第九十四話 最強のチームを目指して②
「姉さんに好きな人ができた?」
半信半疑な表情で、当夜は弟の優希に訊いた。
高校に入学したばかりのゴールデンウィークの休日、当夜は車椅子に乗った優希を連れ添って、近くのファーストフードで話をしていた。
ファーストフードで話をするのもどうかと考えたが、幸い、店内は混みあっており、当夜達の話に耳を傾ける者はいなかった。
「本当なのか?」
「うん」
優希は花菜に好きな人ができたことを打ち明けた後、当夜に向かって真摯な瞳で伝えた。
「何でも、同じクラスの人らしいよ」
優希にそう告げられても、当夜はあまりの滑稽無稽さに正気を疑いたくなった。
頭を悩ませ、当夜はテーブルに肘をついて頼んでいたフロートドリンクに口をつける。
「いやー、マジであり得ないだろう。姉さんが誰かを好きになるなんて、天変地異の前触れか?」
「…‥…‥当夜」
「ーーっ?!」
唐突にテーブルの向こうから聞こえてきた声に、当夜はその場で飛び上がりそうになるほど驚いた。
次いで妙な寒さに震え、当夜達はゆっくりと当夜達のテーブルまで歩いてきた人物を戦々恐々と見守る。
そこに立っていたのは、寒々しい笑みを浮かべた花菜だった。
「姉さん。実はーー」
「…‥…‥全部、聞いていた。これ以上ないくらいに」
先んじて言い訳を封殺するとんでもない姉ーー花菜の言葉に、当夜の背中を嫌な汗が流れていく。
「姉さん、悪い」
「あの、姉さん。兄さんに話してごめんなさい」
当夜に相次いで、優希も粛々と頭を下げる。
「すごく傷ついた。お詫びが必要だと思う」
「…‥…‥お、お詫び?」
花菜からずばり指摘されて、当夜は腫れ物に触るような慎重な口調で慌ててそう尋ねる。
「輝明ともっと仲良くなりたい」
「協力しろ…‥…‥と?」
答えないままじっと見つめてくる花菜に、当夜は厄介事の気配を感じ取った。
「いやー、俺達、その輝明って奴と会ったことないからーー」
「今日、ここで待ち合わせしているから」
「…‥…‥な、なるほどな。だから、ここに来たんだな」
敗北感にまみれた当夜の言葉に、花菜はいつものように淡々と頷いた。
「輝明、待っていた」
「ああ」
当夜達の協力を得た花菜は数分後、待ち望んでいた相手である輝明がやってくると、まるで照れているかのように俯いた。
「あの人が、姉さんの好きな人なんだね」
優希がぽつりとつぶやいた言葉は、確認するような響きを帯びていた。
花菜が、輝明ともっと仲良くなるように協力するーー。
思わぬ厄介事を押し付けられた当夜は眉を寄せて言う。
「なんていうか、無愛想同士、お似合いじゃないのか。というか、姉さんの口から『待っていた』の言葉が出てくるとは思わなかったな」
片手で顔を押さえていた当夜は、呆気に取られている優希の視線に気づくと朗らかにこう言った。
「とにかく優希。これ以上、姉さんを怒らせないためにも、このまま二人を見守り続けるぞ」
「えっ?見守るだけ?」
あっさりと口にされた言葉に、優希は目を丸くして驚きの表情を浮かべる。
「ああ。少なくとも、俺は今まで恋愛経験とかはないからな」
「うーん。僕もないけれど…‥…‥でも、見守るだけでいいのかな?」
吹っ切れたような表情を浮かべる当夜に、優希は呆れたようにため息をついた。
その硬い声に微妙に拗ねたような色が混じっている気がして、当夜は思わず苦笑してしまう。
「まあ、俺達が二人のことを気にしても仕方ないだろう。流れに任せれば、きっと何とかなるはずだ」
もどかしい会話を繰り広げる花菜達を見つめた当夜は、自身が導き出した一つの結論に目を細める。
当夜達が見守っている間、花菜はノートを出して、高校の授業内容について相談したいことなどを輝明に尋ねていた。
そんな中、当夜は殊更、深刻そうな表情でこう言った。
「なあ、優希。俺達のチームの名前なんだけど、『クライン・ラビリンス』にしようかなと思っている。ただ、問題はチームメンバーが足りないことなんだよな。優希、おまえはどうだ?」
「うーん。僕は前に言ったとおり、チームメンバーより、兄さん達のサポートに回りたい」
当夜の誘いに、優希はわずかに戸惑いながらも答える。
「そうかー。何でだろうな。『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で一位のプレイヤーである布施尚之も、二位のプレイヤーである阿南輝明も、そして、三位のプレイヤーである黒峯玄も、俺達の誘いを断るなんて絶対におかしいよな」
「…‥…‥当たり前だと思う」
自信に満ち溢れて断言する当夜の姿に、優希は呆気に取られたように肩を落とした。
ランキング上位ばかりを誘っても、いい返事は返ってこないだろう。
それに、尚之と輝明は個人戦のみ出場しており、玄に関しては既に自身のチームを結成している。
「本当に、変なの。ーーって、あれ?」
そこである事に気づいた優希は車椅子を動かして店内を見渡すと、不思議そうに首を傾げた。
「優希、どうかしたのか?」
「兄さん、今、『阿南輝明』さんって言わなかった?」
「ああ、言ったけど?」
優希の疑問に、当夜は戸惑いながらも答える。
「阿南輝明さんって確か、姉さんの好きな人の名前だよ」
「本当か!」
優希の言葉に、当夜は顎に手を当てると思案するように輝明へと視線を向けた。
阿南輝明ーー。
モーションランキングシステム内で二位のプレイヤーで、一位のプレイヤーである布施尚之も一目置いているほどの実力の持ち主。
その理由を慎重に見定めて、当夜はあえて軽く言う。
「よし、決めた。あいつ、俺達のチームに入れるぞ」
「兄さん達のチームに?」
当夜がざっくりと付け加えるように言うと、優希はきょとんとした顔で目を瞬かせる。
「姉さん、ちょっといいか?」
「当夜?」
早速、立ち上がると、優希が乗った車椅子を押して二人がいるテーブルまで赴いた当夜は輝明を油断なく見つめた。
緊迫した空気は一瞬。
当夜は携帯を取り出すと、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステムをネット上で検索してみた。そして、携帯に表示されたランキングリストと補足説明を確認する。
当夜はその後、近くのゲームセンターを検索して、元プロゲーマーのチームがイベントに参加しているという情報を得た。
「なあ、姉さん。今からゲームセンターに行かないか?」
「ゲームセンター?」
あまりに唐突すぎる当夜からの誘いに驚いているのか、優希は明らかに戸惑った顔をしていた。
当夜はごまかすように携帯をしまうと、さらに言葉を続ける。
「今、ゲームセンターに、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝候補と言われているチームが来ているみたいなんだ。みんなで見に行かないか?」
「…‥…‥優勝候補のチーム」
付け加えられた言葉に込められた感情に、さしもの花菜も微かに目を見開いた。
しかし、肝心の輝明はほとんど表情を変えずに首を横に振る。
「悪いが、僕は個人戦以外には興味はない」
「ーーっ」
素っ気なく返された言葉に、当夜の顔が強張った。
どうすれば、輝明の心を留めておけるのか。
当夜が考えて思いついたのは、平凡極まりないものだった。
「なあ、優希。そういえば、優勝候補のチームには、あの布施尚之さんを破った元プロゲーマーの人もいるんだったよな!」
「う、うん」
「…‥…‥当夜」
優希に必死としか言えない眼差しを向ける当夜を見て、花菜はすぐに当夜の嘘を見抜く。
今まで、尚之に勝ったことがある相手は話で聞く限り数えるほどしかいない。
輝明、そしてプロゲーマー達。
だが、尚之に勝つほどの実力者を、契約したスポンサーのゲーム会社が容易に手放すわけがなかった。
「いいだろう」
挑発的な言葉なのに、少しも笑っていない。
当夜の隠しようのない余裕のなさに、輝明は短く息を吐いた。
「布施尚之を倒したことがある元プロゲーマーがいるチームか。どのくらいの実力者なのか、確かめてやる」
そのとらえどころのない意味深な言葉を聞いて、当夜は身構えるように拳を震わせた。
まもなく開催されるオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会のチーム戦に出場するためにーー。
輝明を自分達のチーム、『クライン・ラビリンス』に入れる。
そのチャンスをものにするためにーー。




