第六話 果てしない光の先へと
黒峯玄と対戦したその夜、春斗は夢を見た。
それはまだ、中学に入学する前の幼い頃の想い出。
授業中に先生からあかりが倒れたということを聞かされた春斗は、慌てて病室のドアを開けた。
「あかり!」
「…‥…‥あっ、お兄ちゃん」
真っ白なベットに横たわるあかりは、酷い顔色だった。
真っ白で、でも無機質ではない、残酷なほどに穏やかな空気が流れる病室には、春斗とあかり、そして両親しかいない。
あまりにも唐突な現実に理解が追いつかない春斗を尻目に、あかりが力なく、けれど淀みなく、言葉を紡ぎ始めた。
「わ、私、変なの。ず、ずっとずっと苦しくて、痛くて、は、話そうとしても胸がつかえてうまく話せないの」
泣き出しそうに歪んだあかりの顔には、はっきりと絶望の色が浮かんでいた。
「身体もなかなか動かなくて、さっきまでいっぱいいっぱい、お兄ちゃんに話したいことがあったのに、今は何を話したかったのか分からない」
あかりが涙を潤ませて、小刻みに震えながらささやくような声で言う。
「私、このまま、死んじゃうのかな」
「ーーっ」
その受け入れがたい事実を前に、春斗は両拳を強く握りしめて露骨に眉をひそめる。
重い病気で苦しんでいる妹を助けたくて、咄嗟に幼い頃の春斗はこう言ったのだ。
「死なせない」
「ーーえっ?」
「あかりは、俺が絶対に守ってみせる」
「…‥…‥ありがとう、お兄ちゃん」
必死に言い繕う春斗を見て、あかりは嬉しそうにはにかむように微笑んでそっと俯いた。
俺は助けを求めていた妹を守りたくて、妹の病気を何とかして治したかったのだけど、結局、あの後、あかりの命を救ったのは見知らぬ少年の魔術と、そして憧れの人だった。
思い出す。
幼い頃の記憶を。
もう二度と戻らないと思っていた、輝かしい記憶を。
幸せは永遠だと信じていたあの頃を。
『あかりとしても生きる』
てらいもなくそう告げて、それを取り戻させてくれた琴音に、春斗は感謝してもしきれなかった。
「お兄ちゃん、優香さん、すごい人だね」
春斗に車椅子を押されて、ゲームセンターにたどり着いたあかりは、感慨深げに周りを見渡しながらつぶやいた。
黒峯玄に指定された、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の非公式のトーナメント大会当日、春斗達はゲームセンターを訪れていた。
黒峯玄が所属するチームは、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第二回公式トーナメント大会のチーム戦で優勝し、名をはせているため、観客の数も半端なかった。
「本当、すごい人だな」
あかりの言葉に、春斗は頷き、こともなげに言う。
そんな彼らのあちらこちらから、他の観客達の声援がひっきりなしに飛び込んでくる。
その様子をよそに、優香は周囲を窺うようにしてからこそっと小声であかりにつぶやいた。
「あかりさん、あの決勝の舞台で戦っている真ん中の方が黒峯玄さんです」
「えっ、あの人が?」
その言葉に、あかりはきょとんとした顔をした。
だがすぐに、あかりは春斗に向かって花咲くような笑みを浮かべるとありていに言い募る。
「お兄ちゃん、あの人と対戦したんだね」
「あ、ああ」
あかりらしいまっすぐな言葉に、春斗はことさらもなく苦笑する。
「でも、あっさりと負けてしまったけどーー」
「決まった!」
でも、あっさりと負けてしまったけどな。
そう告げようとした春斗の言葉をかき消すように、突如、実況の声が春斗達の耳に響き渡る。
「こ、これは驚きの決着だ!対戦チームを五分とかからずに倒しきってしまった。チーム戦決勝、勝ったのは『ラグナロック』!」
「すごいな…‥…‥」
「…‥…‥かなり、手強そうですね」
実況がそう告げると同時に、春斗と優香の二人が、それぞれ同時に別の言葉を発する。
観戦していた観客達もその瞬間、ヒートアップし、割れんばかりの歓声が巻き起こった。
『YOU WIN』
春斗はゲームセンターのモニター画面上に表示されているポップ文字を見遣り、改めて黒峯玄のチーム、『ラグナロック』の勝利を実感する。
初めて黒峯玄とバトルしたーーあのオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ3』のオンライン対戦での時のことを思い出し、春斗は途方もなく心が沸き立つのを感じた。
ーー今すぐ、このチームと対戦してみたい。
そして、黒峯玄に今度こそ、勝ちたいーー。
やり場のない震えるような高揚感を少しでも発散させるために、春斗は拳を強く握りしめる。
「お兄ちゃん?」
ゲームセンターの決勝の舞台から意図的に目をそらした春斗に、あかりは顔を上げて不思議そうに小さく首を傾げた。
「…‥…‥何でもないから」
押し殺すように答えた春斗の声に、あかりは戸惑ったように瞳を揺らした。
「あの、サイン下さい!」
「あ、あたしも欲しい!」
「俺も、俺も!」
春斗が再び、ゲームセンターの舞台の方に視線を向けると、すでにオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第二回公式トーナメント大会のチーム戦優勝チーム『ラグナロック』は、観客達から熱烈な歓待を受けていた。
あっという間にできた人だかりに応えるように、玄の両隣に立っていたチームメイト達が動く。
「はーい、はーい。サイン、どうぞ」
「そこ、順応性、高すぎだろう」
「玄と大輝が順応性なさすぎ」
「ーーごめん」
チームメイト二人が言い合っている最中、冷たく、静かでーーけれど、凄みのある声が響いた。
静まりかえるチームメイト達と観客達に、玄は無表情のまま、言葉を続ける。
「少し、彼と話をさせてほしいんだが」
「彼?」
「誰だよ、あいつ?」
チームメイト達が声をかけても、玄は表情を変えない。
あくまでも無表情のまま、春斗を見つめる玄に、チームメイトの一人がざっくりと補足するように言う。
「確か、モーションランキングシステム内で十位の雅山春斗だよ。この前のゲームセンターの個人戦の大会で優勝していた人」
「個人戦優勝…‥…‥。お兄ちゃん、すごい!」
「あ、ありがとう、あかり」
両手を握りしめて言い募るあかりに熱い心意気を感じて、春斗は少し照れたように頬を撫でてみせる。
「雅山春斗」
そんな中、玄はため息とともにこう切り出してきた。
「おまえは個人戦に出場するのか?」
「いや、チーム戦に出場する」
「何故、個人戦ではなく、チーム戦に出場する?」
玄のかたくなな声は、ゲームセンター内を忙しなく行き交う人々の中で聞き取るのが難しかった。
引き寄せられるように身を乗り出した春斗は、玄からそんな不可解極まる言葉をぶつけられて色めき立った。
「それはーー」
そう言いかけた春斗の脳裏に、不意にあの時のあかりのーー琴音の言葉がよぎる。
ーーあかりとしても生きる。
気持ちを切り替えるように何度か息を吐き、まっすぐに玄を見つめ直した春斗は思ったとおりの言葉を口にした。
「ーー約束したからだ」
「…‥…‥約束?」
淡々と告げられる春斗の言葉に、玄は疑惑の表情に憂いと躊躇をよぎらせる。
春斗は真剣な表情のまま、こう続けた。
「みんなで優勝するっていうあかりの夢をーーいや、俺とあかりの夢を叶えるために、俺達はチーム戦に出場するんだ」
「…‥…‥夢か」
しばしの間、沈黙が続いた。
あくまでも真剣な表情でこちらを見つめてくる春斗に、玄は無言でその春斗の視線を受け止めていた。
そんな時間がどれほど続いたことだろうか。
玄がふっと息を吐き出した。そして引き締めていた口元を少し緩めると、さもありなんといった表情で言った。
「俺も、俺の夢のためにチーム戦に出場している」
独り言のようにそう答えると、玄は踵を返し、チームメイト達とともに春斗達を背にして歩き出してしまう。
「黒峯玄」
段々と小さくなる玄達の後ろ姿に、春斗は戸惑いながらも声をかける。
再度、振り返った玄に対して、春斗は両手を握りしめると一息に言い切った。
「今度は、俺がーーいや、俺達が勝ってみせる!」
「出来るのならな」
内心の喜びを隠しつつ、玄は微かに笑みを浮かべると、今度こそ、踵を返してチームメイト達とともにその場から立ち去っていった。
車椅子を動かし、くるりと半回転してみせると、あかりは春斗に向き直ってほろりと言った。
「お兄ちゃんはすごいね」
「何がだ?」
春斗が戸惑ったように訊くと、あかりはにっこりと笑った。
「お兄ちゃんと優香さんと私バージョンの宮迫さんとなら、本当にチーム戦、優勝できるかもしれない」
「あかり、違うだろう」
「えっ?」
突然の春斗からの指摘に、あかりは呆気に取られたように首を傾げた。
春斗の代わりに、優香が優しげな笑みを浮かべて答える。
「優勝できるかもしれない、ではなくて優勝しましょう」
「う、うん!」
優香の言葉に、あかりは顔を上げると明るく弾けるような笑顔を浮かべてみせた。
日だまりのようなその笑顔に、春斗はほっと安心したように優しげに目を細めてあかりを見やる。
オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第三回公式トーナメント大会、チーム戦優勝か‥…‥…。
それは果てしなく困難な目標なのかもしれないけど、俺達四人なら決して不可能なことではない。
あかりの華奢な体を春斗はそっと抱き寄せると、ひそかに決意表明をするようにチーム戦で優勝することを再度、心に誓うのだった。