なんということもない話
僕、ときどきうちのぼっちゃんが、とっても危なっかしく、見える時があるんです。
今日は少しぼっちゃんについて書かせてもらいますね。あ、今日日誌を書いてますのは、舎人一号です。
実はぼっちゃんは、とても高貴な血筋のお方です。
お父上は五十一代天皇の親王(嫡出の皇子)ですし、お母上も第五十代天皇の内親王(嫡出の皇女)でいらっしゃいます。
しかも! ここだけのお話なんですけど、ぼっちゃんの本当のお父上は、第五十一代天皇ご自身だという噂もございます。もしそうだとすると、ぼっちゃんのご両親は兄と妹だったということですね。これは僕たち舎人にも、真偽の程はわかりかねます。
というように、血筋のみでいえば、ぼっちゃんは間違いなく天皇になってもおかしくないお方なわけです。
あわわ、これは本当にここだけの話ですよ。未来のみなさんにだからこそ、お話できるのですからね。
今この平安の都を動かしていらっしゃるのは、藤原北家の方々なんです。迂闊なことを言ったら、ぼっちゃんの身が危うくなってしまいます。
ではなぜぼっちゃんが、一介の貴族でいらっしゃるのか。
それは、ぼっちゃんのおじい様に当たられる五十一代天皇と弟君との争いに遡ります。
ぼっちゃんのおじい様である五十一代天皇は、弟君との争いに破れ、皇族という身分を離れて姓を賜り、天皇の臣下となられる道を選んだのです。その後、弟君は天皇となられました。
そして今、権力を握ろうとしているのは、ご自分の妹を第五十四代天皇に入内させ、生まれた五十五代天皇にご自分の娘を入内させた、藤原北家、藤原冬嗣が次男、良房様なのです。
そのことが、ぼっちゃんに幾ばくかの影や、あきらめにも似たものを与えているような気がしてなりません。
ぼっちゃんが、陸奥に魅力を感じられるのも、そういう少し外れた田舎(こう申しては何ですけど)に、ご自分の境遇を重ねてしまうところもあるのかな? なんて、最近は思ってます。
先日、陸奥へ出かけた時の話なんです。
まあうちのぼっちゃん「歌と女性を口説くことに命をかけているな」どと噂されてしまうような人なんですけどね。
いやね、でも僕、それだってぼっちゃんの作戦もあるんじゃないかと思うんですよ。なにしろ反藤原の旗印ともなる力を秘めていらっしゃるのですから、色好みを隠れ蓑にされてるのではと、睨んでいるのです。
……確かに、けっして女性をお嫌いではないと思いますけど。ええ、大好きなんだと思いますけど……。
そうそう、陸奥へ行ったときですね。
そこでぼっちゃんはなんてことのない冴えない男の奥方に心を動かされてしまいました。それで、あちらにいる間、もうその奥方のもとへ通い詰めだったのです。
あるとき、その女性の元へ通う道すがら、こんなことを申されました。
「なあ、彼女、このような鄙びた陸奥などにいる女には見えないだろう?」
そう言われてみると、お話になる言葉も、立ち居振る舞いも、こんな片田舎の面白くもない男の妻とは思えません。
そしてぼっちゃんは、こんな歌を歌われました。
「信夫山よ 人目を忍んで、本当の貴女のもとへかよう道はないのだろうか?――本当の貴女はどんな人なのですか?」
(しのぶ山 忍びて通ふ道もがな 人の心の奥も見るべく)
もしかしたらこの句は、彼女へ送りながら、その奥にご自身を投影されてるのかなあ? なんて深読みしちゃうのですよ。
まあ「舎人其の二」さんなんて
「そんな田舎女の野卑な心を覗いたからって、どうしようもないでしょうがね」
などと言ってましたけどもね。
伊勢物語第十五段「しのぶ山」より