九十九髪
みなさんは、ここまで僕たちの記録を読んでこられて、
「まったく、平安時代の男ときたら……! 何人もの女をとっかえひっかえ、好き勝手やってるわね!」
なんて呆れてたりしないでしょうか?
こんにちは。舎人一号です。
前にも言ったかも知れませんが、この時代はかなり恋愛に関してはフリーダムでした。
男ばかりではありませんよ。女性だって、バツイチなんてことがその後の人生に不利に働くようなこともありませんでした。人々は、そういったことには、あまりこだわりはなかったのです。それに、男と連絡がつかなくなって三年経てば、別の男と結婚しても良いという約束事もありました。
え? それでも納得がいかないとおっしゃいますか? 男のほうが好き勝手やってそうですって?
うーん。では、こんなお話をいたしましょう。
ある日のことです、ぼっちゃんは狩りに出かけました。
ご友人もいっしょだったのですが、ご友人はぼっちゃんよりも年上のご兄弟でした。
そのご兄弟。狩の間中も何やら上の空。どうももじもじしておりまして、ぼっちゃんに何かを言い出したいのに、言えない。そんな感じでぼっちゃんをちょろちょろと伺っているご様子なのです。これでは、狩りの成果も出せぬというもの。
爽やかな風の吹き抜ける木陰を探して、早々にひと休みすることとなりました。
「どうしたのです? 今日は……」
不審に思ったぼっちゃんが水を向けます。
「え? ああ、あのっ……実は! うちの母のことなんですけどね!」
弟のほうが、ひきつった笑顔を見せながら話し始めました。
「えっと、この間夢を見たっていうんですよね。ね? 兄さん?」
と、隣りに腰を下ろした兄に向かって同意を求めましたが、兄の方は眉間にしわを寄せ、そっぽを向いてしまいます。
「お前が業平様にお話するって言ったんだぞ。俺は知らん!」
などと、兄弟で何やら険悪なムードです。
「一体何があったというのです? とにかくお話してみてくださいませんか?」
そして出ました。ぼっちゃんの慈愛に満ちた眼差しスマイルです。
ぼっちゃんはイケメンですけど、心根がお優しいので、この笑顔をされると、ついつい人々は心の垣根を低くしてしまうのですよ。
「えっとですね! 実は私の母が、そ……その……業平様と一夜を共にした夢を見たと言っているのですよ。それからと言うもの、母はすっかり恋の病に取り憑かれてしまいまして……それで……ええっと……もしよろしければ、母に会ってやってはくれないかなぁ~、なぁぁんちゃってぇ……」
はいぃぃぃぃ!?
聞き耳を立てていた、私のほうが声を上げそうでしたよ?
いいですか、このご兄弟は、ぼっちゃんよりだいぶ歳上なんですよ。その御母堂ですか? いったい、いくつなんじゃい!?
弟の方はあははははー、なんて頭に手をやりながら汗をかきかき笑っておいでです。
これはさすがのぼっちゃんもお断りするのではないかと思いました。
ところがです。
「そのように、私に想いを寄せてくださっているのですね……」
なんて言って、なんとぼっちゃん、そのお母様のところに通われたのです。
なんというか……たいていの人というものは、自分が想いを寄せた人と結ばれたいと思うものなのでしょうが、ぼっちゃんの場合、博愛主義とでもいうのでしょうか、自分に想いを寄せてくれた人すべてに応えたい! と思ってらっしゃるようで……。
まあ、流石に一夜限りでしたけれどねえ。
まえまえから、ぼっちゃんって凄いとは思ってましたけど、このときは、ぼっちゃんの凄さの真髄を垣間見たと思いましたね。ええ、僕の認識はまだまだ甘かったようです。
と、これでお話は終わったかと思いきや、ある時件の老婆がお屋敷にやってきたのですよ。
坊っちゃんの様子を盗み見し、じいっと見つめているわけです。
それに気づいた僕なんか、思わず「ひぃぃい!」って、震えちゃいました。
ストーカー!? みなさんの時代だったら、ストーカーとして、訴えられちゃいますよ? 何しろお屋敷に入り込んで、こっそりお庭から監視しているわけなんですから。
ぼっちゃんも、流石にちょっと困ったような顔をすると、老婆に聞こえるように歌をお詠みになりました。
「百歳に一つ足りないような年の髪をした女が、どうやら私を想い慕っているようですね。庭先に幻がみえますよ」
(ももとせにひととせ足らぬつくも髪 我を恋ふらしおもかげに見ゆ)
きっと、今この目に映っている老婆は、幻なんだな。ということです。僕たちの時代では、相手のことを思う気持ちが強いと幻となって相手のもとに現れると信じられていました。生霊みたいなものですかね?
もちろん、今お屋敷の庭影からこちらを伺う女性は、幻でも生霊でもないことはわかっているのですよ。それでも、幻なのだと詠むことで、ぼっちゃんにその気がないことを伝えようとしたわけですね。
女性の方も教養はある方でしたから、ぼっちゃんの歌を聞くと恥ずかしくなったらしく、慌てて家へと帰ってしまわれました。
ほっと胸をなでおろす舎人一同。
……が。
当のぼっちゃんは、どうも浮かない顔をしていらっしゃいます。
「彼女、去っていくときに、泣いていたみたいだね。かわいそうなことをしてしまったかな……」
なんていい出します。
いいんです! いいんですよ、ぼっちゃん! 気にする必要はありません。
言いました。言いましたとも。
ですがぼっちゃんは、今一度その女性の元を訪れたのでした。
ぼっちゃんがその女性のお宅をそっと覗き見ると、彼女は一人嘆きながら床についていたのだそうです。
「今夜も愛しい人に会えぬまま、私は筵の上で一人寂しく寝るのだわ……」
(さむしろに衣かたしきこよひもやこひしき人にあはでのみねむ)
目頭を袖で抑え、白髪交じりの髪が落ちかかる方が心もとなげに震えていたのだそうです。
彼女の歌と、その姿を目の当たりにして哀れに思われたのでしょう。ぼっちゃんはその夜、その老女のもとに一晩お泊りになりました。
老婆の方も、それで満足なさったのでしょうか。その後、二度とぼっちゃんの前に姿を表すことはなかったのでした。
伊勢物語第六十三段「九十九髪」より
アレンジを加えておりますので、設定などオリジナルと違う点もございます。