07.夢
そろそろアーシャには幸せな日常を送って貰いたいなと思ってます。
夢を見た。
誰かが幼い自分に話しかけていた場面だった。
「アーシャ、ねぇアーシャ」
柔らかな声音のこの人物が母なのだとアーシャには分かった。赤い髪に、金の瞳であったからだ。
「なぁに、おかあさま」
「うん? 呼んで見ただけよ」
悪びれもせずにそう言い切ったジーンを、アーシャはぶすっとしながら睨んだ。
そういえば、いつもこうだった。
用は無いけど呼んでみたり、別にアーシャが一人でも大丈夫な時に傍にいたりする。ジーンはそういう母だった。
恐らく、わざとやっていた。アーシャも幼いながらに過敏にそれには気づいていて、だから必ずいつも怒った。
「うぅ~!」
「あら、怒ったアーシャも可愛いこと」
ジーンは「ふふっ」と微かに笑うと、続けて今度は眉尻を下げた。
「……ねぇアーシャ、今度一緒にパーティ用のドレスを買いにいきましょうね。公爵さまが、お小遣いをくださったのよ。『アーシャに可愛いドレスを着せてあげたいんです』って言ったら、結構多めにくれたの。……どういうのがアーシャは好きかな?」
子どもとは現金なものだ。アーシャの耳がぴこんと動いた。ドレスを買って貰えると聞いて、一瞬で怒りが収まってしまった。
この頃――まだジーンが存命の頃、アーシャの扱いもそう酷くは無かった。
確かにバーバラ達との間に差はあったけれど、それでも、少なくともツギハギのドレスを着なければいけないということは無かったのだ。
それに、公爵のアーシャを見る目も、実は優しさに満ちていたりもした。
「……えっとね、どんなドレスが良いかっていうとね、白いのがいいな」
「白?」
「このまえ、街で白いドレスを着た人がいっぱいの人にかこまれて、にこにこ笑ってたのをみたよ! すごくしあわせそうだったから、白いの着れば、アーシャもしあわせになれるかなって」
「いっぱいの人に囲まれて……幸せそうに笑って……あっ……それは多分結婚式よ? まだアーシャには早いかな」
「……早いの?」
「……うん。でも大丈夫。いつかアーシャも着れる日が来るから。……それにしても、結婚、か。アーシャにもいつかはその日が来るのよね。いったいどんな人に貰われて行くのかな? 優しくてカッコ良くて……心の底からアーシャが好きになれて、そして好きになってくれる人だと良いね」
「貰われる……???」
「あはは、まだ分からないか。まぁ、その時が来たら分かるわ。幸せな結婚が出来ると良いね。……って言っても、アーシャも一応は公爵の子だから、相手を選んだりとかは出来ないから運任せになっちゃうけど」
ジーンは慈しむように笑うと、アーシャの頭を撫でた。アーシャは何を言われているのかは良く分からなかったけれど、「うん」と言って嬉しそうに眼を細め、ジーンにぎゅっと抱き着いた。
母とのこうした触れあいのことを、アーシャはあまり覚えていない。でも、こうしてたまに夢に見る。起きれば忘れてしまうけれど、それでも見てしまう。
親子の楽し気な場面は、それから、突然に変わった。ジーンが血を吐いて倒れ、そしてそのまま帰らぬ人になった時の光景になった。
大好きな母に縋りついて、「早く起きて」とアーシャは体を何度もゆすっていた。しかし、亡くなったジーンが起きるわけもなく、無情に時間だけが過ぎていった。
泣いて泣いて、そして泣きつかれた頃に――アーシャは妙な視線を感じて振り返った。すると、そこには眉一つ動かさない冷徹な顔をした夫人がいた。
「……公爵のお気に入りだからと、妾の分際で調子に乗るからよ。私を追いやり、正妻の座を狙っていたに違いない。……助かったわ。毒入りのお菓子を『ありがとうございます』なんて言って平気な顔をして食べてくれて。ふふっ、あとは公爵に執拗に『ジーンはあなたを嫌っていた』とウソを言い続けるだけ。……それにしても、妾の子は全く汚らわしい。髪と瞳の色がくっきり違ってツギハギな見た目。特に髪が酷くてよ。公爵の綺麗な白髪に妾の赤が混じって……真っ白な布に汚れが付いているみたいで、汚い」
☆
「はぁ……はぁ……」
目を覚ますと、アーシャは寝汗でぐっしょりとなっていた。
内容は覚えていないけれど、なんだか嫌な夢を見ていた気がする。きっとそれが原因だ。
手の甲で額の汗を拭いながら、ぐるりと周囲を見ると、ここは見慣れない部屋であった。
「……ロメオ」
ふいにその名を呟いて、アーシャは思い出した。
ここが帝国の宮殿であり、そして、この部屋が自分の為にあてがわれたものであることと――それから、昨夜のことも。
アーシャは、左手の薬指の腹で自らの唇をなぞった。すると、不思議と感触がまだ残っていた。ロメオの唇の感触が……。
『今日のところはここまで』とロメオが言ったので、それ以上のことも、それ以外のことも無かった。
けれども、あんなことをするのは初めてであったので、アーシャの心は一日が過ぎた今でも冷め切らず頬には熱が点る。
ひとまず「ふぅ」と息を吐いて、ぼうっとしながら窓の外を眺める。すると、部屋のノッカーを鳴らす音が聞こえた。誰か来たようだ。アーシャは慌てて澄まし顔を作る。
『アーシャさま、お目覚めでしょうか。本日付けでアーシャさまの専属の侍女になりましたオフィーリアと申します。お部屋の中に入る許可を求めます』
どうやら専属の侍女がつくらしい。
第三皇子の妻――皇子妃殿下となるのであれば、こういう扱いも当たり前のようだ。
しかし、そうは言われても、アーシャは専属の侍女など今までいたことが無かったので「どう接しよう……」と思った。