第六十ニ話 月夜に浮かんでいる花達②
麻白が度々、誘拐されていたーー。
その噂は、春斗達の高校だけではなく、あかりの中学校、そして、カケルが通う高校でも話題になっていた。
「黒峯麻白さん。度々、誘拐されていたのか?」
お昼休み、カケルは携帯を取り出すと、麻白の誘拐未遂事件についてのことをネット上で検索してみる。そして、表示された『ファンからの麻白を心配する声』の多さを見ながら、こっそりとため息をつく。
黒峯麻白さんが誘拐されていた。
その当たり前のように告げられた事実に、カケルはショックを受けていた。
「おい、カケル。学食に行かないのか?」
不意に話を振られたカケルは、不思議そうに当夜に訊いた。
「当夜は黒峯麻白さんのこと、気にならないのか?」
「気にしても仕方ないだろう。それに、輝明達を待たせてしまっているから急がないとな」
「確かにな」
当夜の言葉を聞くと同時に、ふっと息を抜いたカケルは、当夜ととも輝明達が待っている食堂へと向かう。
その途中、当夜は殊更、深刻そうな表情でこう言ってきた。
「なあ、カケル。おまえも輝明達宛の手紙とかプレゼントとか、もらったか?」
「あ、ああ」
「そうかー。何でだろうな。輝明と姉さんは大人気なのに、同じチームである俺達には何にもないなんて、絶対におかしいよな」
自信に満ち溢れて断言する当夜の姿に、カケルは思わず、苦笑してしまう。
当夜が思い悩んでいると、不意にカケルと当夜の携帯が同時に鳴った。
「うわっ」
「ーーな、なんだ?」
肩を跳ね上げたのも、二人同時だった。
おそるおそるメールの着信を確認すると、どちらも送信者は花菜である。
『輝明、ずっと待っている』
簡潔なメッセージ。
感情を交えないメールの内容に、カケルと当夜は絶句する。
当夜はカケルを横目に見ながら、ため息をついて言う。
「…‥…‥輝明、待たせすぎて怒っているのかもな。カケル、急ぐぞ」
「あ、ああ」
顔を見合わせてそう言い合うと、カケル達は足早に食堂へと向かったのだった。
「輝明、姉さん、悪い」
「遅い!」
輝明達がいる食堂に姿を見せた途端、芝居かかった仕草でそう言ってのけた当夜を、輝明は冷たい目で睨み付けた。
「実はーー」
「…‥…‥ずっと待っていた。これ以上ないくらいに」
先んじて言い訳を封殺するとんでもない姉ーー花菜の言葉に、当夜の背中を嫌な汗が流れていく。
「輝明、姉さん、悪い」
「その、遅くなってごめん」
当夜に相次いで、カケルも粛々と頭を下げる。
「何かあったのか?」
「実は、黒峯麻白の噂のことで、いろいろと話していたんだ」
輝明からずばり指摘されて、当夜は腫れ物に触るような慎重な口調で慌ててそう答える。
「黒峯麻白。黒峯玄の妹か」
「…‥…‥黒峯麻白」
不服そうな輝明をよそに、花菜は当夜の言葉に少し興味をひかれたらしかった。
輝明はカケルを見て、さらりと続ける。
「僕達が、黒峯麻白のことを気にしても仕方ないだろう」
「輝明も、当夜と同じことを言うんだな」
首を一度、横に振ると、カケルは不思議そうに言った。
「僕達は、今回の騒動について、何も知らない。テレビなどではいろいろな情報が流れているが、どれが本当なのか分からない」
輝明自身はそれで説明責任を果たしたと言わんばかりの表情をしていたが、カケルも花菜も当夜も視線をそらしていなかった。
三人のリアクションに、輝明はため息をついて付け加える。
「全て、真実ではない可能性もある」
「ようするに、黒峯麻白が誘拐されていたっていうことは、今まで、黒峯玄達しか知らなかったんだよな」
ざっくりと言った当夜に、輝明は少し逡巡してから頷いた。
「今になって、その情報を公開したのには何か意味がある。黒峯玄達しか知らない事情だ。僕達が、黒峯麻白のことを気にしても仕方ないだろう」
吹っ切れたような言葉とともに、輝明はまっすぐにカケル達を見つめる。
「まあ、ともかく」
当夜はカケルの方へ視線だけ向けて、世間話でもするような口調で言った。
「俺達にできることは、早くこの事件が解決することを祈るだけだ」
「私達が行っても、黒峯家の警備員の人達から門前払いを食らうだけ」
当夜の言葉に頷くと、花菜はカケルの件で、みんなで玄のマンションに行った時のことを思い出す。
「そう、だよな」
どこか寂しそうに笑って、カケルは言う。
「気になるのなら、黒峯麻白にオンライン対戦を申し込めばいい。黒峯麻白は、ランキング上位である黒峯玄や浅野大輝のように、対戦の申し込みが制限されていないからな」
「な、なるほどな」
「…‥…‥オンライン対戦」
「ーーっ」
輝明の思いもよらない誘いに、当夜と花菜は不意をうたれように目を瞬く。
そして、思い詰めた表情を浮かべていたカケルが、輝明の言葉に弾かれたように顔を上げる。
『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で、上位のプレイヤーには、数多くの対戦の申し込みがある。
だが、上位のプレイヤーばかりに対戦の申し込みが集中しないように、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』のランキング上位のプレイヤーには、任意に対戦の申し込み自体を制限することができた。
任意的にロックをかけることによって、上位のプレイヤーの負担を減らせることができる。
そして、玄達のように、自分から対戦の申し込みをすることができるので、例え、上位のプレイヤーになっても、今までのようにスピーディーなプレイを楽しむことができた。
「オンライン対戦か」
輝明の提案に、カケルは何かを決意するようにつぶやいたのだった。
「ねえ、お兄ちゃん。宮迫さんとの交換ノートと優香さんのメールに書かれていたんだけど、今日からオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第四回公式トーナメント大会のチーム戦まで、みんなでゲームの特訓をするんだよね」
「ああ」
家に帰った後、リビングで、春斗は今日の出来事をあかりに話していた。
春斗が少し困ったように頷くと、リビングのソファーに座っていたあかりは信じられないと言わんばかりに両手を広げて目を見開いた。
「すごいの。宮迫さんだけじゃなくて、麻白と高野花菜さんとも対戦できるかもしれない」
「まだ、霜月さんの返事待ちだけどな」
子供のように無邪気に笑いかけるあかりに、春斗は困ったように眉をひそめる。
「でも、これなら、あかりが病院に通院しながらでも、チームを確実に強化することができると思うんだ 」
「…‥…‥ありがとう、お兄ちゃん」
必死に言い繕う春斗を見て、あかりは嬉しそうにはにかむように微笑んでそっと俯いてみせる。
春斗達が他愛のない会話をしていると、夕食の料理を並べていた春斗の母親が声をかけてきた。
「春斗、あかり、ちょっといいかしら?」
夕食の準備をしていた春斗の母親から言葉を投げかけられて、あかりは交換ノートを膝に置き、春斗から春斗の母親へと視線を向ける。
エプロンを外すと、春斗の母親は目を輝かせて春斗達に言った。
「春斗、あかり、夕食ができたから、食べましょう」
「ああ」
「…‥…‥うん」
春斗はてらいもなくそう答えたが、あかりは夕食を見て、ほんの少しだけ表情に寂しさを滲ませた。
「…‥…‥どうした、あかり」
「あ、あのね」
春斗のその問いに、あかりはソファーの肘掛けをぎゅっと握りしめたまま、恥ずかしそうにそうつぶやくと顔を俯かせる。
しかし、このままでは話が先に進まないと思ったのだろう。
あかりは顔を上げると、意を決して口を開いた。
「麻白も、いつか家族そろって、夕食を食べられたらいいな」
「あかり、それなら、大丈夫だからな」
「えっ?」
突然の春斗からの指摘に、あかりは呆気に取られたように首を傾げた。
春斗が照れくさそうな笑みを浮かべて答える。
「今日、玄から聞いたんだけど、前に家族そろって、夕食を食べたらしいからな」
「そうなんだね」
春斗の言葉に、あかりは顔を上げると明るく弾けるような笑顔を浮かべてみせた。
日だまりのようなその笑顔に、春斗はほっと安心したように優しげに目を細めたのだった。




