第七十話 遠いパートナーに永遠を感じた②
「…‥…‥あかり、優香。さすがに、これはやばいよな」
「…‥…‥うん」
「はい」
玄達の事情を話すために、あかりと優香と一緒にカケルの家に招かねた春斗は自分でもわかるほど絶望的な顔を浮かべていた。
その理由は、至極単純なことだった。
案内されたカケルの部屋で、『クライン・ラビリンス』のチームリーダーである輝明が、当夜と花菜とともに会話しているのが春斗の目に入ったからだ。
「あっ、その。輝明、当夜、花菜、来ていたんだな」
必死に言い繕うカケルを見て、輝明は呆気に取られたように軽く息を吐いて言う。
「何だ、カケル。僕達がいてはまずいのか?」
「輝明。かなり、ダメージ、受けた」
「うるさい!」
苛立ちの混じった輝明の声にも、花菜は淡々と表情一つ変えずに言う。
そこで、花菜は小首を傾げると、ふっと春斗達に視線を向けた。
「今は無性に、カケルとともに雅山春斗達が来たのが気になる気分」
「確かにな」
無表情の中に熱い感情を忍ばせた花菜に、当夜は率直に言う。
「雅山春斗達と何かあったのか?」
「実は、黒峯麻白さんのことで、俺に伝えたいことがあるらしいんだ」
輝明からずばり指摘されて、カケルは腫れ物に触るような慎重な口調で慌ててそう答える。
「黒峯麻白。黒峯玄の妹か」
「…‥…‥黒峯麻白」
不服そうな輝明をよそに、花菜はカケルの言葉に少し興味をひかれたらしかった。
「カケルに伝えたいこととはなんだ?」
「あっ、その」
輝明が促すと、春斗は苦しそうに顔を歪めた。
だが、春斗が気まずそうにため息を吐いても、輝明は気にすることもなく思ったことを口にする。
「何か、僕達には言えない事情があるのか?」
「…‥…‥それは」
どう言ったものかと春斗が悩んでいると、カケルは春斗達を見遣り、こう続けた。
「とにかく輝明達も、雅山春斗さん達もゆっくりしていてくれよ。今、母さんがパンケーキを焼いてくれているはずだから」
「ーーあ、あかりはパンケーキ、好きだよな」
「う、うん」
「カケルさんのお母様のパンケーキ、気になります」
カケルが誤魔化すように必死に言い繕うのを見て、春斗とあかり、そして、優香は追随するようにこくりと首を縦に振った。
「なあ、輝明。カケルの母さんのパンケーキは、まじで美味しいんだよな」
「ああ、確かにな」
当夜の即座の切り返しに、輝明は仕方なさげにーーだが、確かに笑みを浮かべてみせる。
春斗達が他愛のない会話をしていると、不意に、カケルの部屋のドアが開いた。
「カケル、ちょっといい?」
「ああ」
部屋に入ってきたカケルの母親から言葉を投げかけられて、カケルは春斗達からカケルの母親へと視線を向ける。
エプロンを締め直すと、カケルの母親は穏やかな表情で春斗達に声をかけてきた。
「みなさん、ゆっくりしていって下さいね」
カケルの母親はそう言うと、テーブルの上に、いろいろな種類のパンケーキを置いていった。
イチゴのムースのパンケーキ、ブルーベリーのパンケーキ、生チョコとバナナのパンケーキ。
床には、長方形のおぼんの上に、人数分のポットとティーカップが置かれてある。
「ふかふか、ふわふわ」
花菜はナイフとフォークで、パンケーキを切り分ける。
そして、切り分けた一片を口に運んだ。
「美味しい」
花菜は目を細め、うっすらと、本当にわずかに頬を染める。
「お兄ちゃん、優香さん、すごく美味しいよ」
「姉さんの美味しいは分かりづらいけれど、雅山あかりの美味しいは分かりやすいよな。『ふかふか』、『ふわふわ』ってなんだよ」
目を輝かせて至福の表情で切り分けられたパンケーキを頬張るあかりをよそに、当夜は当然のことのように頷いてみせた。
その瞬間、花菜は目をすぼめて、何かを探り当てようとするかのように当夜に視線を向ける。
「当夜」
「な、何でもない」
寒々しい笑みを浮かべた花菜に、低姿勢になった当夜がこの世の終わりを目の当たりにしたかのように顔面を蒼白にする。
だが、そんな緊迫した空気などどこ吹く風で、パンケーキを頬張るあかりに、春斗は思わず顔をゆるめていつものように優しく頭を撫でた。
「あかり、良かったな」
「うん」
てきぱきと手を動かしながら、周囲に光を撒き散らすような笑みを浮かべるあかりを、春斗は眩しそうに見つめる。
そんな春斗の隣では、優香が目を輝かせて、お目当てのパンケーキをせっせと解体していた。
「…‥…‥はあっ」
春斗はついつい、パンケーキに見入りしながらも、これからのことを思い悩み始める。
これから、三崎カケルさん達に、今は麻白に会わせられないということを伝えなくてはならない。
そして、あかりが病気の影響で時々、性格が変わったりする上に、その時の記憶は維持されないことをもう一度、三崎カケルさん達に話した方がいいよな。
「はあ…‥…‥。やっぱり、いろいろと問題が山積みだな」
パンケーキを食べ終えて、ティーカップを口に運ぶと、春斗は額に手を当てて困ったように肩をすくめてみせる。
春斗と同じようにティーカップを口に運んで喉を湿すと、輝明はため息とともに切り出した。
「で、カケルに伝えたいこととはなんだ?」
輝明の重ねての問いかけに、春斗は観念したようにため息を吐いた。
「麻白のことだ」
一旦、言葉を途切ると、春斗は躊躇うようにカケルに視線を向ける。
「前に、三崎カケルさんが『クライン・ラビリンス』に加入したことを、玄達に伝えたんだ。だけど、玄達は、三崎カケルさんのことは、麻白には絶対に言わないでほしいと俺達に頼んできた」
「ーーっ」
春斗の言葉を聞いた瞬間、思わず心臓が跳ねるのをカケルは感じた。知らず知らずのうちに、拳を強く握りしめてしまう。
そんなカケルの動揺など慮らず、春斗は淡々と語り出した。
「今の麻白は、あの事故のことを思い出している。三崎カケルさんが、あの事故を引き起こした運転手の息子だと知ればーー取り乱してしまうかもしれない、と」
「あの事故のことを思い出している。つまり、黒峯麻白が出演していたあの番組で告げられていたことは事実か」
輝明は顎に手を当てて、春斗の言葉を反芻する。
あえて意味を図りかねて、輝明が春斗を見ると、春斗はなし崩し的に言葉を続けた。
「俺達も、記憶を完全に取り戻した後の麻白とはまだ、会っていない。だけど、麻白はきっと、三崎カケルさん達のことを恨んでいないと思う」
「…‥…‥そうか」
頭をかきながらとりなすように言う春斗に、カケルは穏やかな表情で胸を撫で下ろす。
「もう一つ、三崎カケルさん達に伝えたいことがあるんだ」
「ああ」
カケルが短く答えると、春斗は鋭く目を細めて告げた。
「俺の妹のあかりのことだ」
「雅山あかり?」
核心を突く春斗の言葉に、当夜の隣に座っていた花菜は目を見開いてあかりを見つめる。
「三崎カケルさんには話したんだけど、あかりには下半身不随による歩行障害、小学生中学年並みの学力と文字が上手く書けないなどの学習障害、そして精神障害があるんだ。だから、病気の影響で時々、性格が変わったりする上に、その時の記憶は維持されない」
「優希から聞いていたとおりだな」
「うん。優希が言っていた」
春斗がそう言った瞬間、当夜と花菜はやはりという顔で頷いた。
その表情を見抜いたカケルが、すかさず立ち上がって言う。
「当夜と花菜は知っていたのか?」
「まあな」
「私達の弟ーー優希と雅山あかりは、同じ中学校で同じクラス」
「そ、そういえば、そんな話していたな」
独り言のようにつぶやいた当夜と花菜に対して、カケルは座り直すと申し訳なさそうに謝罪する。
「なら、いつも僕達と対戦していたのは、もう一人の雅山あかりということか?」
「ああ」
輝明が念を押すように言うと、春斗は真剣な表情でしっかりと頷いてみせる。
「なるほどな」
そう答えた後で、当夜は戯れに聞いてみた。
「なあ、黒峯麻白と会ったことがあるのは今の雅山あかり、それとも、もう一人の雅山あかりか?」
「えっと、どちらも会ったことがあります」
予測できていたあかりの答えには気を払わず、当夜は本命の問いを口にする。
「なら、今度、黒峯麻白に会ったら、カケルに記憶を完全に取り戻した後の黒峯麻白の様子を教えてやってくれないか?」
「ーーっ」
「う、うん!」
当夜の言葉に、カケルが目を見開き、あかりは顔を上げると明るく弾けるような笑顔を浮かべてみせた。
日だまりのようなその笑顔に、春斗と優香は顔を見合わせると、ほっと安心したように優しげに目を細めてあかりを見やる。
麻白が記憶を完全に取り戻したことは、決して良い結果ではないのかもしれない。
だけど、いつか俺達のように、玄達と三崎カケルさん達が会って話し合えたらいいなと願ってしまう。
春斗はあかりと優香を横目に見ながら、少し照れくさそうに頬を撫でる。
「あかり、優香。いつか、玄達と三崎カケルさん達が俺達のように会えたらいいな」
「うん」
「はい、そうですね」
あかりと優香の花咲くようなその笑みに、春斗は吹っ切れた表情を浮かべて一息に言い切ったのだった。




