03.からっぽな結婚式
「……お前には非常に悪いと思っているのだが……」
言い辛そうな表情をしつつも、スタッカード公爵が切り出したのは、ゴードンとバーバラを一緒にさせるように進んでいるという話であった。ついては、ゴードンとアーシャの婚約が破棄になるとも。
「そう、ですか……」
アーシャは呟くようにそう言った。
あの日あの夜に二人の逢瀬を見ていたから、ある程度は予想していたことであった。
だから、大きな衝撃は無い。
「話はそれだけですか?」
「い、いや。それだけではない。建国記念日の来賓会の時の事だが……。聞くが、誰かを怪我させたりはしておらぬな?」
それは、あの時の騒動についての問いであった。そういえば、外出禁止令を通達する時に、公爵は何かを聞きたそうな顔をしていた。恐らく、これを聞きたかったのだ。
自分が起こした騒動で怪我人は出ただろうか? アーシャは記憶を辿る。
テーブルを破壊して料理は台無しになったけれど、誰も怪我はしていなかったハズ――と、そこで、アーシャはロメオの顔を蹴っ飛ばしたことを思い出した。
確か、口角から血滴を流していた……けれども、最終的には仲が悪くなるようなことも無く別れたし、そもそも来賓会の外での出来事である。
だから。
問題がないことであったとして、それについては言わないことにした。
「いえ、誰にも怪我は負わせておりません」
「そうか……ならば良いのだ。あの場には、他国の方々も来ていた。場合によっては大問題にも発展しかねないのだ。お前には他国の貴族については、あまり教えては来なかった。他国にどのような人物かいるか名前すらも定かではあるまい」
アーシャが今までに受けた教育というのは、他国については知る必要がないとされて、それが省かれてきた。
国内の地盤固めに利用する為に嫁に出す気であったからか、必要なのは国内の事情のみである、と。
そうした経緯ゆえに、アーシャはとかく他国の貴族に疎くある。
「……以後気をつけます。スタッカード公爵」
「分かったのならば、後は下がって良い。外出禁止令も明日までとしよう。……ともあれ、思う所はあるかも知れぬが、お前もバーバラとゴードンとの婚姻については祝ってやると良い」
スタッカード公爵の言葉を受け、アーシャは一礼をすると、そのまま自分の部屋に戻った。そして、何事も無かったのようにドレスのお直しの続きを始める。もくもくと縫い合わせていく。
と、すると。
ドレスに水滴が落ちて染みが出来た。
「雨漏りなんてしてないのに……」
天井を見上げても、水が落ちて来る様子はない。では、なぜだろうか。アーシャは悩みながらも、お直しの続きを再開する。すると、ドレスに落ちる水滴が徐々に増えていった。
勢いが雨脚のようにも近くなったところで、アーシャは、ようやく気付いた。
自分が泣いていることに。
「うっ……うぅ……」
ツギハギのドレスに顔をうずめ、アーシャはむせび泣いた。
知ってはいた。
二人の接吻を見たのだから。
こうなることは分かっていた。
バーバラは当然の事として、ゴードンもふしだらで酷い男だ。自分のことを陰で馬鹿にするような男だった。
誠実そうなのは見せかけだけで、本性は底意地の悪い色欲にまみれた人物であったのだ。ある意味で、あんな男と一緒になれなかったことは幸福である。
――しかし、そんなゴードンとの未来にも、瞬きの間とはいえ淡い期待を抱いていたのも事実であって。
「ひっく……ひっぐ……うぇぇぇぇ……」
変な夢を見ていた自分が情けなくて、恥ずかしくて、姉に対する恨みやゴードンに対する軽蔑なんかもあって、そうした色々な思いが重なって。
心に折り合いと整理をつけ、ようやくアーシャが泣き止んだのは、夕刻になった頃だった。
☆
スタッカード公爵家には娘ばかりが4人いる。長女ファルネー、二女バーバラ、三女アーシャ、四女エリーだ。
年齢は上から20、18、17、14である。
順当にいけば、歳の順で婚姻が行われ式をあげることになる。だから、本来であれば長女が一番の先になるハズであり、実際に相手も既に決まっているのだけれども……しかし、それよりも前に、バーバラとゴードンの挙式が行われることになった。
それが、公爵家としての何かしらの意図を含むものなのか、それともバーバラとゴードンの強い請願があったからなのかは分からない。ただ、経緯はどうあれ、そのようになったのだ。
行われた式は盛大なものとなった。平民であるゴードンと公爵家の息女であるバーバラの婚姻は、階級差や立場を超えた愛として大々的に喧伝され、沢山の人々であふれる事態となったのだ。
あるいは、この光景を作り出すことが目的だったのかも知れず、そして恐らく本来この役目に就くのはアーシャだったのだ。民からの公爵家への評判を上げつつ、邪魔者のアーシャは外に追いやれる。そんな計画だったに違いない。
けれども、そこにバーバラが割って入って来た。
理由は容易に想像がつく。
例え目的や理由があった婚姻だとしても、世間から良い評判を受け、かつ幸せそうな表情のアーシャを思い浮かべたのなら、それが許せなかったのだ。
別の場所で幸せになどさせない。それなら、先んじて奪ってやると、そう考えたのだろう。
「……」
アーシャは、隅っこの方で、幸せそうな笑顔で手を振る二人をじっと見つめていた。
既に泣きつかれていた為か、涙は一切出て来なかった。バーバラへの妬みも既に無い。いや、むしろ同情さえあった。ゴードンを寝取ったのはいいが、そこには何の愛も無いし、家庭を築く事に対する目標すらもないのだから。
妹から幸せを奪いたいだけの女と、肉欲におぼれただけの男の空虚な関係。その事実を知っていたアーシャには、ただ寂しいだけの男女にしか見えなかった。
「――今この国は他国からの侵略の危機にある! だが、この俺がいる限り絶対に安泰だ! 愛するバーバラと民を守る一振りの剣となろう!」
ゴードンが高らかにそう宣言した。
国際情勢のことは、アーシャには良く分からない。それが本当のことなのか、それともただ場を盛り上げる為だけの口上なのか、区別はつかなかった。
ただ、まぁ、「どうぞお好きに」とは思った。アーシャは、拍手喝采が巻き起こる会場からひっそりと姿を消していく。すると、その後ろ姿を見ていた夫人と他の姉妹たちが、くすくすと笑った。
とぼとぼと歩きながら、ふと、アーシャはロメオのことを思い出した。なぜかは分からないけれど、なんだか、また会いたくなったのだ。