06
「ただいま」
「おかえり」
リビングにいたのはお父さんひとりだけ。
「お母さんとお姉ちゃんは?」
「母さんは買い物だな。蛍は友達の家に泊まってる」
この家族にとって自分不必要説が浮上してくるのでやめてほしい。
とにかく荷物を部屋に置きに行こうとした僕を「虎々」とお父さんが呼び止めてくる。
「ん」
「母さんが買い物なのは本当だが、蛍は虎々が自分の顔を見たくないだろうからってさっき出ていったんだ」
「え……」
「お前、この前の時に嫌いだって言ったんだろ? 余計なことしたかなってあれから蛍はずっと言っててな」
直接謝られるチャンス謝るチャンスだった。アプリを使えば簡単だけどこういうのはきちんとした方がいいということで先延ばしにしていたことだったんだ。
ごたごたが落ち着いたのもあって今日こそって考えて帰ってきたのに、出鼻を挫かれた感じ。
「飯は?」
「あ、さっき友達とステーキを食べてきた」
「そうか」
あれは楽しかったし、大変美味しかった。ただ、子どもたちだけではとても行けないレベルだったからよく味わっておいた。だから気分高めのまま帰ってきたというのにそんなのは一気に吹き飛んだ、という形になる。
「謝れとは言わないが仲良くしとけよ」
「ん……」
部屋に帰ってアプリをチェック――最後にお姉ちゃんとこれを使用して会話をしたのは3月31日。寮では携帯を預けているためおかしくはないがちょっと引っかかるのは確かだ。
通知がきて慌てて確認してみたら美凪からだった。どうやら部屋にひとりしかいないのが気になっているらしい。
『お姉ちゃんが家にいなかった』
『あら、どこかに行ってるの?』
『友達の家。僕がこの前嫌いって言っちゃったから……』
『え、まだ謝ってなかったの? お姉ちゃん大好き虎々としては有りえない話ね』
今日勇気を出して謝ろうとしたんだ。でも、結局できていないから言ったところで伝わらない。
「それなら私が蛍ちゃんを呼んであげましょうか?」
「えっ!? ど、どうして家の中に……」
自分も実は寂しさを感じていてそれが見せた幻覚、幻聴とか? が、頬を引っ張ってみたら普通に痛かったので本物だということはすぐに分かった。
「なんかひとりだと寂しいのよ。だって、こっちなんて誰もいなかったのよ? こんな可愛いひとり娘が帰ってきたというのに」
「美凪は可愛いよりも綺麗派」
「見た目の話ではなくひとり娘としてという話よ」
美凪はそのまま僕を抱きしめる。
彼女はひんやりとしているので地味に気持ちが良かった。それと、ステーキ店の匂いはもうしなかった。
「協力、してあげましょうか?」
「ん、謝りたい」
「ええ、それなら少し待っててちょうだい」
彼女が部屋から出ていってくれたため、僕はその間に消臭スプレーを服に噴射する。
「いまから帰ってくるそうよ」
「ん」
「あら、それ使ったの?」
「臭ってたら嫌だから」
「ふふ、大丈夫よ、さっきだって美味しそうな匂いがしていたわよ? いまは……すんすん、あなたの匂い、かしらね」
その自分の匂いというのが分かりづらいから大変なんだ。人によっては気分を害するレベルかもしれない。そして他人の匂いを臭いとは中々直接言えるものではないだろうから。
「横、座ってもいい?」
「ん」
なんというか彼女はよく触れてくる同性だ。先程みたいに抱きしめてきたり、手を握ってきたり、こうして肩を揉んでくれたりと、これが彼女にとって自分を落ち着かせる行為なのかもしれない。ちなみに自分の場合は音楽を聴いたり、お姉ちゃんやお母さんと会話したり、美凪といるのが落ち着く行為となっている。
「学校はどう?」
「時間が経ってみればそんなに嫌な場所じゃないって分かった。少なくともいまなら2日目みたいに逃げ出したりしない」
「そう、それなら良かったわ」
僕の少し伸びた髪で彼女は遊んでいた。だけどあれだ、全然嫌な気はしない。それどころか彼女に触れられていると心が落ち着く、ほっとする。
「編み込みでいい?」
「ん」
せっせせっせと編んでいく彼女とただただ前をぼうっと眺める自分。
――美凪と出会ったのは小学5年生の時だ。
僕は輪に加われなくていつもひとりでいた。
でも、違和感とか寂しさは一切感じていなかった。
家に帰ればお姉ちゃん、お母さん、お父さんがいてくれたし、図書室で借りた小難しい内容の本を読んでいれば時間をつぶせたから。
ただ問題がなかったというわけでもなくて、例えば家庭科の調理実習などで班を組む、委員会で協力しなければならない場面、放課後のクラブ活動などなど、誰かと強制的に協力しなければならない時はいつもおおろおろとしていたものだ。
僕は本が好きだったから図書委員会を選択して黒板に名前を書いた。だけど他が埋まっていく中、自分のところだけには誰も名前を書いてくれない……下手をしたら休み時間まで使うことになる――そんな時に美凪が名前を書いてくれたのが始まりで。
「――終わったわよ」
「なんで昔はあんな人見知りだった?」
「え? あぁ……自分の顔があまり好きではなかったからよ」
そうは言うが子どもの自分から見ても整った顔をしていたと思う。いつも可愛いって言われていた。だからこそ僕と関わるようになったことを良く思わない人もいたくらいだ。
もちろん悪口を言われたりするのには慣れていなかったし気配には敏感だったので「近づくのはやめた方がいい」と美凪に言ったこともある。
それでも一切気にせず彼女は来てくれて、気づけば一緒にいるのが当たり前に変わっていたんだ。
が、デメリットはあった。彼女が他の子と楽しそうに話をしているともやもやしてしょうがなくて八つ当たりしたことだってある。何度も口喧嘩だってした。いまも変わっていない、いつまでも幼稚だったんだ。
「周りは可愛いって言ってくれていたけれどね、私はそう思っていなかったからいつも嫌だったわ。人見知りというか人が苦手だった、そう言うべきかしらね」
「それは違う?」
「ええ、恥ずかしいという感情はなかったもの」
「それならどうして僕といてくれた?」
「あなたは1度も私に可愛いと言ってこなかったからよ。お世辞だって言ってこなかった、それどころから八つ当たりしてくるような女の子だったわね」
これは暗にクソやろうって言われているようなものじゃないだろうか。
「でも、だからこそ信用していまも尚、私はあなたとは一緒にいる。高校に入っても続く友達なんて貴重だわ」
「だからいっぱい触る?」
「あなたに触れていると落ち着くのよ――っと、蛍ちゃんが帰ってきたようね、1階に行っているわ」
彼女が扉を開けるとお姉ちゃんが立っていた。「おかえり」ってお互いに言い合ってて、なんかそういうのがいいなって心から思った。
「こっこちゃん……」
名前を呼んでも部屋に入ってこようとはしない。
気になった自分から近づいて姉の体を強く抱きしめた。
「ごめん」
「うん……」
触れたくなる気持ちがよく分かる。
いるだけで癒やしを与えてくれるふたりではあるが、触れるとなんというか心がぽかぽかする。だから必死にぎゅっとしていたら「ちょっと痛いかな……」というお姉ちゃんの声が聞こえてきて僕はそこでやっと離した。
「嫌いとかそういうのはない」
「うん」
家族が嫌いなら僕は美凪の家に泊まっていたはずだ。
「今日だって本当はお姉ちゃんに迎えに来てほしかった」
「うん……」
恐らくアプリを使用しての謝罪は卑怯だとかそれっぽい理由を作り上げていただけなんだ。自分がそうしてしまったように否定されるかもしれないと考えたら怖かったから。
「お姉ちゃんの顔が見れて嬉しい」
「私もこっこちゃんのお顔が見れて嬉しいよ」
お父さんが「仲良くしとけよ」と言った気持ちもよく分かった。どんな状況になろうとお姉ちゃんとはいつまでも家族だ。そんな家族と仲が悪いままではいつまで経っても気になって落ち着かない生活を送ることになるだろう。自分も経験があったのかは分からないけれど、人生を長く生きているからこそ、自分の子どもだからこそ、そうした方が気持ちよく過ごせるぞということを伝えたかったんだ。
「学校はどう?」
「大丈夫、もう逃げ出さない」
「そっかっ、それなら良かった!」
「お姉ちゃんは彼氏できた?」
「う゛っ……で、できてないです……」
僕を学校に送った後お姉ちゃんは言った、『そろそろ彼氏作っちゃおうかな~』と。
「さっきまで行ってた友達の家って男の子の家?」
「い、いや……近所の河川敷に行ってただけなんだ、友達はみんな忙しくて……」
「お姉ちゃん」
「はい……」
「頑張ってっ」
「あ、ありがとうございます……」
こっちも頑張るからお姉ちゃんも頑張ってほしい。
あ、そういえば結局爽子は弟さんに会わせてくれなかった。
やっぱり怪しい、月曜日になったらまた聞いてみようと決めたのだった。