第五十話 被害者と加害者
流れ出る血は止まらない。
その日、玄をかばって麻白は死んだ。
雨に打たれ、灰色に濡れた体はついに動くことを諦める。
『車に跳ねられそうになった兄をかばった少女の事故死』。
それは、世界の端っこで起きた小さな悲劇。
だけど、玄達にとっては、何よりも堪えがたい事実だった。
降り続ける雨は、残酷な事実を突きつけるようにさらに激しさを増し、しばらくは止みそうにはなかった。
人通りのない歩道で、引き寄せられるのは、被害者である玄達、そして、加害者である運転手とその家族だけだった。
「あああああああああああああああっ!!誰か、誰か、麻白を助けてくれ!!」
玄の父親が発した叫びにーー嘆きに、運転手とその家族は怯えるように顔を上げる。
その日ーー、麻白が死んでしまったその日、玄達は、そして、加害者である運転手とその家族は泣き続けた。
この残酷な世界で、妹をーー娘を奪われた世界で、ありふれた日常を奪われた世界で、彼らは、どこまでもどこまでも悲しみ続けた。
後に、玄の父親達から、玄と麻白に会うことを拒まれ、世間から社会的制裁を受けていた加害者である運転手の息子ーー三崎カケルは、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』を通して、もう一度、玄と麻白に謝罪したいと願っていた。
「優香、春斗くん、あかりさん!」
「りこさん」
ドームの大会受付のところで、携帯を持ちながら楽しげに軽く敬礼するような仕草を見せたりこと、彼女の応援に来た『ゼノグラシア』のメンバー達に、優香はひそかに口元を緩める。
新メンバー加入後、初めて『クライン・ラビリンス』が公式の大会に出場するとあって、集まった参加者も、そして観客の数も半端なかった。
優香は盛り上がっている周囲の様子を見渡すと、意外そうに話を切り出した。
「まだ、『クライン・ラビリンス』の新メンバーの方に関する発表はないみたいですね」
「うん。りこ達、『クライン・ラビリンス』の新メンバーの人が、どんな人なのか気になったから、いつもより早めにドームの公式の大会に来たんだよ。でも、いまだに発表されないの。ずっと待っていたのに、納得いかないに決まっているじゃん」
「そ、そうなんだな」
おどけた仕草で肩をすくめてみせたりこに、春斗は困ったように眉をひそめてみせる。
すると、りこは決まり悪そうに意識して表情を険しくした。
「何でも、黒峯麻白さんの関係で、いろいろと事情がある人みたいだよ」
「事情がある人?」
「麻白の?」
りこの答えに、春斗は目を丸くし、驚きの表情を浮かべた。
だが、先程、琴音に変わったばかりのあかりはその言葉を聞き留めて、訝しげに眉を寄せる。
「そうそう。新メンバーの人って、黒峯麻白さんの知り合いの人なのかな」
「…‥…‥そうだな」
冗談でも、虚言でもなく、どこまでもありふれた言葉を口にしたりこに、春斗は穏やかな表情で胸を撫で下ろすと口元に手を当てて考え始める。
それにしても、いろいろと事情がある人って言っていたけど、もしかしたら、新メンバーの人は、麻白のサポート役の人なのかもしれないな。
大会のステージまでたどり着くと、春斗は数日前に玄達から語られた内容を思い返し、深刻そうにつぶやいた。
「『クライン・ラビリンス』の新メンバーの人に会えば、何かーー」
「さあ、お待たせしました!ただいまから、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』のチーム戦を開始します!」
何かを告げようとした春斗の言葉をかき消すように、突如、実況の声が春斗達の耳に響き渡る。
実況の大会開幕の言葉に、観客達はヒートアップし、万雷の歓声が巻き起こった。
「 みやーーいや、あかり、優香、今生。今日の大会、絶対に優勝しような」
「ああ。絶対に、俺達が勝ってみせる」
「はい、勝ちましょう」
「うん」
気を取り直した春斗の強い気概に、あかりと優香、そして、りこが嬉しそうに笑ってみせたのだった。
「決まった!」
実況の声が、対戦チームを五分とかからず倒しきった春斗達に響き渡る。
「Aブロック勝者は『ラ・ピュセル』!今回も怒濤の快進撃、決勝進出決定だ!」
「本当にすごいな」
「もう一人のあかりさんがいるだけで、ここまで違うのですね」
「もう一人のあかりさんって、やっぱり激強だよね」
実況がそう告げると同時に、春斗と優香とりこの三人が、それぞれ同時に別の言葉を発する。
「ありがとうな」
春斗達の何気ない称賛の言葉に、車椅子に乗ったあかりが嬉しそうに笑ってみせた。
そして、あかりはドームのモニター画面に表示されているBブロックのバトル後の様子を見ると、少し意外そうに言った。
「うーん。まだ、『クライン・ラビリンス』の新メンバーの人は、来ていないみたいだな」
「はい。もうすぐ決勝戦だというのに、ここまで、三人だけで対戦していますね」
「ーーなっ!次は、決勝戦なのに、まだ新メンバーの人は来ていないか?」
優香の言葉に、春斗は目を丸くし、驚きの表情を浮かべた。
戸惑う春斗をよそに、優香は先を続ける。
「はい。ただ、会場内で少し、気になる噂を聞きました」
「気になる噂?」
どこか確かめるような物言いに、春斗は戸惑いながらも首を傾げてみせる。
優香は居住まいを正して、真剣な表情で続けた。
「前に、麻白さんが、事故で長期入院していたことがありましたよね。何でも、その方のお父様の運転していた車が、麻白さんを轢いてしまったそうなのです」
「なっ!」
「ーーっ」
その優香の言葉を聞いた瞬間、春斗とあかりは息を呑んだ。
「恐らく、決勝戦になっても、その方がチームにーー『クライン・ラビリンス』に現れないのは、その方が大会に出場することによって、ゲーム関係などのマスコミが殺到して、多岐方面から混乱を招きかねないと、大会運営側が判断しているからだと思います」
「…‥…‥麻白」
優香の言葉に、あかりは苦しそうに顔を歪める。
春斗達が、優香からその事実を聞かされて驚愕する中、りこは躊躇うようにこう言った。
「優香。りこも、その噂、聞いたんだけど、何でも、その噂には続きがあるみたいだよ」
「続き…‥…‥ですか?」
どこか辛辣そうなりこの言葉に、優香は不思議そうに尋ねる。
「う、うん。実はーー」
そう前置きして、りこから語られたのは、春斗達の想像を絶する内容だった。
「その人ーー三崎カケルさんは、黒峯玄さんと黒峯麻白さんに謝罪したかったんだけど、黒峯玄さんのお父さんに拒否されてしまったみたいなの。そんな時、三崎カケルさんが『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で、六位の実力者であることを知った阿南輝明さん達が、その事情を踏まえた上で、チーム強化のために、三崎カケルさんをチームに加入させたんだってー」
「「「ーーっ」」」
あまりにも衝撃的な事実を突きつけられて、春斗とあかりと優香は二の句を告げなくなってしまっていた。
どこまでも激しく降る雨が、春斗の脳内で弾ける。
俺はーーいや、俺達は忘れていたのだ。
麻白を失った玄達が悲しんでいるように、麻白の命を奪ってしまった人達も同じように悲しみ、苦しんでいるということをーー。
どれだけ目を背けても、どれだけ会うことを拒み続けても、いつか来る未来には抗えない。
その日、春斗は、あかりと優香とりことともに、残酷な現実を知ることになる。
『クライン・ラビリンス』の新メンバーである三崎カケルさんの父親が、麻白を死なせてしまった張本人だった。
その事実が、春斗達の心に重くのしかかったまま、ドームで開催されている、 オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の公式の大会、決勝戦を向かえたのだった。




