第五十一話 心に残るあの言葉に①
麻白が退院した日ーー。
カケルの周りには、友人と呼べる人物は一人もいなくなっていた。
経済界への影響力がかなり強い人物である黒峯蓮馬の娘に、人身負傷事故ーー本来は人身死亡事故を起こしたとして、カケルの父親は警察に身柄を拘束された。
また、実名で報道されたことにより、カケルの父親は会社を辞めさせられ、カケルの家族は住み慣れた地を追われることになった。
しかし、引っ越し先でも、カケルの父親の再就職先は見つからず、カケルの家族は途方に暮れていた。
麻白が退院するまで、カケルは部屋からろくに出ることなく、ほとんど一日中、ベットに横たわって過ごしていた。
散らばったゲーム雑誌、壁に立てかけられたまま、埃をかぶった通学鞄とサイドバック。
その部屋で、今日もまた、自分だけの世界に埋没するかのように、カケルは横たわったまま、まるで頓着せずにゲームを起動させる。
『チェイン・リンケージ3』。
その眼前のタイトル表記が消えると同時に、カケルはメニュー画面を呼び出してバトル形式の画面を表示させる。
「ーー今日もやるか」
カケルはそう告げると、真剣な表情でゲーム画面を見据えた。
学校になんて、行く気は起きなかった。
教室に入ると、否応なく、黒峯麻白さんが長期入院中だという噂と、自分の父親が犯してしまった罪を突きつけられた。
いや、実際は、自分の父親のせいで、黒峯麻白さんがいなくなってしまったかもしれないという事実を知るのが怖かっただけなのかもしれない。
『挑戦者が現れました!』
「あっ…‥…‥」
テレビ画面に響き渡ったシステム音声に、コントローラーをじっと凝視していたカケルの声が震えた。
オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ3』。
そのオンライン対戦で、対戦を申し込んできた相手のキャラを見て、カケルは思わず眉をひそめる。
スタンダードな草原のフィールドに立つのは、一人の剣豪のような風貌の男性。
白と青を基調にした軽装の鎧のような衣装を身に纏ったキャラが、伸ばした右手に刀を翻らせ、この上ない闘志をみなぎらせている。
その姿を見た瞬間、カケルは息をのんだ。
それは、モーションランキングシステム内で、自分より上位を占めるプレイヤーである『阿南輝明』のキャラだったからだ。
そしてーー
「…‥…‥オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝チームであり、第二回公式トーナメント大会のチーム戦、準優勝チームのリーダー」
カケルがそうつぶやいたと同時に、キャラのスタートアップの硬直が解けた。
ーーバトル開始。
「…‥…‥っ」
輝明のキャラが一瞬で間合いを詰めて、カケルのキャラへと斬りかかる。
対戦開始とともに、輝明のキャラに一気に距離を詰められたカケルは後退する間もなく無防備なまま、一撃を浴びせられた。
さらに輝明のキャラは、カケルのキャラが立て直す前を見計らって一振り、二振りと追撃を入れてから離れる。
カケルのキャラは左手一本で器用に刀を半回転させると、右手を柄に添えて大上段から降り下ろした。
力押しの一撃に、輝明のキャラは刀の刃を一瞬だけ合わせてすかすと、がら空きの胴に蹴りを放つ。
迷いのない蹴りとともに、輝明のキャラの強烈な一撃を受けて、カケルのキャラは数メートル後方に吹き飛んだ。
弾き飛ばされたカケルのキャラは、少なくはないダメージエフェクトを放出する。
だが、輝明の追撃はそれで終わらなかった。
右上段からの斬撃から、左下段からのさらなる回転斬撃。
超速の乱舞を繰り出す輝明のキャラに、カケルのキャラはあえて下がらず、前に出た。
「くっーー」
嵐を穿つ楔の一突き。
カケルのキャラが突き入れた刀が、輝明のキャラが振るう刀を押しとどめた。
刀を振り払おうとする輝明のキャラの刀の動きに合わせ、カケルは絶妙な力加減で、さらに輝明のキャラへ肉薄する。
刀と刀のつばぜり合い。
極めて近いーーまさに至近距離でのつばぜり合いに、カケルは目を細めて言う。
「…‥…‥強い」
直前の動揺を残らず消し飛ばして、カケルがつぶやく。
コントローラーを持ち、ゲーム画面を睨みつけながら、カケルは不意に不思議な感慨に襲われているのを感じていた。
ーーさすがに、モーションランキングシステム内で、二位の実力者だ。
同じ武器同士の使い手だというのに、俺よりも、かなり手練れているーー。
ーーでも、面白い。
あの事故以来、久しぶりに感じる言い知れない充足感と高揚感に、カケルは喜びを噛みしめると挑戦的に唇をつりあげた。
輝明のキャラは、カケルのキャラを弾き飛ばすと、翻した刀を握りしめて叫ぶ。
『竜牙無双斬!!』
「ーーっ!?」
音もなく放たれた輝明のキャラの必殺の連携技が、カケルのキャラを切り裂き、わずかに残っていた体力ゲージを根こそぎ刈り取った。
『YOU LOST』
カケルの視界に、不意に紫色の文字がポップアップし、システム音声がカケルの負けを宣告する。
ーー負けた。
そう確認するや否や、カケルは何かに急きたてられるように、輝明に再戦を申し込む。だが、受信されてきたメッセージにぴくりと反応してしまう。
『三崎カケル。僕にダメージを与えたこと、再戦時に後悔させてやる』
そのとらえどころのない意味深なメッセージが、剣豪のような風貌のキャラの最後の行動とともに、妙にカケルの頭に残った。
それはーー救いと呼ぶには、あまりにも残酷なメッセージだったかもしれない。
この時、差しのべられたのは、希望か、絶望か。
今でも、それは分からない。
だが、これが、俺と輝明の二度目の対戦にーー
そして、俺と『クライン・ラビリンス』との出会いへと繋がるのだった。
「さあ、お待たせ致しました!オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』のチーム戦決勝を開始します!」
西洋の王宮になぞられたバトルフィールドが映し出されたモニター画面。
ドームの公式の大会の会場で、実況がマイクを片手に叫ぶ。
実況の決勝戦開幕の言葉に、観客達はヒートアップし、万雷の歓声が巻き起こった。
「まずは、今回も、怒濤の快進撃を続ける『ラ・ピュセル』!そして対するのは、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝チームであり、また、第二回、第三回公式トーナメント大会のチーム戦、準優勝チームである『クライン・ラビリンス』だ!」
「おおっ、『クライン・ラビリンス』、やっぱり、つええええ!」
「りこちゃん、新チームでも頑張れ!」
場を盛り上げる実況の声と紛糾する観客達の甲高い声を背景に、春斗はまっすぐ前を見据えた。
決勝の舞台で戦うプレイヤー。
そのうちの見覚えのない銀色の髪の少年の姿を見た瞬間、春斗は息を呑んだ。
「なお、この決勝戦から、『クライン・ラビリンス』の新メンバー、三崎カケルさんが参戦することになります!」
「ついに、『クライン・ラビリンス』の新メンバー、三崎カケルさんが参戦するんだな」
実況の言葉に対してつぶやいた春斗は、改めて盛り上がる周囲を見渡す。
「はい。『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で、六位の実力者の方です」
「…‥…‥あの人が、三崎カケルさんなんだな」
優香の言葉に、あかりは頷き、こともなげに言う。
そんな彼らのあちらこちらから、他の参加者達と観客達の声がひっきりなしに飛び込んでくる。
その様子をよそに、春斗はドームのモニター画面上に表示されているポップ文字を見遣り、改めて、『クライン・ラビリンス』との対戦を実感する。
あの玄、率いる『ラグナロック』と互角に戦ったチームか。
そして、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の公式内で、最強チームだという呼び声もあるチーム。
初めて『クライン・ラビリンス』と対戦したーーあのドームの公式の大会の時のことを思い出し、春斗は途方もなく心が沸き立つのを感じた。
ーー今度こそ、この最強だと称されているチーム、勝ちたいーー。
そして、この公式の大会を優勝してみせる。
やり場のない震えるような高揚感を少しでも発散させるために、春斗は拳を強く握りしめる。
まじまじと輝明達を見つめていた春斗達に、花菜は出会った時と変わらない無表情で淡々と言った。
「…‥…‥気になる」
「あっ、ごめん」
「違う。あなたじゃない」
強い言葉で遮られて、謝りかけた春斗は思わず、顔を上げる。
どういうことだ?
春斗の思考を読み取ったように、花菜は静かに続けた。
「カケルが、あなた達のことをずっと見ていたから」
「俺達のことを?」
春斗の言葉にも、固まったようにじっと一点を見つめる花菜はゆっくりと瞬きをする。
「ーー話は終わりだ。花菜」
輝明は苦々しい顔で、春斗達を睥睨して言う。
「さっさと済まそう」
そう告げると、輝明達はステージ上のモニター画面に視線を戻してコントローラーを手に取った。
遅れて、春斗達もコントローラーを手に取って正面を見据える。
「では、レギュレーションは一本先取。最後まで残っていたチームが優勝となります」
「いずれにしても、やるしかないか」
決意のこもった春斗の言葉が、場を仕切り直した実況の言葉と重なった。
「ああ」
「はい」
「うん」
春斗の言葉にあかりと優香とりこが頷いたと同時に、キャラのスタートアップの硬直が解けた。
ーーバトル開始。
「…‥…‥くっ」
対戦開始とともに、輝明のキャラに一気に距離を詰められた春斗は後退する間もなく無防備なまま、一撃を浴びせられる。
さらに輝明のキャラは、後方から戦闘に加わってきたあかりのキャラも軽々と吹き飛ばすと、目の前の春斗のキャラが立て直す前を見計らって一振り、二振りと追撃を入れてから離れた。
しかし、春斗も負けじと勢いもそのままに半回転し、自身のキャラの武器である短剣を叩き込んだ。
しかし、電光石火の一突きは、輝明のキャラの刀にあっさりと弾かれてしまう。
「春斗さん…‥…‥っ」
「遅い」
咄嗟に、優香は自身の固有スキルである『テレポーター』で春斗をサポートしようとして、一瞬前まではその場にいなかったはずの当夜のキャラの横切りを受けてしまう。
「…‥…‥っ」
優香は手慣れた操作でメイスを回し、当夜のキャラから一旦、距離を取ろうとする。
しかし、そこへ急加速した当夜のキャラが、正面から一撃を浴びせた。
「天羽!」
あかりはそう叫ぶと、優香のキャラの下へ駆けつけようとして、こちらの行く手を阻むように大鎌を構えた花菜のキャラに眉をひそめる。
「雅山あかり、あなたの相手は私」
「ーーっ」
決意の宣言と同時に、花菜のキャラは巨大な鎌をあかりのキャラに振りかざした。
花菜のキャラと対峙することになったあかりのキャラは、手にした剣で初撃を受け止めるも、予想以上の衝撃によろめく。
「くっ!」
言葉と同時に、あかりのキャラは花菜のキャラに背を向け、輝明と当夜のキャラがいる場所へと走り出しそうとする。
「逃がすわけーー」
「あかりさん、ここは、りこにおまかせ!」
「ああ!」
花菜にとって、予想外な彼女の声は遅れて聞こえてきた。
あかりのキャラを捉え、弾き飛ばした花菜のキャラの出鼻をくじくように、背後に移動したりこのキャラがあかりのキャラに放った連携技ごと一撃を叩き込んだ。
それぞれ、体力ゲージを巻き散らしながらも、あかりのキャラは花菜のキャラを置き去りにしたまま、春斗のキャラのもとへと駆けていく。
振り返った花菜に、優香の固有スキルである『テレポーター』で、花菜のキャラの背後に移動したりこは意図して笑みを浮かべてみせた。
「今生りこ」
「高野花菜さんの相手に、りこが立候補してもいいかな?」
「構わない」
りこのつぶやきに、花菜は目を細め、うっすらと、本当にわずかに笑った。
「なら、雅山あかりの相手は、輝明達に任せる」
淡々と言葉を紡ぐ戦姫の名を冠した少女ーー花菜は、髪をかきあげて決定的な事実を口にした。
「今生りこ、私はチームのためにーー輝明のために動く。だから、対戦チームの中で、もっとも手強い相手は私の相手」
「その相手が、あかりさん?」
りこの言葉に、花菜は一瞬、息を呑んだように見えた。
無表情に走った、わずかな揺らぎ。
そして、無言の時間をたゆたわせた後で、花菜はゆっくりと視線を落とした。
「…‥…‥そう、思ってもらっていい」
花菜がそうつぶやくと同時に、花菜のキャラは大鎌を振りかざしてきた。
大鎌による嵐のごとき斬撃に、りこのキャラはあえて下がらず、前に出る。
「だったら、りこは、もっとも警戒する相手だったらいいな」
ぐっとコントローラーを握りしめたりこは、決意したようにゲームのモニター画面をまっすぐ見つめたのだった。




