第二十一話 歩んできた軌跡
「お兄ちゃん、この先にラビラビさんのヨーヨーすくいがあるみたいだよ」
車椅子に乗ったあかりが意気揚々にそう言ったのは、あかりと優香が一度、自宅で浴衣姿に着替えて、神社でおこなわれている夏祭りにたどり着いた時だった。
「あかり、優香、慌てなくても、ラビラビのヨーヨーすくいはもうすぐできるだろう」
「あかりさん、楽しみですね」
「うん。ラビラビさんのヨーヨーすくいって、どんな感じなのかな」
呆れた大胆さに嘆息する春斗をよそに、優香とあかりは出店を見つめて歓声を上げる。
普段は閑散としているはずの神社が、ここぞとばかりにごった返していた。何処からか、祭りばやしも聴こえてくる。
他愛もない世間話をしながら、春斗達は出店を練り歩いていた。
目的の『ラビラビのヨーヨーすくい』に行く前に、春斗達は早速、近くの露店で売っていた、たこ焼きとりんご飴を購入する。
車椅子を動かしながら、目を輝かせて至福の表情で、たこ焼きを頬張るあかりに、春斗は安堵の表情を浮かべて言った。
「嬉しそうだな」
「うん。嬉しんだもの」
春斗の何気ない言葉に、あかりは嬉しそうに笑ってみせた。
「お祭りって、病院に入院する前に行ったきりだったから、今日はいろいろな出店を見られて嬉しいの」
「そうだったな」
てきぱきとたこ焼きのくしを動かしながら、周囲に光を撒き散らすような笑みを浮かべるあかりを、春斗は眩しそうに見つめる。
そんな春斗の隣では、優香が目を輝かせて、りんご飴をせっせと頬張っていた。
「…‥…‥はあっ」
春斗はついつい、豊富な出店に見入りしながらも、これからのことを思い悩み始める。
ラビラビのヨーヨーすくいか。
どんな感じのヨーヨーすくいなんだろうな。
だが、近くの屋台の中にあった電子時計と向き合った春斗は、その疑問を早々に封印した。
それを考え始めた瞬間、春斗の脳裏にあるとんでもない事実が浮上してきたからである。
「…‥…‥まずい。確か、優香の憑依のサイクルの説明では、今日はお祭りの最中くらいに、あかりから宮迫さんに変わるんだよな」
春斗は咄嗟にそう言ってため息を吐くと、困ったように車椅子に乗っているあかりに視線を向けた。
「何、話そう」
そうつぶやきながらも、答えは決まっている。
「ーーって、そんなのお祭りの話しかないよな」
淡々と述べながらも、春斗は両手を伸ばしてひたすら頭を悩ませる。
「とにかく、後のことは出店を見ながら考えよう」
「春斗さん、相変わらずですね」
どこまでも熱く語る春斗をちらりと見て、優香は穏やかに微笑んだ。
そして一呼吸置いて、優香は淡々と続ける。
「ですが、その前に」
「その前に?」
「ラビラビさんのヨーヨーすくいをされている出店に行って、ラビラビさんのヨーヨーを手に入れましょう」
静かにーーそして、どこまでも決意を込めた優香の言葉に、春斗は思わず、ふっと息を抜くような笑みを浮かべる。
「そうだな」
「ラビラビさんのヨーヨーすくいは、このお祭りでの最重要事項です」
「…‥…‥最重要事項?」
相変わらずの呆れた大胆さに嘆息する春斗に、優香は誇らしげに笑みを浮かべた。
そのあまりのズレ具合に、春斗は思わず、固まってしまう。
「では、行きましょうか」
優香はそう告げると、春斗達がついてくるかどうかなど微塵も疑わずに堂々と歩き始めたのだった。
「ていっ!」
一発でラビラビのヨーヨーをすくい上げた春斗に対して、あかりと優香は尊敬するような眼差しを向けた。
「お兄ちゃん、すごい!」
「春斗さん、すごいです!」
「あ、ありがとう、あかり、優香」
両手を握りしめて言い募るあかりと優香に熱い心意気を感じて、春斗は少し照れたように頬を撫でてみせる。
一体、どれだけ挑戦しただろう。
ラビラビのヨーヨーすくいの露店を離れた時には、春斗達の手には両手にラビラビのヨーヨーという完全装備をしていた。
「次は何処に行きましょうか?」
「私、輪投げがしてみたい」
優香が大した問題ではないように至って真面目にそう言ってのけると、あかりは両拳を前に出して話に飛びついた。
わくわくと間一髪入れずに答えるあかりに、春斗は困惑した表情でおもむろに口を開く。
「なら、輪投げにするか?」
「うん」
「はい」
あかりと優香がほぼ同時にそう答えると、春斗はもはや諦めたようにこう言った。
「…‥…‥分かった」
「えっ?」
その言葉に、あかりは驚いたように目を見開いた。
春斗はため息を吐きながらも、いつものようにあかりの頭を優しく撫でる。
「だけど、輪投げは、俺はあまり得意じゃないから、取れなかったらごめんな」
「…‥…‥ありがとう、お兄ちゃん」
あかりがぱあっと顔を輝かせるのを見て、春斗は思わず苦笑してしまう。
「春斗さん、あかりさん、相変わらずですね」
そんな二人の様子を見て、優香はくすりと笑みをこぼした。
春斗は車椅子を押しながら、あかりと優香を誘導するように、どんどん出店をめぐる。
そうして、そろそろ花火が打ち上がる頃、不意に優香は語り始めた。
「春斗さん、あかりさんのことでお話したいことがあります」
「話したいこと?」
問いかけるような声でそう言った春斗に、優香は軽く頷いてみせる。
「春斗さんの好きな人は、宮迫さんなのですよね?」
「ーーっ」
大切な想い出を語るように穏やかな表情をみせた優香に、春斗は思わず、言葉を失う。
そんな春斗を前に、優香はさらなる火種を投げ込んだ。
「でしたら、これから先も、宮迫さんバージョンのあかりさんと一緒にいましょう」
「…‥…‥あのな、優香。宮迫さんはあかりとしても生きているから、これからも一緒にいることになるだろう」
あっさりと告げられた優香の言葉に対して、春斗は不満そうにむっと眉をひそめる。
その様子を見て、優香は少し寂しそうに頬に手を当ててため息をつくと、朗らかにこう言った。
「そう言うことではないのです」
「えっ?」
優香の意外な言葉に、春斗は不思議そうに首を傾げる。
優香は居住まいを正して、真剣な表情で続けた。
「宮迫さんがあかりさんとして生きていくということは、宮迫さんは宮迫さんとあかりさんの二人分、生きていくことになります」
「ーーっ」
やや驚いたように言葉を詰まらせた春斗に、優香は悔やむようにこう続ける。
「ですから、私達はできる限り、あかりさんのーーそして、宮迫さんのそばにいて、二人を支えていきましょう」
「…‥…‥ああ、そうだな」
きっぱりと告げられた優香の言葉に、春斗は嬉しそうに頷いてみせる。
宮迫さんがあかりとして生きていくということは、あかりとしての人生を歩んでいくことになる。
それはつまり、宮迫さんは自分の人生とは別に、あかりの人生をも背負っていくことになるだろう。
春斗は以前、自分が告げた言葉を思い出す。
あかりとして生きてほしい、かーー。
そんなのは、ただの一方的で身勝手な望みだ。
それなのにあの時、
『あかりとしても生きる』
と、てらいもなくそう告げてくれた琴音に、春斗は感謝してもしきれなかった。
春斗は自嘲するように片手で顔を押さえると、薄くため息をつく。
「だけど、優香はいいのか?長い間ーーいや、もしかしたらずっと、あかりと宮迫さんと一緒にいることになるかもしれないのに」
「はい」
そう告げる優香の瞳はどこまでも澄んでおり、真剣な色を宿していた。
そのことが、春斗を安堵させる。
自分の妹に、憧れの人が度々、憑依してくる。
それは、にわかには信じられない状況だった。
だけど、俺はその非現実さにくすぐったげに笑ってしまった。
例え、これから先、どんな困難が待ち構えていても、俺達四人なら、きっと乗り越えられるだろう。
しみじみと感慨深く春斗が物思いに耽っていると、不意に優香が少し真剣な顔で声をかけた。
「何より、私自身が、春斗さんとあかりさん、そして宮迫さんとずっと一緒にいたいと願っていますから」
「ありがとうな、優香」
「優香さん、ありがとう」
髪を撫でながらとりなすように言う優香に、春斗とあかりは顔を見合わせると穏やかな表情で胸を撫で下ろしたのだった。




