第二十話 終末のトロイメライ
「お兄ちゃん、優香さん、すごいね」
春斗に車椅子を押されて、マンションの入口にたどり着いたあかりは、感慨深げに周りを見渡しながらつぶやいた。
「ああ。マンションの入口まで来ると、さらにすごいな」
あかりの言葉に春斗は頷き、こともなげに言う。
春斗達が黒峯玄達に会うために訪れたのは、まさに壮麗な高級マンションだった。
黒峯玄達は春斗達と同じく、一般の学校に通っているという話だったので、もっと小規模なマンションに住んでいるのかと春斗は思っていたのだが、普通のマンションという雰囲気は微塵もない。ただただ、 豪華絢爛のような美しさを備えているのみである。
「…‥…‥雅山春斗」
その時、黒峯玄が住んでいるマンションに驚いていた春斗達は、唐突な聞き覚えのある声に振り返る。
そこには、黒峯玄が少し驚いた様子で春斗達を見つめていた。
「黒峯玄…‥…‥」
春斗は軽く肩をすくめて目を瞬かせると、総合病院で別れてからずっと疑問に思っていたことを口にした。
「あれから、黒峯麻白さんとは出会えたのか?」
「ああ。…‥…‥父さんから口止めされていることだが、おまえ達には本当のことを話しておこうと思う」
「本当のこと?」
春斗は顎に手を当てて、玄の言葉を反芻する。
あえて意味を図りかねて、春斗が玄を見ると、玄はなし崩し的に言葉を続けた。
「あの時、麻白は誘拐されていたんだ。おまえの妹、そして、麻白を生き返させた、あの魔術を使う少年によってな」
「なっ!」
「…‥…‥っ」
予想外な玄の言葉に、春斗と優香は思わず愕然とする。
玄の話を聞き終えると、あかりは不思議そうに玄に訊いた。
「えっ?どうして、あの男の子がそんなことをしたの?」
「詳しくは分からないが、父さんがあの少年の気に障ることをしたらしい。あの後、麻白とは再び、会えるようにはなったが、まだ、父さんとあの少年との確執は続いている」
「…‥…‥そうなのか」
玄が大した問題ではないように至って真面目にそう言ってのけると、春斗はたじろぎながらも率直な感想を述べる。
「…‥…‥用はそれだけか?」
そんな春斗達に対して、玄はやや冷めた声でそう聞いてきた。
春斗は少し躊躇うようにため息を吐くと、複雑な想いをにじませる。
「いや、頼みたいことがあってきた」
「頼みたいことだと?」
「…‥…‥あ、ああ」
玄が不思議そうに首を傾げていると、すぐに観念したように、春斗は玄へと向き直ると早口で次のようにまくし立てた。
「黒峯玄、頼む!俺と優香の二人と、対戦してくれないか?」
「ーーっ」
戸惑うようにして対戦を持ちかけてきた春斗に、玄は驚きを禁じ得ないでいた。
春斗の台詞が早口だったからではない。あまりにもその台詞の内容が意外だったので、玄の脳が内容の理解を拒んだのだ。
照れ臭そうにあらぬ方向に視線をやっている春斗の横顔を見ていると、ゆっくりと春斗の台詞の意味が玄の脳に染み渡っていく。
「それは、二対一でのバトルをしてほしいということか?」
「ああ」
言いたかった言葉を見つけたらしい春斗はそう言うと、真剣な眼差しで玄を見つめた。
だが、玄は腕を組んで考え込む仕草をすると、車椅子に乗っているあかりを物言いたげな瞳で見遣る。
「雅山あかりは、バトルには参加しないのか?」
「あっ、いや、その、今日は浅野大輝も黒峯麻白さんもいないみたいだし、あかりも今日は調子が悪いみたいだからな」
春斗が誤魔化すように必死に言い繕うのを見て、あかりは追随するようにこくりと首を縦に振った。
「う、うん。今日は無理みたいなの」
「…‥…‥そうか」
まさか、今は宮迫さんが憑依していないからとは言えず、あかりは曖昧な返事を返した。
それをどう解釈したのか、玄はことさらもなく苦笑すると、思いがけないことを口にし始めた。
「…‥…‥俺の住んでいるマンションは、今はいろいろと立て込んでしまっている。場所を変える」
「分かった」
そう答えると、春斗達はそのまま、踵を返し、足早にゲームセンターへと向かう玄の後を追って歩道を歩いていく。
大きなゲームセンターにたどり着くと、春斗達はすぐ近くのゲームスペースを貸し出す個室に入った。
四人用のゲームスペースは、モニター画面と、対面にソファー型の椅子が置かれただけの狭い部屋だ。
玄は一度、警戒するように辺りを見渡した後、春斗の方へと向き直る。そして、率直にこう告げた。
「レギュレーションは、一本先取でいいのか?」
「ああ」
「はい」
春斗と優香がそう告げると、玄はモニター画面に視線を戻して、テーブルに置いてあるコントローラーを手に取った。
遅れて、春斗と優香もコントローラーを手に取って正面を見据える。
「お兄ちゃん、優香さん、頑張って」
春斗と優香に支えられながら、車椅子から降りてソファーに座ったあかりが勇気づけるように声援を送る。
「ああ。優香、絶対に勝とうな」
「はい。春斗さん、勝ちましょう」
春斗と優香の決意のこもった言葉と同時に、キャラのスタートアップの硬直が解けた。
ーーバトル開始。
「…‥…‥っ」
対戦開始とともに、玄のキャラに一気に距離を詰められた春斗は後退する間もなく無防備なまま、一撃を浴びせられる。
しかし、春斗も負けじと勢いもそのままに半回転し、自身のキャラの武器である短剣を叩き込んだ。
しかし、電光石火の一突きは、玄のキャラの大剣にあっさりと弾かれてしまう。
優香は自身のキャラのメイスで、そんな春斗をサポートしようとしたのだが、それすらも玄には読まれていた。
「ーーっ!」
「あっ…‥…‥」
連携技を駆使した春斗と優香による絶妙な攻撃は、半身をそらしただけで玄のキャラに回避されてしまった。
玄のキャラは、逆にカウンターのかたちで、斬り下ろしの一撃を春斗のキャラに見舞う。
そして同時に放たれた連携技は、隣に立っていた優香のキャラの体力ゲージをもごっそりと奪った。
春斗と優香はたまらず、優香の固有スキル、『テレポーター』を使用して、玄のキャラから大きく距離を取る。
だが、固有スキルを使ってまで、逃げに徹した春斗達を、玄のキャラは追ってこなかった。
その冷静さに、春斗は驚愕の眼差しを送る。
スタンダードな草原のフィールドに立つのは、一人の黒騎士風の男性。
大きなヘルムを被り、重装備の黒騎士風のキャラが、伸ばした右手に無骨な大剣を翻らせ、この上ない闘志をみなぎらせている。
あのオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ3』のオンライン対戦での時のことを思い出し、春斗は途方もなく心が沸き立つのを感じた。
ーー二対一でのバトルだというのに、あの時と同じように全く歯が立たない。
やり場のない震えるような高揚感を少しでも発散させるために、春斗は拳を強く握りしめる。
「…‥…‥強いですね」
直前の動揺を残らず消し飛ばして、優香がつぶやく。
コントローラーを持ち、ゲーム画面を睨みつけながら、春斗は不意に不思議な感慨に襲われているのを感じていた。
ーーさすがに手強い。
ーーでも、面白い。
言い知れない充足感と高揚感に、春斗は喜びを噛みしめると挑戦的に唇をつりあげた。
「これが、いずれ戦わなくてはいけないチームの一人なんだな」
答えを求めるように、春斗のキャラが一瞬で間合いを詰めて、玄のキャラへと斬りかかる。
かってのバトルでの再現ーー。
春斗のキャラが繰り出した斬撃を、玄のキャラは大剣で凌ごうとしてーー刹那、玄は春斗が頬を緩めていることに気づいた。
「優香!」
「ーーそれを待っていました」
そう口にした春斗のキャラの背中から現れたのは、メイスを振り上げた優香のキャラだった。
しかし、完全に虚を突いた二人の攻撃を前にして、玄のキャラは不意に弛緩したように大剣をあっさりと下ろしてきた。
「なっーー」
春斗が眉をひそめる中、玄のキャラはそこから一歩踏み込むと、春斗と優香のキャラに向かって高速の突きを放った。
春斗と優香はそれを反射的に自身の武器で受け止めようとして、大剣の刃先が届いていないのにも関わらず、自身のキャラが斬りつけられるのを目の当たりにする。
相手に風の刃を放つ、烈風斬の固有スキルかーー。
何の障害もないように大剣に斬りつけられ、体力ゲージを減らした春斗は反射的に反撃しようとして、その出先を大剣の柄に押さえられた。
たまらず、バッグステップで距離を取ると、春斗が後退した分だけきっちり踏み込んだ下段斬り上げを見舞わされる。
斬りつけられた春斗のキャラは、少なくないダメージエフェクトを放出していた。
「春斗さん!」
がくんと体勢を崩した春斗のキャラに、玄のキャラがさらに追撃を入れようと踏み込んだところで、優香は玄のキャラに一撃を放とうとする。
だが、苦し紛れに繰り出した優香の反撃は、ぎりぎりのところで、玄のキャラに回避されてしまう。
「…‥…‥っ」
次の瞬間、優香は息をのんだ。
春斗のキャラと対峙していたはずの玄のキャラが、自身のキャラに対して、大上段から大剣を振り落とす姿を目の当たりにしたからだ。
カウンターのカウンター。
体勢を立て直し、大上段から振り下ろされた玄のキャラの一閃が、わずかに残っていた優香のキャラの体力ゲージを根こそぎ刈り取った。
「くっ…‥…‥!」
瞬間の隙を突いた玄のキャラの一撃に、ターゲットとなった優香のキャラが体力ゲージを散らすのを目の当たりにしながらも、春斗は咄嗟に必殺の連携技を発動させる。
『ーー弧月斬・閃牙!!』
「ーーっ!」
『短剣』から持ち替えた『刀』という予想外の武器での一撃に、玄は一瞬、目の色を変えた。
春斗の固有スキル、武器セレクト。
それは、自身の武器を一度だけ、自由に変えることができる。
『ラ・ピュセル』のチームリーダーである春斗が、ここぞという時に放った土壇場での必殺の連携技。
それを、玄はわずかにダメージを受けながらも正面から弾き、避け、そして相殺して凌ぎきった。
「なっーー」
春斗が驚きを口にしようとした瞬間、玄は超反応で硬直状態に入った春斗のキャラに乾坤一擲のカウンター技を放つ。
「ーーっ!?」
音もなく放たれた一閃が、なすすべもなく春斗の操作するキャラを切り裂いた。
致命的な特大ダメージエフェクト。
体力ゲージを散らした春斗のキャラは、ゆっくりと玄のキャラの足元へと倒れ伏す。
『YOU LOST』
春斗の視界に、不意に紫色の文字がポップアップし、システム音声が春斗達の負けを宣告する。
ーー負けた。
そう確認するや否や、春斗は何かに急きたてられるように、少し声のトーンを落として言った。
「…‥…‥今回も、前回と同じく、いや、阿南輝明と対戦した公式の大会と同じく、全くかなわなかったな」
「…‥…‥阿南輝明だと?あの、『クライン・ラビリンス』と対戦したのか?」
淡々と告げられる春斗の言葉に、玄は疑惑の表情に憂いと躊躇をよぎらせる。
春斗は真剣な表情のまま、こう続けた。
「ああ。完敗だったけどな」
「…‥…‥そうか」
「黒峯玄。今日は対戦してくれてありがとうな」
春斗はそこまで告げると、視線を床に落としながら感謝の意を伝える。
「黒峯玄さん、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「ああ」
春斗に相次いで、優香とあかりも粛々と頭を下げる。
玄が幾分、真剣な表情で頷くと、顔を上げたあかりは嬉しそうに顔を輝かせて言った。
「あの、今度は黒峯麻白さんに会いに来てもいいですか?」
「…‥…‥ああ。ありがとう」
内心の喜びを隠しつつ、玄は立ち上がり、微かに笑みを浮かべると、踵を返してその場から立ち去っていったのだった。




