第八十七話 未来へのレクイエム ☆
流れ出る血は止まらない。
その日、カケルの父親が運転していた車に轢かれて、麻白は路上に倒れていた。
雨に打たれ、灰色に濡れた体はついに動くことを諦める。
救急車が来て、騒然とする路上。
困惑するカケルの両親。
泣き叫ぶ玄と玄の父親。
一転して混沌と化す現実に、カケルは呆然と立ち尽くす。
その日は、久しぶりに家族全員で外食をした日だった。
しかし、喜びは悲しみに包まれ、楽しかったはずの家族の団欒は深い絶望感に襲われていた。
麻白が死んだ日、カケルのありふれた日常は呆気なく終わりを迎えた。
春斗達が休憩スペースで話し合っていた頃、春斗達が知らないところで、玄達、『ラグナロック』と輝明達、『クライン・ラビリンス』は遭遇していた。
輝明は玄達を視界に納めると、ため息とともにこう切り出してきた。
「黒峯玄、いや、『ラグナロック』。二度も、僕達のチームに勝ったことを後悔させてやる」
「出来るのならな」
輝明の挑戦的な言葉に応えるように、玄は微かに笑みを浮かべる。
一触即発な状況の中、カケルは真剣な眼差しで告げた。
「黒峯玄さん、黒峯麻白さん!」
「ふわわっ!?」
玄の後ろに隠れて、おろおろとしている麻白の姿を目の当たりにして、カケルは知らずそうつぶやいていた。
「雅山さん達から事情は聞いた。今は、黒峯麻白さんに会わない方がいいのかもしれない。そして、謝って許されることではないのは分かっている。だけど、どうしても伝えたいことがあるんだ」
「許されるわけないだろう!」
カケルの深謝に即答した大輝は、そのまま不満そうに淡々と続ける。
「麻白は一度、死んだんだからな!」
「死んだ…‥…‥?」
花菜が不思議そうに小首を傾げると、大輝は何故か、ごまかすように早口でまくし立てた。
「と、とにかく、もう二度、俺達の前に現れるな!」
「くっーー」
大輝の不服そうな言葉に、カケルは戸惑うように息を呑んだ。
「あの、カケルくん。あたしのせいで、カケルくんの家族が大変なことになってしまってごめんなさい」
玄の後ろに隠れていた麻白は、おずおずと顔を出すとぺこりと謝罪する。
「ーーっ」
麻白の謝罪を聞いた瞬間、思わず心臓が跳ねるのをカケルは感じた。知らず知らずのうちに、拳を強く握りしめてしまう。
そんなカケルの動揺など慮らず、麻白は淡々と語り出した。
「あたし、全部、思い出したから。だから、心配しなくても大丈夫だよ」
「黒峯麻白さん…‥…‥」
麻白の必死の呼びかけに、カケルは今にも溢れそうな涙を堪える。
そんな麻白の様子を見かねた玄と大輝は少し困ったように、麻白の顔を覗き込んで言った。
「麻白…‥…‥」
「麻白、無理するなよ」
「うん。玄、大輝、ありがとう」
玄と大輝の言葉に、麻白は少し不安そうにしながらも身体を縮ませてこくりと頷く。
「でも、あたし、カケルくんも、カケルくんの父さんも恨んでいないよ。むしろ、あたしのせいで迷惑をかけてしまってごめんなさい」
意外な謝罪に、カケルは返す言葉を失い、ただただ麻白を見つめる。
「ほら、カケル。言いたいことがあるんだろう?」
当夜に促されて、呆然としていたカケルは頷くと視線を床に落としながら謝った。
「この度は、俺の父さんの不注意で、大変ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません」
玄は目を見開いて、そう告げてきたカケルを見つめる。
カケルは唇を強く噛みしめると、立て続けに言葉を連ねた。
「謝って許されることではないのは分かっています。だけど、言わせて下さい。この度は本当に申し訳ありませんでした」
そう告げるカケルの瞳はどこまでも澄んでおり、真剣な色を宿していた。
胸に染みる静寂の中、玄はそっとカケルに語りかける。
「三崎カケル、麻白のことを気遣ってくれたのにすまない。俺はーー俺達は一生、君の父親を許せそうもない」
カケルは顔を伏せたまま、何も言わなかった。
それでも、想いがそのまま形になるように、とめどなく言葉が、玄の心に溢れてくる。
「だが、麻白は、君の父親のことを恨んでいない。そして、麻白のことを気にかけてくれてありがとう」
玄の感謝の言葉に、大輝は心底困惑したように叫んだ。
「おい、そこ、麻白に甘すぎだろう。あっさり、受け入れるなよ」
「大輝が冷たすぎ」
大輝に指摘されて、麻白は振り返ると不満そうに頬を膨らませてみせる。
「麻白、俺は冷たくないぞ。ただ、麻白のことを心配しているだけだ」
麻白のふて腐れたような表情を受けて、大輝は不服そうに目を細めてから両拳をぎゅっと握りしめた。
そこで、輝明が核心に迫る疑問を口にする。
「一度、死んだとはなんだ?」
「あっ、あれは言葉のあやで…‥…‥」
輝明が促すと、大輝は途端、苦しそうに顔を歪めた。
だが、大輝が気まずそうにため息を吐いても、輝明は気にすることもなく思ったことを口にする。
「何か、僕達には言えない事情があるのか?」
「ぐっ…‥…‥」
どう言ったものかと大輝が悩んでいると、玄は麻白を見遣り、こう続けた。
「…‥…‥父さんから口止めされていることだが、おまえ達にも本当のことを話しておこうと思う」
「本当のこと?」
輝明は顎に手を当てて、玄の言葉を反芻する。
あえて意味を図りかねて、輝明が玄を見ると、玄はなし崩し的に言葉を続けた。
「麻白は一度、死んでいる。そして、生き返った。それだけだ」
「「「「ーーっ!?」」」」
確信を持ってその結末を受け入れている玄の静かな声が、受け入れがたい事実を突きつけてくる。
そこでようやく、輝明達は麻白が一度、死んだという現実を目の当たりにしたのかもしれない。
「詳しい事情は話せないけれど、玄が言ったとおり、あたしは一度、死んで、生き返ったんだよ」
麻白が力なく、けれどよどみなく言葉を紡ぎ始める。
「一度、死んでしまったことは辛いけれど、それ以上にあかり達、あたしのサポート役のたっくん達、そして、カケルくん達に会えたことが嬉しいの」
それはまるで、祈りを捧げるような想いだった。
麻白のその言葉は、今までのどの言葉よりもカケルの心に突き刺さった。
カケルの表情が硬く強ばったことに気づいた麻白は、少し困ったようにはにかんでみせる。
「だから、カケルくんも、カケルくんの父さんと母さんも、これ以外、苦しまないで」
泣き出しそうに歪んだカケルの表情を見て、麻白は言葉を探しながら続ける。
「あたしは生きている。ちゃんと生きているから」
「ーーーーーーーっ!」
その麻白の言葉を聞いた瞬間に、カケルの心の中で何かが決壊する。
カケル達以外、誰もいない非常用通路で、カケルは荒れ回る気持ちのままに泣き叫んだ。
拳を握りしめて、地面に突っ伏して、カケルはいつまでもいつまでも慟哭を響かせる。
「カケル…‥…‥」
「カケル、良かったな」
そんなカケルを励ますように、輝明と当夜はカケルの肩をポンと叩いた。
その後ろで、ちょこんとカケルの服の裾を摘むようにした花菜が物言いたげな表情を浮かべている。
そんな中、大輝はそっぽを向くと、軽く息を吐いて言う。
「俺は、絶対に許さないからな」
「大輝らしいな」
「ふわわっ、カケルくん!」
玄はため息を吐きながらも、カケルのことを心配して慌てふためく麻白の頭を優しく撫でる。
この残酷な世界で、大切な人を奪われた世界で、ありふれた日常を奪われた世界でーー。
彼らの長い長い悪夢は、ようやく終わりを告げたのだった。




