同じ名前。
「お母様のお名前はゆうこさんとおっしゃるんですか」
とりあえず、敦は頷く。
「ゆうこっていう字は、どう書かれるんでしょう。衣偏に谷ですか」
「こ、ころもへん?」
敦の目がパチクリと動き、成が「マジで? 国語、弱いよね」と呟いた。
「あ、あの、こう」
女性がなんとか伝えようとするのを、成が助けた。敦の目の前でさっきと同じように衣偏に谷と手のひらに「裕」の字を書いてみせる。敦は大きく頷いた。
「ああ、そうそう。そう書くよ。それで裕子」
「じゃあ、やっぱり間違いだったんです。配達が、配達が間違えられてしまったんです。私、私、ひろこなんです。同じなんです」
敦の目がまたパチクリと動き、成が「ああ、そっか」と頷いた。敦は「なにがよ」と友人を見つめ、成はまた「マジなの?」と呟いた。
「ひろこさんなんですね。ほら、おまえのお袋さんの名前、ひろこって読めるじゃない。同じ字なんだ、あれ、なんかちょっと凄い」
裕子は「そうです」と何度も頷き、敦はようやく納得がいったように「ああ、そうかあ」と頓狂な声を出した。
「だから、間違えられたってこと? でもさあ、ここら辺で同じ木橋なんて奴がいたかなあ。知らないねえよ、俺」
「マジ、馬鹿?」
成の馬鹿に、敦はさすがにむっとした
「うるせえんだよ、さっきから。おまえだって知らねえだろう、そんな奴さあ」
「俺はここら辺に住んでいるわけじゃないから。それにおまえ、この辺りに住んでいる人のことみんな知ってるの? そんな田舎じゃないんだから。一応ここ、都内だよ。知らない人だらけに決まってんだろう。だいたい隣の人の名前だって知ってるの?」
2階建てのアパートで、3部屋並んだ真ん中の部屋の敦は、右隣の大学生は知っていたが左隣の住人は見たこともなかった。
「……そう言われりゃ、そうか。そりゃ知ってるわけないか」
「言われなくたってそうだって。でもさあ」
成は裕子の方へ向き直った。
「受取人も差出人も同じってのは、ちょっと気持ち悪いけど、でもさ、いくら同じ名前だからって、宅配便が間違えるかなあ」
もっともだ。裕子は「でも、でも」と首を振った。
「きっと間違えたんです。弟のアパートは1丁目だし」
「ここは」
わかっていることを成はわざわざ尋ね、敦もため息をついて答える。
「2丁目」
ここまできてやっと観念した敦は部屋の中へと戻り、へしゃりと捨てられていたダンボールを拾い上げ、伝票の部分を見た。そのまま裕子へ手渡す。横から成がそっと覗き込む。
この何日かの間に、ここら辺りで雨が降った覚えは誰にも無かった。それでも伝票の字のところどころが濡れたように滲んでいる。確かに漢数字で書かれた一丁目が二丁目とも見えなくもない。続いた下の数字もわかりにくいし、なんとアパートの名前まで一緒である。しかしそれには理由があった。この辺にやたらめったら土地を持っている地主が、アパートやらマンションを建てては自分の名字をこれでもかというぐらいにつけるのが趣味なのだ。
「でも送ったのは群馬からなのに・・・」
伝票にご依頼主と書いてある欄に書かれた住所はやはり番地が滲んでわかりにくいが、群馬県、だけははっきりと見える。泣き出さんばかりの言葉に、敦と成はため息をついて顔を見合わせた。
「運が悪いっていうのかなあ」
口を開いたのは成だった。
「こいつの田舎、群馬なんだよねぇ」
3人とも次の言葉を一瞬、失ってしまった。だが、裕子はすぐに切羽詰った表情を取り戻して敦のほうへにじり寄った。
「中身は、中身はどうしました? 入ってたんでしょう、キャベツが1個。キャベツなんだから、そのままなんじゃないですか。今日届いたばかりなんでしょう。まさか食べてないですよね。キャベツだけなんだし」
言い寄りながら、なのに言葉の勢いがどんどんと尻すぼみになっていったのは、敦のバツの悪そうな表情のせいだ
「……まさか、食べたんですか?」
「いやあ、腹減ってたからさあ。もう、うちさ、なんにもないんだよ。きれいさっぱり。なんなら見てみる? 冷蔵庫にもどこにもなんにもなくってさ。ほんと、食うもんなかったし、かあちゃんからだと思っちゃったし……」
敦の見かけだけ威勢のいい言葉が尻すぼみになっていったのは、裕子の表情を見たからだった。
――こんなに偶然が重なっちゃったらさあ。
けれど途方にくれたような裕子の表情は、目をぱっと見開いてから、すっと冷めていき、能面のように固まった。そのまま大きな目をふたりに向ける。
「ふたりとも食べましたか」
「え?」
「いい、いや」
敦はなにを言われたのかよくわからなかったが、成は急いで首を振った。
「俺は食べてないです。全然、食べてません、はい本当に」
――こわっ。なんなんだ、この人。
成は敦の背後に1歩下がった。
「じゃあ、食べたのは」
「俺だけ」
敦の背後から成が続けた。
「ね、俺は食ってないです。それに、まだ半分残ってますよ。なんなら、持って帰ったらいいんじゃない」
成の言葉を遮って、裕子は能面のまま首をゆっくりと横に振った。
「いいえ、もうそれでは意味がないんです。……そうですか、食べたのはひとり。ここにはふたり」
裕子の呟きはふたりの背筋を凍らせた。