表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/14

狩の使

 そしてついに来てしまいました。在原業平さまが!狩の使(朝廷御用達の鳥や獣を狩るために派遣される使い)として! この伊勢に!

 おじょうさまったら、業平様のことを「年くっちゃってる」なんて言っていたくせに、ひと目見た途端に目がハートになってしまわれました。

 男の私たちですら、よろめいてしまいそうな男前です。確かに年はいっていますけど、大人の色気が増し、渋い色男といったご様子です。

 恋に憧れたまま斎宮になり、神に仕える身となったおじょうさまなんて、イチコロですよ。おじょうさまは口先では強気なことをおっしゃいますが、恋愛経験もありませんし、実はとっても(うぶ)なんです。

 もう、業平様べったり。

 朝になれば狩りの支度をして自らお見送り。帰ってくれば自分の部屋へと招き入れてお食事を共に。

 業平様LOVEがダダ漏れです。


「あ、これはやばいかもしれません……」

 業平様についていらした舎人一号くんが青い顔をして言いました。

「うちのぼっちゃん、自分が好きになった方だけでなく、自分のことを好きになってくれた女性のことも、放っておけない御方なんですよ」

「え? でもいくらなんでも斎宮に自分から誘いをかけたりしないですよね?」

 とお聞きすると、舎人一号くんは生ぬるい笑顔を私に向けました。その笑顔を見た私の背中がブルルッと寒くもないのに震えます。



 そして、二日目の晩に事件は起きてしまったのです。

 それは、月の朧な晩でした。

 何しろ業平様は正使でいらっしゃいますから、おじょうさまの閨のすぐそばにお部屋が用意されていました。皆が寝静まった頃を見計らい、なんと、おじょうさまのほうから、小さな童女を一人だけ引き連れて業平様のお部屋へ押しかけていってしまわれたのです。

 時間にして、子の一刻から丑の三刻までです。ええっと、皆様方の感覚ですと、夜中の十二時から二時までの間といったところでしょうか。

 微妙です! 微妙な時間です!

 お嬢様のお傍近くにお仕えする内侍(斎宮寮に努めている女官)も、たいそう慌てたようです。

 おじょうさまはというと、

「だって食事のときに、業平様の方から、二人きりでお会いしたいものです、って言ってきたんだもん」

 などと、口を尖らせています。

「おじょうさま! 相手はあの在原の業平様なんですよ! 女と見れば、二人きりで会いたいなんて言うのは、あの御方にとっては「こんばんは、いい月ですね」何て挨拶するくらいのことなんですから、いちいち本気になさらないでくださいまし!」

 と、特大の雷を落とされるおじょうさま。今回ばかりは誰ひとりとしておじょうさまに助け舟を出すものはいません。

 悩みに悩んだ内侍は、おじょうさまにこんな歌を送るように指示しました。


『あなたが来たのかしら。それとも私が行ったのかしら。はっきりと覚えていないのです。夢だったのか、現だったのか。寝ていたのか、目が覚めていたのかさえも……』

(君や来しわれや行きけむおもほえず夢かうつつか寝てか覚めてか)


 まさかの、夢オチ狙いです。

 この歌をもらった業平様も

「ちょっと待て、斎宮の方から押しかけてきて、そりゃないんじゃないですか?」

 って、気分だったと思いますよ。そして、こんな歌が返ってきました。


『目の前が真っ暗になるような心の闇に私も迷っています。夢だったのか現だったのかは、今宵あなたが決めてください』

(かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵定めよ)


「どうするんですか~!」

 涙目の舎人一号くんがやってきました。

「斎宮様からの歌をもらったうちのぼっちゃん、なんか変なスイッチ入っちゃいましたよ! 夢オチにされたんじゃプライドが許さないんじゃないですかね?」

「こっちだって困ってるんですよー。まるであの歌、誘ってるじゃないですかぁ」

 なんてことでしょう! 夢オチ作戦は、かえってお二人の闘志を燃え上がらせてしまったようです。

 おじょうさまのお傍近くに仕える者たちは無い知恵を絞りました。

 そして、斎宮寮の長官を務める伊勢の国守様が「狩の使がいらっしゃっているのでは、もてなさなくては!」という名目で、一晩中酒宴を催すという手段に打って出たのです。

「よいか! あの二人を決して二人きりにするでない!」

 皆の心が一つになりました。

 朝まで続く飲めや歌えの大騒ぎ。

 夜明けも近くなった頃、斎宮様がすいっと立ち上がり、業平様に盃を差し出しました。


『(江は徒歩で渡れば裾が濡れるというのに)徒歩の人が渡っても濡れないほどの浅いご縁でした』

(かち人の渡れど濡れぬえにしあれば)


 盃には、上の句のみが書かれていました。縁と江を、かけてるわけですね。おじょうさまなかなかやります。

 業平様はそこへ松明の墨でさらさらと下の句を付けてお返しになりました。さすが歌の名手と名高い在原業平様です。


『それほどまでにたやすい江であるのなら、もう一度、逢坂の関を越えて逢おうではありませんか』

(また逢坂の関は越えなむ)


 というものでした。逢うという言葉には共寝をするという意味もあるのですよ。これは、お二人の間にあったことを、暗に示している句でもあったのではないかと、後になると思うのです。


 次の日、業平様は尾張の国(東の方)へと、旅立って行かれました。


 お二人の物語は、これでおしまいです。

 たった一晩。それもたった二時間の逢瀬。

 お二人の間に何があったのか。それとも何もなかったのか……。

 それは誰にもわかりません。

 けれども、後に斎宮恬子様はお子をお産みになり、その子は伊勢権守で斎宮頭だった高階峯緒の子、茂範の養子として育てられたという噂が後世にも伝えられました。そのことが、後の天皇の後継争いにも影を落とすことになるのですが、それはまた別のお話です。


伊勢物語第六十九段「狩の使」より後編

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=698176154&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ