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キャベッジ  作者: 大石安藤
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送られてきたから。

 我が親ながら変わっていると、敦自身も常々感じてはいた。だがこれは思いつきもしなかった。

 キャベツひとつきりを送ることで、彼女はどんな「ウケ」を狙ったのだろうか。

 なんの影響か、近頃やたらと「ウケ」を狙う傾向がでてきている。敦が帰省するたびに、しきりに「ボケ」たがるのが鬱陶しい。それが面白いわけもない。グランプリだかコンテストだかテレビの番組名をひとしきり上げていた頃はまだよかったのだが、最近は「ウケ」ると自分が思った動画をSNSに添付して送りつけてくるのがさらに鬱陶しい。

 とにかく母親の真意は図りかねた。時計を見ると昼少し前で、母親はパート先で仲間としゃべりまくり、「若くて底意地の悪い」チーフとやらに睨まれている頃だ。もっとも敦の母親は「さすがに敦の母だ」と会わせた友達のほとんどがいうぐらいのおしゃべりだから、電話どころか、SNSでさえ、文句ひとつ言う暇も与えてはくれないだろう。

「あの返信速度は神業だわ……」

 日ごろから思っていることを呟き、敦は抱えているキャベツを見つめた。

「しょうがねえなあ」

 実にいいタイミングで腹の虫が独り言に大きく答えた。夕べは酒ばかりであまり食べていない。親しい仲間だけでガアッと飲んだ後、よろよろと家に着くと万年床に辿り着くかいなかのうちに眠ってしまった。腹の虫はやっと気がついてくれたのかとばかりに盛大な泣き声をあげ続けている。

「……あれ」

――そういや、成はどこだ。

 一緒に飲んでべろべろになって泊っていったはずの友人の姿が見えないことに、遅ればせながらに気がついた。ワンルームのたいして広くもない部屋を見回しても、ただ長いだけの部屋の窓から玄関までの一直線に、大の男ひとりが隠れる場所も気配もなかった。だいたい隠れる必要がない。

「……なんだ、黙って帰ったのかよ」

 普段、そんなことをするような男ではない。勝手に上がりこんだり、反対に黙って帰ってしまう友人もいるが、祖父母に大事に大事に育てられたというのが自慢という成は、そういった礼儀的な事に関してはうるさいほど几帳面だ。

「ま、いっか」

 敦は礼儀にこだわるタイプではない。

 とにかく今は泣き喚く腹の虫の方が切実な問題だ。キャベツを脇に置いて何かに急かされるように開けた冷蔵庫を、敦は考えられないほどの素早さで、誰にでもいいから見せたかったほどの素早さで、バシンっと音をたてて閉めた。

「くっせえええ」

 もう一度開けるにはかなりの覚悟が必要だ。そのぐらい臭い。なぜだかわからないが、臭い。

 だがこのままずっと開けないわけにもいかないし、なぜこんなに臭いのかがどうしても知りたかった。「臭い物にふた」よりも、「猫をも殺す好奇心」が勝ったのだ。

 だが開けるよりも先に少しだけ頭を使った。部屋の隅に転がっていた都指定のゴミ袋の口を開いておくという準備をしたのだ。

 それでもやはり少し躊躇する間はあった。だが開けた。

「……これかあ」

 食い縛るように閉めた口の中でもごもごと呟く。息を殺しながら殺風景な冷蔵庫の中を匂いだけで満パイにしている物に手を伸ばす。2本の指でつまみ上げると、それが体にもどこにも触れないよう気をつけながら、なるだけ早い動作でゴミ袋に放り込んだ。

 他に匂いの素がないか、さっと確かめると袋の口を厳重に縛る。やっと大きく息を吐いたがそれはまだ早かった。

「げっ」

 冷蔵庫に残った悪臭が敦の喉を直撃した。その扉を開けたまま、一目散に大きいだけが取り柄の窓へと駆け寄る。窓を開いたところで目の前には隣のアパートの壁しかない。しかし新鮮な空気だけは入ってくる。とにかく窓なのだから。

 何度も息を吸っては吐くことを繰り返し、なんとか気持ちを落ち着かせた。

――多分、あれだ。あれだな、あれだ。うん、あれだ。

 先月末に母親が送ってきた物のひとつが頭に浮かんだ。嫌いだと言っているのに「栄養があるんだから」のひと言の下に、毎回と言っていいほど荷物の中に入れてくる。いまゴミ袋に放り込んだ、包み紙ごと色が変わってしまっていた物の正体はそれ以外に思いつかなかった。

 敦は昨日の朝まで3食付きの工事現場に泊まり込みでアルバイトに行っていたので、20日間ほど放っておいたことになる。夕べは厳しかった現場から無事帰還した勢いと、じきに就活が始まるからその前に何かを、何かはよくわからないけれど、打ち上げておきたいと思って声をかけまくった飲み会だった。声をかけた中に密かに想っている子もいて、来てくれるような返事だったから気合いれてキメていったのに、結局いつものメンツになっていたのは、まあ、仕方がないだろう。昨今、飲み会はいろいろと制限が厳しい。

――そういや、今日は無かったな。

 キャベツひとつ。それ以外は嫌がる物も好物も、一番助かる金も何もなかった。読めばきっと涙のひとつも流して電話はしなくてもSNSは送ってくるだろうと、下心みえみえの手紙も入っていなかった。毎回毎回、欠かさずに入れてくるのに。自慢の達筆で。

 窓から外へと身を乗り出しながら、部屋の隅に転がっているキャベツを見て考えた。

――あれ、俺宛か?

 冷蔵庫の中の匂いは部屋中に広がっている。それでもあの扉を閉めてしまったら、再び開ける気にはなれないだろう。拭き掃除ぐらいはしないとまずい、ぐらいは敦にもわかる。

 とりあえず、部屋から臭いを飛ばしてしまうために玄関の扉も開け放ち、キャベツの入っていたダンボール箱を拾い上げた。

 お届け先 木橋敦様

 ご依頼主 木橋裕子様

「間違いねえか」

 腹の虫がそうだそうだと合いの手を入れた。我慢も限界らしい。窓際に転がっていた煙草を1本吸ってみたが、それでおさまるはずがない。煙草の煙が窓の外へと流れていく。目で追っているうちに頭だけはすっきりとしてきた。部屋へと戻した視線の先には、丸いキャベツがひとつ。

 美しい緑が濃く、きっちりと巻いてある様子は、なんだかオブジェのようだ。

「金もねえしなあ」

 財布の中に小銭しかないことはわかっている。煙草代にもならないはずだ。敦は手元の煙草の数を確認すると、次の1本に火をつけることを止めた。駅前まで行けば、振り込まれているはずのバイト代を下ろすことができるATM機がある。

「めんどくさいしなあ」

 1分も歩かない所にあるコンビニに行く金すらないことが情けない。コンビニのATM機はこの間、強盗事件があってから停止中だ。スマホ決済すらできない。

「……だいたい、なんで成は帰ったんだよ」

 いつでも小金を持っている友人がいればなんとでもなったのだ。自分勝手な理屈でひとしきり毒づいてから、ふうっと酒と煙草臭い息を吐いた。

「ま、しょうがねえか」

 敦はしきりに誘惑してくるキャベツを拾い上げた。




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