第九話 モノクロの世界が動き始める
あかりが入院している総合病院に新しくできたコンビニで、『ラ・ピュセル』のマスコットキャラ、ラビラビのラバーストラップをようやく手に入れることができた春斗達は、あかりの病室に戻るとベット脇の椅子に座って一息ついていた。
「やっと手に入ったな」
「はい。春斗さん、あかりさん、ありがとうございます」
春斗が何気ない口調でそう告げると、優香は嬉しそうに膝元に置いているラビラビのラバーストラップが入った袋をぎゅっと抱きしめる。
「それにしても、あかりと宮迫さんが入れ替わる間隔に一定のサイクルがあったんだな。俺はてっきり、ランダムなのかと思っていた」
「そうですね。私も、最初はそう思っていました」
問いかけるような声でそう言った春斗に、優香は軽く頷いてみせる。
「でも、前にあかりさんのお見舞いに行った際に、あかりさんから宮迫さんに入れ替わる時間帯が、宮迫さんと初めて出会った時と全く同じ日があったんです」
「そうなのか?」
「最初は気のせいだと思っていたのですが、次の週も全く同じ時間帯でした。春斗さんのお父様にそのことをお伝えしたら、春休み前も同じ時間帯のサイクルで繰り返されていたことが分かったんです」
「…‥…‥はあ。父さん、俺にも、ちゃんと説明してくれたらいいのにな」
あっさりと告げられた優香の言葉に対して、春斗は不満そうにむっと眉をひそめる。
その様子を見て、優香は少し困ったように頬に手を当ててため息をつくと、朗らかにこう言った。
「もう少し、確証がほしかったのかもしれません。まだ、はっきりとは断定できませんから。でも、これでようやく大会に出られますね」
「ああ、そうだな」
髪を撫でながらとりなすように言う優香に、春斗は穏やかな表情で胸を撫で下ろした。
「今度、ゲームセンターで開催される非公式の大会が、俺達のチーム、『ラ・ピュセル』のデビュー戦だ」
「うん」
「はい」
きっぱりと告げられた春斗の言葉に、あかりと優香は嬉しそうに頷いてみせる。
すると、春斗はそんな二人の気持ちを汲み取ったのか、頬を撫でながら照れくさそうにぽつりとつぶやいた。
「ついに、俺達のチームのデビュー戦なんだな」
「はい。私、春斗さん、あかりさん、そして宮迫さんのチーム、『ラ・ピュセル』のデビュー戦です」
照れくさそうにそう付け足した春斗に対して、優香は胸のつかえが取れたようにとつとつと語る。
そんな中、あかりはベットのシーツの上に置いた手を握りしめると、うずうずとした顔で春斗に声をかけた。
「ねえ、お兄ちゃん。昨日の私バージョンの宮迫さんはどんな感じだった?」
「い、いや、どんな感じって言われても」
わくわくと誇らしげにそう告げられた意味深なあかりの言葉に、春斗の反応はワンテンポどころか、かなり遅れた。
得心したように頷きながら、あかりは言った。
「あはっ、昨日の対戦ではお兄ちゃんに勝ち越して、私がーー宮迫さんが勝ったんだよ」
勝ち越したという単語を耳にした瞬間、春斗は戸惑っていた表情を収め、両拳を突き出すと激昂したように叫んだ。
「分かっているよ!」
「私、これでランキング入りを果たしたら、お兄ちゃんと優香さんと一緒に、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第三回公式トーナメント大会のチーム戦に出場できるね。それに私と宮迫さんが入れ替わる間隔も分かったから、公式の大会に出ても何の問題もないかもしれない」
そう告げるあかりの瞳はどこまでも澄んでおり、真剣な色を宿していた。
そのことが、春斗を安堵させる。
あかりは生きている。
あかりは今、確かにこうして生きているんだ。
今はまだ一時帰宅だけだけど、いつか再び、家族そろって暮らせる日が来るかもしれない。
「ああ、そうだな」
内心の喜びを隠しつつ、春斗は微かに笑みを浮かべた。
その仲睦ましげな様子を、あかりの病室に入ってくるなり、絶え間なく眺めていた春斗の父親は神妙な表情のまま、春斗達に声をかけてきた。
「…‥…‥春斗、優香。話しておきたいことがある」
「ああ」
「はい」
春斗の父親が呼びかけると、席を立った春斗と優香は慌てて鞄を掴み、春斗の父親のもとへと駆けていく。
あかりの病室を出て、春斗の父親が向かった先は脳神経外科の個室だった。
脳神経外科の医師である春斗の父親と今、外来を受け付けている、もう一人の脳神経外科の医師以外は用事がない限り、まず近づくことはない。
春斗の父親はそれでも人影がないか確認してから、春斗達に視線を戻す。
「春斗、優香。これから話すことは、あかりや他の人達には絶対に話さないでほしい」
「あ、あかりにも?」
「ああ」
春斗の言葉に、春斗の父親は苦しそうに顔を歪めた。
「実は先程、あかりに会わせてほしいと訪ねてきた人物がいる」
そう前置きして、春斗の父親から語られたのは、春斗達の想像を絶する内容だった。
春斗の父親に、あかりに会わせてほしいと訪ねてきた人物ーー、それはあの黒峯玄の父親だった。
俺はーー俺達は知らなかったのだ。
数日前に事故で、あの黒峯玄の妹、黒峯麻白が亡くなっていたことをーー。
悲しみのこもった涙が頬に流れる中、春斗の父親は躊躇うようにこう続けた。
「黒峯さんは、あかりに会わせてほしいと言ってきた。あかりに会えば、麻白に会える、という意味の分からないことを告げてな。今回は一旦、帰ってもらったが、恐らく、また、訪ねてくるだろう」
「ーーなっ…‥…‥!」
「…‥…‥麻白さんに会える?それって、どういう意味なのでしょうか?」
春斗達は、春斗の父親からその事実を聞かされて驚愕する。
震える春斗と優香の言葉に、両拳をぎゅっと握りしめた春斗の父親は何も言えずに俯いてしまう。
数日前に、あの黒峯玄の妹、黒峯麻白が既に亡くなっていた。
その事実が春斗達の心に重くのしかかったまま、ゲームセンターで開催される、 オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の非公式のトーナメント大会当日を向かえたのだった。
オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の大会は、個人戦とチーム戦、二つの形式に分類されていた。
春斗がよく出場している個人戦とは違い、チーム戦は必然的にチームを組んでくれるメンバーが必要になってくる。
また、個人戦のみしか出場していない布施尚之のように、チーム戦のみにしか出場していない、黒峯玄のような『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で上位を占めるプレイヤーも数多く存在していた。
春休みが終わり、新学期に入って間もない頃、ゲームセンターで開催されるオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』のチーム戦に出場することになった春斗達は、そこでオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会の個人戦、事実上準優勝者である宮迫琴音の決定的な実力を目の当たりにすることになった。
「決まった!」
実況の声が、対戦チームを五分とかからず倒しきった春斗達に響き渡る。
「Aブロック勝者は『ラ・ピュセル』!今回が初出場にも関わらず、まさに怒濤の快進撃、決勝進出決定だ!」
「本当にすごいな」
「宮迫さんバージョンのあかりさんがいるだけで、ここまで違うのですね」
実況がそう告げると同時に、春斗と優香の二人が、それぞれ同時に別の言葉を発する。
「ありがとうな」
春斗達の何気ない称賛の言葉に、車椅子に乗ったあかりが嬉しそうに笑ってみせる。
そして、あかりはゲームセンターのモニター画面に表示されている優香のキャラを見ると、不思議そうに小首を傾げた。
「そういえば、天羽が使用しているキャラも、あかりと同じように固定キャラなんだな」
「はい、この固定キャラは使いやすくて便利なんです」
「便利?」
優香の答えに、あかりは目を丸くし、驚きの表情を浮かべた。
戸惑うあかりをよそに、優香は先を続ける。
「何よりも、『ラ・ピュセル』のマスコットキャラ、ラビラビさんと同じようなことができるのが魅力的です」
「確かに、そんなことができたな」
ふと、その固定キャラの固有スキルを思い出し、屈託のない笑顔でやる気を全身にみなぎらせたあかりを見て、春斗は胸に滲みるように安堵の表情を浮かべる。
固有スキル。
玄のキャラの烈風斬の固有スキルのように、キャラ独自の固有スキルというものがオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』には存在する。
しかし、固有スキルは一度きりの技であり、使うタイミングをはかる必要があった。
その時、あかりが思い出したというようにぽろりとこう言った。
「春斗の固有スキルも、シンプルだけど使い勝手が良さそうだな」
「あ、ありがとう」
あかりのその問いかけに、春斗は少し照れくさそうにこう答える。
「でも、俺の固有スキルは宮迫さんには通じなかったけどな」
「春斗も、俺のーーあかりのキャラの固有スキルは通じなかっただろう」
春斗が態度で負けを認めてくると、あかりは当然というばかりにきっぱりと告げた。
彼女らしい反応に、春斗はふっと息を抜くような笑みを浮かべるとさらに言葉を続ける。
「次は負けない」
「いや、次も俺が勝ってみせる」
春斗とあかりは互いに向かい合うと、不敵な表情を浮かべながら、しばし睨み合った。
「ーーそれにしても」
横に流れかけた手綱をとって、優香は春斗にだけ聞こえる声で静かに告げる。
「黒峯玄さんは、宮迫さんと同じように複雑な事情がありそうですね」
ゲームセンターのステージまでたどり着くと、春斗は数日前に父親から語られた内容を思い返し、深刻そうに答えた。
「ああ。黒峯玄の父親が発したというあの言葉、それにネット上で流れている、あの噂、どういう意味なんだーー」
「さあ、お待たせしました!ただいまから、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』のチーム戦決勝を開始します!」
何かを告げようとした春斗の言葉をかき消すように、突如、実況の声が春斗達の耳に響き渡る。
実況の決勝戦開幕の言葉に、観客達はヒートアップし、万雷の歓声が巻き起こった。
「まずは、初出場ながら、怒濤の快進撃を続ける『ラ・ピュセル』!そして対するのは、今大会注目度ナンバーワン、『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で上位を占めるプレイヤーの一人、あの今生りこを擁すチーム『ゼノグラシア』…‥…‥って、おや?また、これはずいぶん、メンバーが多いな?準決勝までは確か、四人だったような」
途中から困惑に変わった実況の言葉に、観客達も疑問を浮かべる。
その際、ゲームセンターのスタッフから手渡されたエントリー用紙に書かれた内容を見て、こっそりとため息をつくと、実況は吹っ切れたように言葉を続けた。
「…‥…‥おっと、失礼!『ゼノグラシア』は本来、参加登録していた、最大登録人数である六人で、決勝戦出場とのことだ!」
「えっー!そんなのありかよ?」
「いや、りこちゃん達なら、無問題!」
場をとりなす実況の声と紛糾する観客達の甲高い声を背景に、春斗はまっすぐ前を見据えた。
決勝の舞台で戦うプレイヤー。
そのうちの一人の姿を見た瞬間、春斗は息を呑んだ。
今生りこかーー。
最近、話題になっている『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で上位を占めるプレイヤーの一人。
恐らく、かなりの手練れなのだろう。
不合理と不調和に苛まれた混乱の極致の中で、まじまじとりこ達を見つめていた春斗に、りこは人懐っこそうな笑みを浮かべて言った。
「ねえねえ、前の大会で黒峯玄さんと話していたのって、あなただよね?」
「あ…‥…‥ああ」
不自然に声をはねあげた春斗に、りこはこちらに近づいてくると、春斗達だけ聞こえる声で囁いた。
「黒峯玄さんの知り合いなの?」
「いや、前にオンライン対戦をした時に、黒峯玄から大会を見に来てほしいって誘われたんだ」
春斗のつぶやきに、りこは何のてらいもなくこう言った。
「ふうん、そうなんだ。君って、優香だけじゃなくて、黒峯玄さんにも一目置かれているんだね」
何の前触れもなく告げられた言葉の意味に、春斗はーーそしてあかりは驚愕した。
「…‥…‥優香?」
「そうそう」
春斗がかろうじてそう聞くと、りこは吹っ切れた言葉とともに不敵な笑みを浮かべた。
どういうことだ?
今生りこは、優香の知り合いなのか?
混乱する春斗とは裏腹に、混乱と動揺を何とか収めたあかりは、流れるように不敵な笑みを浮かべているりこへと視線を向ける。
片手で顔を押さえていたりこは、あかりの視線に気づくと軽く肩をすくめてこう言った。
「りこは、優香の中学校時代の友人であり、そして、かってのチームメイトなんだよね」
衝撃的な言葉は、その場の空気ごとすべてをさらっていった。