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キャベッジ  作者: 大石安藤
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送りもの。

 扉を叩く音がする。

 異様なぐらいに規則的だ。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

「ガンガン」と叫んでいるような、きっちりとしたガンガンだ。

――うるせえよ。

 敦は薄く目を開き、音のする方へ泳がせた。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

 止む気配はまったくない。

――しつっこいなあ、勘弁してくれよ。

 そのしつこい音に答える気などさらさらない敦は、布団の隅に丸まっていた毛布を頭から被ろうとしたが、はたと止まった。

――あれ、俺、金。……あれ、金、返したっけ?

 何人かから借りていた。確かに借りていたような、だが全部返し終えたような記憶が、寝惚けた頭の中でぐちゃぐちゃになっている。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

 鳴り止まない音が混乱に輪をかける。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

 なんとかひとりずつ顔を思い出しながら、抱えた枕に、敦は大きな安堵のため息をあびせた。

――なんだよ、返してるって。ったく、人騒がせな。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

 扉を叩く音が続いているにもかかわらず、敦は借金の返済がすでに無い事に安心し、また眠りに落ちようとしている。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

 金持ちで何回でも貸してくれそうな友人、怒らせるとヤバい友人なんかには早々に返し終わっていることもついでに思い出したから、敦の安堵感は体全体に広がっている。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

 これだけしつこく叩かれているのに、敦は再び眠ろうとしていた。

――新聞は読まないから。

 昼間からアパートのひと部屋ひと部屋まで個別訪問するのは、新聞勧誘かセールスマンがほとんどで、後者は圧倒的に宗教関係が多い。

 なんの勧誘かわからないが扉を叩く人物は疲れと諦めを知らないらしい。返事が返ってこないにもかかわらず、一分の隙もない「ガンガン」を続けている。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

――聖書なんかいらないよぉ。うちは日蓮宗だよん。

 眠りに落ちかけた頭の中で、適当なことを呟いている。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

 敦の実家は禅宗である。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

 まっ昼間に大音響で規則的に扉を叩き続ける人物と、それを知りながらも無視を決めこみ眠り続けようとする男。迷惑差で言えばさして変わりがないだろう。

 敦がすっぽりと夢の中へと戻るその寸前に、「ガンガン」がピタリと鳴り止んだ。それに取って代わり、これまた異様に甲高い声が敦の名前を叫び始めた。

「木橋さあん。宅配便でえす」

 枕に埋もれていた敦の頭が跳ね上がった。

「木橋さあん。いませんかああ。宅配便でえす」

「……さ、先にそれを言えよっ」

 勧誘や集金以外にも、宅配業者というものが来る事もあるわけだ。これは失念していた。宅配便となれば話は別だった。さんざん無視していたことを投げ捨てて起き上がり、敦は粘つく口を開いた。

「木橋」

「……はいっ。はい、はい、はいっ。いま、いまいきますっ」

 ざらつく声を張り上げているものの、二日酔いで寝起きのせいか、扉の外までは十分に届かないようだ。宅配業者はまたも脳をキイキイキイと切り裂いていくような声をあげた。

「木橋さあん。宅配便でえす」

「だから、いまいくってばっ」

 腹から振り落としたものの、更に足へとからみつく毛布を押しのけると、敦はなんとか狭い玄関へたどり着いた。

「木橋さあん」

「はいって、もう」

 薄い扉1枚隔てただけの距離でのこの甲高い声は、凶器のように頭のてっぺんから突き刺さってくる。なんとか声を遮ろうと扉を開けた瞬間、Tシャツ1枚の胸元にダンボール箱が押しつけられた。

「……つっ」

「はい、ここ。ここにハンコかサインお願いしまあす」

 箱が胸に当たっただけにしては大きな衝撃にむせ返った敦をかえりみることもなく、甲高い声の宅配業者はダンボールの上に小さな伝票をのせてトントンと叩いた。

「えっ?」

「あ、はい。ボールペンね、これどうぞ」

 甲高い声にはまったくそぐわない毛深くて短く太い指が、ちまちましたボールペンを敦に半ば強引に握らせる。

「あ、ああ」

 その勢いに押されるように木橋と読めなくもないサインを敦が書き終えるのとほとんど同時、可能ならそれよりも早かったのではないかというスピードでペンをひったくると、宅配業者はさらに甲高い声で「どうもおっ」とひと言残し階段を下りていった。

 ガンガン。ガンガン。ガンガン。ガンガン。

 鉄製の階段を踏む足音まで規則的だ。多分角を曲がった路地に止めてあるだろう車へと駆けていく様子は、なんだか妙に場違いに見える。間違ったところへ来てしまったから、慌てて帰るというようだ。こんなところ来たくもなかったのに。それでも角を曲がるまで呆然と見送っていたにもかかわらず、敦はすでに宅配業者がどんな人物だったか思い出せない。

「……うるせえ奴」

 小さめのダンボール箱に貼られた伝票には、几帳面な字で送り主の名前が書かれていた。

 木橋裕子。

「やったっ。待ってたぜ、かあちゃんっ」

 困った時に頼りになるのはやはり親だと、特に末っ子だということだけで甘やかしてくれる母親だと、こういう時だけは敦は母親をとてもありがたく思う。

 だがその厚い感謝の気持ちが、神経質なぐらいに止めてある厚手のテープを引き剥がした途端、どこかへすっ飛んでいった。

「おいいっ。なんなんだよ、これはっ」

 確かにいつも送られてくる荷物より、ひと回りぐらい小さな箱ではある。だがそれなりに入れる物などいくらでもあるはずである。たとえば金とか。

 小さなダンボールの中に入っていたのは、瑞々しい、そしてつややかな葉がきっちりと巻かれた、持ち重りのする緑美しいキャベツがひとつ。それきりだった。

「馬っ鹿じゃねえのっ」

 両手で抱えたキャベツに向かって叫んだ。

「こんなのひとつだけ送ってきて、どうしろってんだよっ」

 敦はキャベツが嫌いではない。どちらかと言えば野菜類の中では好きなほうだろう。もともと野菜を好んで食べることもないが、好きな野菜としてあげてもいいぐらいに食べる。母親にしても、息子はかぼちゃを煮て食べることはしなくとも、キャベツを刻んで食べるぐらいはするだろうとの判断が働いたのかもしれない。敦はかぼちゃのあのもこもこした食感が大嫌いだ。

 というわけでキャベツなのかもしれないが、しかしキャベツひとつしか送ってこないというのもあ

る意味すごいことだろう。普通ならもっと実用的な物を送ってきそうなものだ。米とか、レトルト食品とか。もちろん金とか。

「あっ」

 敦は慌ててダンボール箱を拾い上げ、頭を突っ込んだあげくに底まで開いて上下に振った。ダンボール紙の細かい切れ端がぱらっと落ちた。

「……ったく、マジかよ。信じらんねえ」

 きれいさっぱり、手紙ひとつ入っていない。

「もっと送るもんはあんだろう、なんでもさあ」

 酔ってシャワーも浴びずに寝たせいで、汗やらスタイリング剤やらでべとついてぐしゃぐしゃの赤い髪を、敦はがしがしとかき乱した。

「……冗談じゃねえよ」

 とりあえず、敦はキャベツを抱えた。枕ではなく。

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