く。成は「それで」と話を先へ促した。

「どうすればいいんですか。っていうか、どうして欲しいんでしょう」

 裕子はちらっと敦の顔を見た後、成と話をする方が早いと判断したのか、顔と視線を成に定めた。

「とりあえず、そのご友人の方はなんとか対処をして元に戻ったそうです。その方たちに聞いた話なんで確かなんです」

裕子は「だから」と続けて敦を見た。

「あなたも治りたいなら、ちゃんと聞いて言うとおりにしてください」

「言うとおりにしろって?」

 なんで俺がと続けようとした敦の言葉を成は体を突き飛ばして遮り、裕子はなにもなかったように話を続けた。

「元に戻す方法は、キャベツをもうひとつ食べるしかありません。それも食べた本人以外の者が採ったキャベツを丸ごとひとつ、生のままで」


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