第二十六話 二重人格の転校生
「おはようございます。今日はまず、二学期から、このクラスになる新しいクラスメイトを紹介します」
「は、初めまして、えっと、雅山あかりです。病気の影響で時々、性格が変わったりすることがありますが、どうかよろしくお願いします」
「…‥…‥」
あかりの担任に連れられて、車椅子の肘掛けをぎゅっと握りしめたまま、興奮気味にそう話すあかりに、この特別支援学級クラスの唯一の生徒である高野優希は、呆気に取られたように肩を落とした。
あかりの挨拶が少し、たどたどしかったからではない。あまりにもその台詞の内容が意外だったので、優希の脳が内容の理解を拒んだのだ。
挨拶を済ませると、あかりはそそくさと優希の隣の机まで車椅子を動かした。
頬を赤らめて照れくさそうに顔を俯かせているあかりを見ていると、ゆっくりとあかりの台詞の意味が優希の脳に染み渡っていく。
「…‥…‥性格が変わるの?」
「う、うん。でも、もう一人の私はすごいんだよ。私は読んだりすることはできるけれど、字がうまく書けないの。でも、もう一人の私になったら、字はうまく書けるし、お勉強もできるようになるんだよ」
言いたかった言葉を見つけたらしいあかりは一気にそう言うと、表情を輝かせながら優希を見つめた。
まっすぐに視線を合わせてくるその眼差しに、優希は思わずどきりとした。
こぼれ落ちそうなほど大きな瞳は、明るい色を宿している。
思えば、あかりは最初に教室に入ってきた時から、ずっと朝の光のような微笑みを優希に向けていた。
つい数ヵ月前まで、その身体に死の気配を漂わせていたなんて、とても信じられなかった。
「それって、変なの」
「うん、変だよね」
優希の素っ気ない言葉に、あかりは嬉しそうに笑ってみせた。
「でも、私は、もう一人の私とこれからも一緒にいたいって思うの」
「な、なんで?」
わくわくと誇らしげにそう告げられた意味深なあかりの言葉に、優希の反応はワンテンポどころか、かなり遅れた。
得心したように頷きながら、あかりは言った。
「あはっ、だって、もう一人の私は、私がずっと憧れている人にそっくりなんだもの」
そう告げるあかりの瞳はどこまでも澄んでおり、真剣な色を宿していた。声は温かく、誠実さが滲んでいる。
しかし、そんな言葉を受けながらも、優希はうまく返事を返すことができなかった。どうにか小さく頷いて、机に視線を落とす。
何故なら、どうしても、性格が変わることに対しての不信感が拭いきれなかったからだ。
性格が変わるのに、なんで笑っていられるの?
もしかして、そんなに変わらないんじゃないのか?
優希は冷たく、覚めきった表情で顔を上げると、あかりとあかりの担任とともに終業式に出るため、車椅子を動かして体育館へと向かったのだった。
今朝のあかりの台詞は、どういう意味なのか。
優希がいくら考えても、答えは出なかった。
とにかく、あかりの出方を見るよりほかにない。
そういう結論に至った終業式の後。
教室に戻ってきたあかりの様子を見てーー優希は、あかりが口にした言葉の意味を理解した。
終業式が終わり、教室に戻ってくると、あかりはすぐに車椅子にぽすんと寄りかかり、糸が切れたように眠ってしまった。
その様子を見て、怪訝そうに首を傾げる優希をよそに、慌てて駆け寄ってきたあかりの担任が、不安そうにあかりに声をかけてきた。
「雅山さん、大丈夫?」
「…‥…‥誰だ?」
心配そうに顔を覗かせるあかりの担任の言葉に、顔を上げたあかりはきょとんとした顔で不思議そうに小首を傾げた。
「えっ?」
「ーーっ」
突然、話し方が変わったあかりの豹変ぶりに、あかりの担任と優希は思わずうろたえる。
その様子を見て、あかりは何かを思い出したように顔を俯かせると、申し訳なさそうな顔をして、あかりの担任に言った。
「あっ、もしかして、昨日、春斗達が言っていた、あかりのーー俺の担任の先生なのか?」
「もしかして、あなたは、雅山さん達が言っていた、もう一人の雅山さん?」
「ああ」
あかりにそう告げられても、優希はあまりの滑稽無稽さに正気を疑いたくなった。
頭を悩ませ、優希は自分の机に突っ伏す。
「本当に、性格が変わるんだ」
「ああ」
間一髪入れずに即答したあかりは、真顔で優希を見つめてくる。
「俺のクラスメイトなんだな」
「うん」
吹っ切れたような言葉とともに、顔を上げた優希はまっすぐにあかりを見つめ返す。
「俺は、雅山あかり」
「僕は高野優希…‥…‥って、それはさっき、聞いたよ」
あっさり口にされた自己紹介の言葉に、優希は目を丸くして驚きの表情を浮かべた。
「そうなのか?今は、何をしているんだ?」
「終業式が終わって、教室に戻ってきたところ」
あかりの問いかけに、優希はわずかに戸惑いながらも答える。
「そうなんだな」
「本当に、変な奴」
吹っ切れたような表情を浮かべるあかりに、優希は呆れたようにため息をついた。
その硬い声に微妙に拗ねたような色が混じっている気がして、あかりは思わず苦笑してしまう。
「では、改めて雅山さん、これからよろしくね」
「ああ」
場を仕切り直したあかりの担任の言葉に、あかりはこくりと頷いた。
「本当に、変なの」
灰色に染まる空をぼんやりと眺めながら、優希の瞳には複雑な感情が渦巻いていた。
あかりが時々、性格が変わることに対しては、これからもきっと、違和感を感じていくことになるのだろう。
でも、優希は気づいていた。
それよりももっと驚いたこと、それはあかりが本当に、自分の姉と兄のチーム、『クライン・ラビリンス』と対戦した、あの『雅山あかり』だという事実だった。
性格が変わった時のあかりの口調と、わずかに覗いた彼女の表情がーー、それが純然たる事実であることを物語っていた。
性格が度々、変わってしまうクラスメイトと、それをいまだに受け入れられずにいる自分。
状況は何も変わっていない。
それなのに、これからあかりの担任の口から語られるであろう夏休みの補足説明と二学期からの話に耳を傾けながら、優希は自分の心が、二学期からの学校生活を少し、楽しみにしていることに気づいた。
学校から帰った後、春斗の母親から、授業中にあかりが琴音に変わったということを聞かされた春斗は、優香とともに慌ててあかりの部屋のドアを開けた。
「あかり!」
「あかりさん!」
「春斗、天羽」
あかりがそうつぶやくと同時に、優香は目を細めて何やら難しい顔をすると隣にいた春斗に一瞬、視線を向けてから、ようやく安堵の息をついた。
「春斗さん。どうやら、今は宮迫さんバージョンのあかりさんみたいですね」
「ーー優香。あかりがーー宮迫さんが驚いているぞ」
片手で顔を押さえていた春斗は、呆気に取られているあかりの視線に気づくと朗らかにこう言った。
「あかり、いや、宮迫さん。今日も、あかりが、中学校に見学に行くことを伝えていなくてごめん」
「あかりさんの担任の先生に、あかりさんから宮迫さんに変わることをお伝えしていたのですが、やはり、突然のことだったので、対処は難しかったみたいです」
「そうなんだな」
春斗と優香がざっくりと付け加えるように言うと、あかりはきょとんとした顔で目を瞬かせた。
「そういえば、宮迫さんのクラスには、あの高野花菜と高野当夜の弟がいるんだよな?」
「優希のことか」
春斗が思わず、そう問うと、あかりはきょとんとした顔で首を傾げる。
そんな二人の様子を、しばらく見守っていた優香は穏やかな口調でこう言った。
「どんな感じの方でしたか?」
「うーん、普通だな」
あかりらしいーー琴音らしいまっすぐな答えに、春斗と優香はことさらもなく苦笑する。
「宮迫さんらしいな」
「宮迫さんらしいですね」
「うん?」
顔を見合わせてそう言い合う春斗と優香に、あかりは意味が分からず、不思議そうに首を傾げた。
すると、春斗は少し躊躇うようにため息を吐くと、複雑な想いをにじませる。
「宮迫さん。実際、こんなことを頼むのは変なのかもしれないけど、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第三回公式トーナメント大会のチーム戦が開催されるまでの間、俺と優香の二人と宮迫さんで、二対一の対戦をしてくれないか?」
「なっ?」
予想もしていなかった春斗の言葉に、あかりは呆然とする。
春斗はあかりの部屋のドアの方に振り向くと、一呼吸置いてから言った。
「そして、できれば、宮迫さんが前にーー第一回公式トーナメント大会の個人戦で対戦した布施尚之さんに、オンライン対戦を申し込めるようにお願いしてほしいんだ」
「ーーっ」
やや驚いたように言葉を詰まらせたあかりに、春斗は悔やむようにこう続ける。
「…‥…‥無理なお願いなのは、分かっている。だけど、病院に通院しているあかりの負担がかからずに、チームを強化する方法はこれしかないと思うんだ」
「宮迫さん、お願いします。オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第三回公式トーナメント大会のチーム戦が開催されるまでの間、私達の特訓に付き合って頂けませんか?」
春斗と優香のたっての懇願に、あかりはしばらく考えた後、俯いていた顔を上げると春斗に言った。
「うーん。一度、そのことを踏まえた上で、布施先輩と話してみるな」
「…‥…‥ああ。宮迫さん、ありがとう」
「宮迫さん、ありがとうございます」
難しい顔をして顎に手を当てて考え込む仕草をするあかりに、春斗は嬉しそうに優香と顔を見合わせると、ふっと息を吐き出した。そして引き締めていた口元を少し緩めると、さもありなんといった表情で言った。
「大会までの間、あかりと優香、そして宮迫さんと一緒に、ゲームの特訓が出来るんだな」
「うん?」
「何でもない」
困惑したように首を傾げてみせるあかりに、春斗はほのかに頬を赤くし、ごまかすように早口で言葉を続ける。
「宮迫さん、優香。第三回公式トーナメント大会のチーム戦、絶対に優勝しような」
「ああ」
「はい、優勝しましょう」
あかりと優香の花咲くようなその笑みに、春斗は吹っ切れた表情を浮かべて一息に言い切ったのだった。




