散るゆえにこそ美しく
ぼっちゃんのご友人である惟喬の親王は、毎年桜の時期になると、山崎の先の、水無瀬というところにあります離宮、河陽宮へお出かけになっておりました。
あ、山崎というと、そちらではウヰスキーなるものの蒸留所として有名なのだとか。僕、お酒はきらいじゃないんで、飲んでみたいものです。その、ウヰスキーとかいう、お酒。
それでですね、河陽宮へとお出かけになる際には、親王は必ずぼっちゃんをお連れになっていらっしゃいました。
そこで鷹狩をなさるわけなんですけど、何しろ桜の美しい季節ですから、鷹狩と言うのは、名ばかりで、結局桜の美しい場所を見つけては、飲んだり歌を歌ったりの宴会と成り果ててしまうのです。狩りは狩りでも、もうすっかり桜狩です。
そこに交野という場所があります。交野は天皇の狩場でして、一般の人は狩りをすることを禁じられてました。その交野の邸宅の桜がことのほか趣があり素晴らしいというので、皆さんで、そこで宴会となります。
まるで惟喬の親王がやってくるのを待っていたかのように満開の桜です。その桜の下の思い思いの場所に座し、中には鷹を腕に止まらせたままの方もいらっしゃいますし、桜の枝を折り、髪飾りにしていらっしゃる方もいますね。
それから、宴会というと、歌詠み合戦です。身分の上下もなく、みんなが思い思いに歌を詠みました。
その時詠んだぼっちゃんの歌は、あまりにも有名で、なんの説明もいらないかと思います。
『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』
僕のようなものにも、よくわかります。その心情。
もしこの世の中に桜がなかったら、春はのどかに過ごせるのになあ。
あ、もちろんそう詠みながらも、桜がなくなってほしいなんて、思ってるわけじゃない。それほどまでに美しくて、その桜があっという間に散ってしまうと思うと、心おだやかではいられないというわけですよね。
その場にいたどなたかが詠みました。
『散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき』
(散るからこそ桜は素晴らしいのではないか。この辛く儚い世の中で変わらずにいられるものなどありはしないのではないか)
すると、その場にいたみなさんがしんとなって、桜の木を見上げていらっしゃいました。
満開の桜を見ているのに、なんだか皆さんのお作りになる歌は、散ってしまうことばかり気にしているみたいで、僕もなんだかしみじみしてしまいます。
そんな思いに浸っていると、怖い顔をした「舎人其の二」さんが近づいてきました。
「酒が足りなくなりそうです。お前、お屋敷に戻って、酒を調達してきてはくれませんか」
ひえええ。なんですか今年は。だいたい足りるくらいは持ってきてるんですよ。
仕方なく舎人の内何人かは、酒を調達しに走ることになりました。ええ、ええ、僕は若いんだからと、だいたいこういう時は使い走りなんです。
そうして数名の舎人たちが必死で走り、酒を調達して河陽宮に戻ってみると、もうすでに惟喬の親王ご一行様は、宮を後にしているではありませんか!
その場に残っていた舎人が、行き先を教えてくれました。
行き先は「天の川」だそうです。
なんとも風流な名前の川のほとりで、また皆様方歌を詠みながらの宴会です。
「業平様!」
狩衣姿で、一応弓なんて手にして、川面を見つめていらっしゃるぼっちゃんを見つけました。
漆塗りの酒樽をお見せすると、ニコリと笑いかけてくださいます。
「親王、いかがですか?」
ぼっちゃんが、酒樽から親王にお酒をついで差し上げますと、親王もとても気分が良いご様子で、
「ただ歌を読むのにも、飽きたな。何か良い趣向はないか?」
と、ぼっちゃんにお聞きになります。
「そうですね、親王がお題をお決めになっては?」
「そうだな……」
親王はぐるりと周囲を見回しました。もうすでにあたりはひんやりとし始めてました。
「交野で狩りをして、天の川へと出る。これで歌を作って、酒をついで飲もう。業平、出来るか?」
「ええ、もちろんです。では私から……」
ぼっちゃんは親王に向かっていたずらっぽく笑いかけると、皆様の前に一歩踏み出しました。
『狩り暮らしたなばたつめに宿からむ天の河原にわれは来にけり』
(一日中狩りをして過ごしたけれど、今夜は織姫にでも宿を借りようじゃないか。気がついたら、天の河原に来てしまってるのだから)
ほうほう。この場所の地名が天の川ということで、七夕つ女、織姫に宿を借りようと歌ったわけですね。うまいとは思いますけど、歌の名手と言われる坊っちゃんにしてはありきたりかな? なんて思っていたら、舎人其の二さんが、感じ入ったという表情をしています。
それに、惟喬親王もぼっちゃんの歌を何度も口ずさんでらして、返歌をするのも忘れているご様子。
「ちょっと、今の歌、そんなに素晴らしかったです?」
と、僕が舎人其の二さんにそっと耳打ちをしたら、じとっと横目で睨まれました。そのうえ、深い溜め息まで!
「ちょちょ! 天の川で織姫って、普通じゃないです?」
「あれはおそらく、荊楚歳時記をふまえてつくった歌なのですよ」
「へ? けいそ……?」
「そう、唐の国の六朝時代の書物です。その中に確か地上の男が黄河の源流を探しているうちに牽牛と織姫に会うという話があったはずでございます」
「へええええええ」
ぼっちゃんは、和歌には秀でているけれど、凡庸で色好みで漢文学などについてはよくわかっていないなどと、陰口を叩かれているはずですけど……。
そんな僕の心の声が聞こえたかのように其の二さんが言いました。
「あれが、本来のぼっちゃんですよ。他所では本当のご自分というものを隠していらっしゃるのです」
「あ、それは僕も感じてます」
そう僕が言うと、舎人其の二さんは大きくうなずかれて、またぼっちゃんへと視線を戻されました。
結局惟喬の親王が歌を返さないでいるうちに、紀有常様がかわりに返歌をなされます。
『一年にひとたび来ます君待てば宿かす人もあらじとぞ思ふ』
(織姫は一年に一度おいでになる方を待っているのだから、君のことなんて泊めてはくれないさ)
その歌を聞いて、その場にいた皆さまがどっとお笑いになりました。
この二つの歌はおどけた雰囲気のものです。
業平様が「織姫に宿借りようぜ!」といったのに対し、有恒様の歌は「残念だね、君じゃあ泊めてもらえないよ!」と、冗談めかして応えたという感じのもの。
僕もあははと笑っていると、其の二さんが問いかけてきました。
「あなたまさか、一年に一度来るお方というのを、牽牛だと思ってはいないでしょうね?」
と言うのです、
「はい? 牽牛以外にいないでしょ? 織姫が一年に一度会うんですよ?」
はぁあぁぁぁ。
深いです。深すぎるため息が返ってきましたよ。コレ。
「よく考えてごらんなさい。今の時期に牽牛は来ませんよ。毎年この時期にここへいらっしゃるのはどなたですか」
「……惟喬の親王……?」
「そのとおりです。あの歌は、ふざけながらも惟喬の親王を称賛しているわけですよ」
僕は、ひえええ、となりました。
これほどレベルが高くなってくると、僕にはお手上げ。
それにしても。
僕は思わずニヤつく頬を引き締めて舎人其の二さんを盗み見しました。
この人、なんのかんの言いつつも、ぼっちゃんやそのご友人たちをお好きなんですよねえ。
うふふふー。
心のなかで笑っていたつもりが、どうやら表情にも出ていたようで、舎人其の二さんに殺されそうな冷たい瞳で睨まれてしまいました。
「あなたも、ぼっちゃんにあこがれていらっしゃるなら、そのくらいのことは学ばれてはいかがです?」
なんて、お説教付きでした。
伊勢物語第八十二段「渚の院」より