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陸奥での出来事

 皆さま、初めてお目にかかります。本日こちらに書き込みをさせていただきます、舎人「其の二」と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 舎人一号は、自分が一号なんだから、舎人二号と名乗ればいいではないか、などというのですけれども、どうも私、一号二号などという呼び方は好みではございません。そこで、私のことは「舎人其の二」ということでお願い致します。

 

 まったくうちのぼっちゃんにも困ったものでございます。

 雅を追求するのもよろしいでしょう。悪いこととは思いません。ですがね、物には限度というものがあると私は思うのでございます。

 普通に京の都で、雅やかな生活をしていらっしゃれば良いではありませんか。皆さまもそうは思われませんか。

 だのに、うちのぼっちゃんときたら「(ひな)びの中にこそ、真の雅があるのだ」などと言い出し、ある日突然陸奥(みちのく)へ旅に出ることにした、などとおっしゃるのでございます。

 いいえ、私たち舎人は存じております。なぜぼっちゃんが陸奥などという僻地へ旅立とうとお考えになったのか。

 京に居づらくなったのでございます。そりゃあそうでしょう。元服してからというもの、あちらこちらの女性の間を渡り歩いておいでだったのですから。なかには、決して恋仲になってはいけないようなお方もいらっしゃいましたしね。


 ぼっちゃんは気楽なものでしょうよ。


「ちょっと、陸奥へ行ってみようかな」


 とひとこと言えばよろしいのですから。

 そのひとことで、私たち舎人が右往左往する羽目になるのです。まあ、それも務めなれば、仕方のないことなのですけど。

 それにしても、なんで私などに随行員として白羽の矢が当たったのでしょう?

 はっきり言って「いちはやき雅」などというものは、私には最先端過ぎて、どうにも理解し難いものでございます。

 陸奥なんていうところは、「蝦夷(えみし)」などという先住民が住んでいるのではありませぬか? それのどこに雅があるというのでしょう。

 舎人一号などは、のんきなものです。

 憧れのぼっちゃんと陸奥旅行だなどと、ウキウキなのですから。

 私のようなものは留守居隊として、残していってくださればよかったものを!


 しかしながら、今回の陸奥への旅では、ちょっと面白いことがあったのでございます。

 ぼっちゃんもこれで少しは懲りたのではないかと思うので、ここに書き残しておこうと思います。


 じつはぼっちゃん、旅先で一人の女性に猛烈にアタックされたのでございます。


「都会の男! なんて格好いいんだべぇ!」


 と、その女はこちらが恥ずかしくなるくらいの勢いで、和歌なぞを送ってまいりました。


『半端な恋に死んだりしないで、夫婦仲の良い蚕になればいいのよ。たとえ束の間の命だったとしても』

(なかなかに 恋に死なずは桑子にぞ なるべかりける 玉の緒ばかり)


 というような歌でありました。

 どう思われるでしょうか? 蚕ですよ蚕。普通、恋の歌の中に「蚕」なんて言葉を詠みますでしょうか。そんな言葉の入っている歌を、私は聞いたことはございませんよ。

 この田舎丸出しの句を見ても、ぼっちゃまときたら「なかなか可愛いではないか」などと笑っているしまつです。


「とりあえず行ってきてみようかな?」


 と、いそいそ女の元へとしのんで行き、寝所を共にしたのでございます。

 しかし流石のぼっちゃんも、女の田舎臭さに辟易したのでしょう。普通ならば共に朝を迎えるところを、まだ夜も明けきらぬうちに、帰ってきてしまいました。

 するとまるで追いかけるように、女から文が届きます。


『夜が明けたなら水槽にぶち込んでやるわ! あのクソッタレの鶏のやつめ! だってあいつが早く鳴き声を上げたせいで愛しい方が帰ってしまったんだもの♡』

(夜も明けばきつにはめなで くたかけの まだきに鳴きてせなをやりつる)


 この文を読むとぼっちゃんは力なく笑いながら頭を抱えていらっしゃいました。


「ぶち込む……くそったれ……」


 どう 贔屓目に見ても、雅とは一寸も重ならないこの言葉。

 ぼっちゃんはさっそく返事を書きました。


『京へ帰ります

 栗原というところには、姉歯の松という松があるそうですね。もしもあれが人であったのなら、都への土産としてさあ一緒に行きましょうとお誘いするのですけれど……』

(栗原のあれはの松の人ならば都のつとにいざといはましを)


 要するに、君が人並みの女であったら、京にお持ち帰りしたのにな。ということですよ。

 まあ、あれほどまでにぼっちゃんに猛烈アタックしていた女性には辛い手紙かもしれませんね。この手紙の内容を知った時は、私ですらお相手の女性に同情したものです。


 ところが、かの女性の無知というものは、私どもの斜め上を行ってらっしゃいました。

 人づてに聞いたのですけれど、その後彼女は次のように周囲に言って回っていたということです。


「あの人ったら、京へ帰る前に私に文までくれたのよ。きっと私のことが好きだったのね」


 と、たいそう嬉しげなご様子だったとか。

 無知であるということは、実は何よりも、強いものなのかも知れませんね。



 東北人には許しがたい……伊勢物語第十四段「姉歯の松」より

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