05.終戦
今まさに起きているという戦争は勿論怖い。
でも、それ以上に、見当もつかないロメオへの自らの気持ちが怖い……。
理解の出来ない自分自身の心境にアーシャは惑い、その結果、気を紛らわせる為に屋敷の中をうろつくことが増えた。
屋敷内の人達は戦争にばかり気が向き、アーシャの様子がおかしくなっていることに誰一人として気づかず――その時であった。
今日も今日とて、うろうろと屋敷内をうろついていたアーシャは、ふいに通りかかった談話室の前で足を止めた。中から公爵と夫人の声が聞こえて来たからだ。何やら剣呑とした様子の会話を、アーシャは耳を澄ませて聞き耳を立てた。
「……敗戦は避けられぬ」
「一体どうしてこのようなことに……。あぁ……」
「帝国との衝突はいずれにしろ、逆らえぬ運命ではあった。あの日――建国記念日の来賓会の日。その翌日に、中央と帝国の間で話し合いが行われたが……交渉は決裂となった。中央の要望は独立国としての存続であったが、しかし、それは呑めぬと拒絶されたのだ。……帝国から交渉に出向いたのは、確か、第三皇子であったか」
「第三皇子とやらは、一体この国に何の恨みが……」
「恨みなどあるまい。交戦に踏み切るか否かについては、第三皇子の一存では決められぬだろう。独断で交戦権を行使できるのは皇帝のみであろうな。……恐らく、こちら側の反応を予め幾つか想定し、その答えごとにどう動くかを既に定めておったのだ。第三皇子はその通りに動いたに過ぎぬ」
「……私たちはどうなってしまうのでしょうか」
「帝国の胸三寸次第であろうな。版図を広げようとする意志が垣間見える行動からは、あまり良い結果は考えられぬが……」
公爵が溜め息混じりに頭を抱えると、夫人はひどく顔を歪ませ、勢い良く扉を開けて部屋から出て行った。アーシャの横を通っていったものの、気づく気配は無かった。
『敗戦は避けられない。』
公爵のその言葉で、ロメオのことで頭がいっぱいであったアーシャも、さすがに落ち着きを取り戻した。劣勢だから負けそうとか負けるかもではなくて、確実な負けが見えてしまっていると言うのだ。それは重い言葉であった。すると、公爵がアーシャに気づいた。
「……おったのか」
「ぬ、盗み聞きをするつもりは……」
「良い。それよりも……」
公爵は怒ることもなく、眼を細めると、ぽつりと言った。
「……私はお前を見る度に、本当は、ジーンから嫌われておったのではないかと思う時がある」
「えっと……」
突然何を言い出すのかと、アーシャは戸惑った。ジーンと言うのは母の名である。公爵は目を伏せると、話を続けた。
「金の瞳と赤の髪はジーンから、蒼の瞳と白い髪は私から。それらは交わることなく、まるで一つになることを嫌がっているかのように、分かれておる。継いで接いだかのように境界線がハッキリとしておる」
「……」
「……だからか、私はお前が苦手だ。嫌いと言っても良い。ジーンが、あの女が、私を真には受け入れていなかったと証明しているかのようだからだ」
公爵がアーシャに冷たいのは、夫人に弱いからというだけではなく、母ジーンへ対する個人的な解釈も原因の一つであったらしい。
ただ、それを言われても、アーシャにはどうすることも出来なかった。確かに娘ではあるけれど、ジーン本人ではないからだ。
そのうえジーンは既に故人だ。公爵のことをどう思っていたのかなんてことは、いまさら尋ねることすら出来ないのである。
だというのに、産まれながらのどうしようもないこの容姿に、母の心境の解釈を勝手につけられ、そしてそれが冷たくした理由でもあるという。
ただのいい迷惑である。
しかし、アーシャは表立ってそれを指摘出来る立場には無く。
「……下がれ」
公爵の言葉を受け、アーシャは一礼をしその場から去ることにした。
☆
訪れると分かっていた戦争の結末が現実のものとなったのは、更に一月が経った頃であった。
――騎士団長ゴードンが重症を負ったことで我が国の戦意が一気に喪失。帝国の軍が首都に接近。ついては、全面降伏を行う事となった――。
此度の戦はそのような結末と至り、アーシャはこの事については、開戦を知った時同様に使用人たちの噂話を横耳で聞いて知った。
「どうなるのでしょうか」
「私たちはここで働き続けることが出来るのでしょうか」
「争いで負けた国の貴族が、そう良い待遇を与えられはしないのでは」
「働けるかどうかの心配よりも、奴隷にさせられるか否かの心配をするべきでは……?」
この国は負けてしまった。
ただでさえ重かった屋敷の空気が、どん底にまで落ちていたのは、敗戦国の末路を心配しているからこそのようだ。
と、その時。ふと、大声が屋敷で響いた。
「お父さま! ゴードンが、ゴードンが……」
「おおバーバラ」
「このままでは、ゴードンが死んでしまいます! どうかお助けを……良き医者を探して下さいませ……」
「済まぬ、それは出来ぬ相談だ。この国は負けてしまった。私が勝手に動いては、方々にも迷惑が掛かろう。……ゴードンの容態は天に任せるしかあるまい」
「そんなっ……」
どうやら、婚姻に伴い屋敷を出て行ったバーバラが、スタッカード公爵に助力を求める為に戻って来ていたようだ。
ゴードンとの間には愛が無いようには見えたけれど、こうして血相を変えているところを見るに、共に暮らすうちに芽生える何かがあったのかも知れない。
愛は無くとも情は湧いた、といった所だろうか。
「お母さま! お母さまからも何か言って下さいまし!」
「バーバラ……。確かに、私とて、愛しい我が子は助けてはさしあげたい。けれども、今回ばかりは公爵の尻を叩いてどうにか出来ることではありません……悔しく泣きたい気持ちは私とて同じ……」
泣き叫ぶバーバラと、その背中をさする公爵と夫人。そして、不憫だとでも言いたげな表情で、目端に涙を溜める姉妹と使用人たち。
恐らく、ここは悲しみに暮れる場面であるのだ。しかし、アーシャだけは何も思うことが出来なかった。
意地悪な女の末路に相応しい等とは思わないし、けれども、かといって同情を覚えることもなくて。
完全にただの他人事としてしか見れなかったのだ。
だから、そんなことよりも、自分自身のこれからとか、あるいはロメオは無事なのだろうかとか、そんな心配をしていた。
アーシャは自分の部屋に戻ると、窓の外を眺める。青い空が続いている。血なまぐさい争いが近くで起きていた等とは到底に思えない。
ただただ、澄み切った空が続いていた。